あの頃にはわからなかったことが…

掲載日:2018.07.10


前回、アドラーの「幸せになる勇気」を5回読んで、気づきがあったということを書きました。
今回も似たような体験をしました。

5,6年ほど前に、ある本を読みました。
その時には「ふ~ん」という感じでした。
「こんなこと、知っていたことだよな~」「特に得ることはなかったな」という感想でした。
それ以来、本棚の隅に、ありがたみもなく置いてありました。

今回、ある問題意識からもう一度その本を手に取ってみました。
読み始めて、ビックリでした。
5、6年前に読んだ時には目に入らなかった言葉、心に届かなかった言葉が、
今回は輝きを持って私に響いてきました。

「こんなに深く大事なことが書いてあったのに、あの時の私にはわからなかった・・・」
まさに「猫に小判」「豚に真珠」ということでした。
あの頃の私には、その価値がわからなかったということです。

5,6年かけて私は成長し、ものの本質を少しは見極められるようになってきたようです。
この本の価値を知るまでに、私にはその年月が必要だったということでしょう。

あの時には、その言葉の意味がわからなかった。
あの時には、そう言われた真意がわからなかった。
そういうことって、時々ありますよね。

先日、そんなことを言われるという体験をしました。

10年以上前(たぶん15年ほど前)の知り合いに、先日会うことがありました。
彼女とは、知り合い以上、友達未満、そんな関係でした。

その頃の彼女は、「歩くカミソリ」という感じで、関わる人たちを事あるごとに傷つけていました。
それがパワフルだったので、「カミソリ搭載のブルドーザー」という感じの存在でした。
多くの人が傷つけられ、それも心の深いところを傷つけられるので、
彼女を恨んでいる人は少なくなかったと思います。

私よりひと回り以上年下だったので、私に直接向かってくることはありませんでしたが、
私は「このままではいけないな」と感じていました。
彼女に傷つけられる人たちのことももちろん心配でしたが、
このままでは「いつか彼女は誰かに刺し殺されるだろう」とさえ私は感じていました。

同時に私は、彼女のその攻撃性の奥に、純粋な思いがあることも感じていました。
だからこそ、彼女のためにも何かしなければいけないと思っていました。

そんな頃に、私の目の前で人が彼女に傷つけられる場面に出くわしました。
私はそれを咎めましたが、興奮している彼女は今度は私に食ってかかってきました。
その時私は、「ここで本気で彼女と関わろう」と思いました。
今ここで気づかなければ、いつか取り返しのつかないことが
彼女の身に起きるだろうと感じたからです。

私は、言葉で彼女の頬にビンタをしました。
とても痛かったと思います。

今ならもう少し穏便なやり方ができたかもしれませんが、
15年前の私はまだ血気盛んというか・・・。

何人もの人が見ている前で、私に言葉で頬を張り倒された彼女は逆上しました。
負けん気の強い私たち二人の言い合いは、まるで闘犬のケンカのようだったことでしょう。
周りの人たちが後ずさりをするのを目の端で感じながら、
私は彼女と本気で(言葉で)取っ組み合いのケンカをしました。

「ここで彼女に目を覚ましてもらいたい」という気持ちを強く持っていたので、
私の腹は据わっていました。
決して負けない私に、彼女は最後に「あんたなんか大っ嫌い!」と言って泣きながら部屋を出ていきました。

そんなことがあった私たちが、十数年ぶりに会いました。
私は懐かしくて涙が出ました。
彼女の今の生き方を聞いて、あの時ひっぱたいた手は痛かったけど、
「本気で向き合ってよかった」と思いました。

彼女はその再会の時に伝えてくれました。
「あの時されたビンタ(厳しく言われた言葉)が、時間がたつにつれて心に沁みてきました。
今なら、どんな思いで紀代子さんが私に言ってくれたかがとてもよくわかります」
「後にも先にも、あれだけ厳しく愛情を持って私に向かってきてくれたのは紀代子さんだけでした」
「ビンタをされた直後は、殺してやろうと思うくらい憎らしく感じていましたけどね」
と彼女は笑って伝えてくれました。

そうでしょうとも。
私だって、思い切りビンタをした手(キツイことを言って彼女を批判したこと)は、
いつまでも痛かったもの。

周りの人たちが後ずさりをするような大喧嘩をした私と彼女は、
年月を経て、温かいハグを交わすことができました。
彼女も私もお互いに成長し、あの時のことを詫びながら、幸せな再会をしました。

自分と真摯に向き合おうとする姿勢と時間が人を成長させてくれ、
あの時には気づかなかった大事なことに気づかせてくれる。
そんなことを改めて思う出来事でした。