ラブ

掲載日:2015.04.16


 我が家の『動くダスキン』は、相変わらず元気で好奇心いっぱいです。“なんちゃってお掃除”ばかりの私に、ちょっとイヤミなお姑さんのように「ここにもホコリが!」とばかりに至らない所に頭を突っ込んでいきます。私は『ラブ』が来てから、これまでよりも少しマメにお掃除をするようになりました。
 2年前に亡くした『めい』は、人見知りで静かなネコでした。『ラブ』は、真逆のようなネコです。誰がいても平気です。名前を呼べば犬のように駆け寄ってきます。好奇心満載で探求している時以外は、常に抱っこをしてほしい子です。抱っこを求めて足元から私によじ登ってきたり、棚から私に飛び移ってくるというまるでお猿のようでもあります。同じネコでもこんなに違うんだな~と感心しながら、20年ほど前に関西の乳児院を見学させてもらった時のことを思い出しました。
 事情は様々でも、生まれてすぐに乳児院に預けられ同じ職員さんたちに他の子と同じように育てられているはずなのに、1.2歳の子どもたちにはそれぞれしっかりと個性の芽生えがありました。持って生まれたものが確かにあることに、感心したことを思い出します。(それでも私は『環境派=環境によって人は変わると考えている人間』です。)
 先日、『ラブ』を動物病院に連れて行きました。来た時から耳をしきりに掻くので、何か悪い病気でもあるのかなと思ったからです。耳ダニがいたということで、お薬をもらってきました。さすが捨てられネコちゃんですね。ダニですか!保健所に保護されるまでの間、どのような環境で暮らしていたのでしょうね。ペットショップで買った猫なら、耳にダニがいるなんてことはなかったでしょうね。
 待合室には、病気や怪我の犬や猫たちがいました。隣の席で待っていた人から声をかけられ、少しおしゃべりをしました。その方のネコちゃんは迷いネコで、目にタバコの火を押し付けられた跡があり、体にも虐待された跡があったそうです。今ではそのご夫婦にとてもかわいがられています。良い人のもとに引き取られて本当に良かった。これは人間も同じだと、また乳児院や児童養護施設の子どもたちのことを思いました。
 どんなに酷い環境にあったとしても、その後に育ててくれる人とのご縁で子どもたちの幸せ度は大きく異なってきます。犬や猫と一緒にするなんてとお叱りを受けるかもしれませんが、年齢や月齢が低いほど引き取り手が見つかりやすいというのは人間の世界も同じです。乳児院はまだしも児童養護施設には、今は全く親がいない子どもは少なくて、親に虐待された子どもたちが多く生活しています。子ども時代に守ってもらえるはずの人から深く傷つけられた子どもたちが、暖かい家庭や家族を持てる可能性は決して高いとは言えません。それを思う時、私はいつも世の中の不条理を思います。私は血の繋がりにあまり重きをおいていない人間です。血の繋がった家族の中で、表には見えていない悲惨なことが起きていることを少なからず知っているつもりです。血の繋がりはなくとも暖かい交流がある関係の中で、一人でも多くの子どもたちが育ってほしいと願っています。
 ダニを取り薬を塗ってもらってラクになり、『ラブ』は私に抱かれてゴロゴロしています。「喉を鳴らす」と言いますが、喉だけではなく体中でゴロゴロとしているこの振動が、私の体にも心地よく響いてきます。私の落ち着いた生活は乱され被害も少なくない『ラブ』との生活ですが、こうしてこの子を抱いてその振動に身を任せているこの時間は何とも言えない幸せな時間です。そして、この絶妙な『ラブ』の振動は、私の体の中のもしかするとあるかもしれないまだ認識されていない癌や何らかの病気や不具合の部分を癒し治してくれているような気がします。忙しくて「猫の手も借りたい」という時にも手を出してきて「大迷惑!」ということもしばしばですが、実は「迷惑」は小さくて、彼女の存在は副作用がなく心にも体にもよく効く最高のお薬のような気がします。
 ちょっと大変だけど、『ラブ』との生活は幸せです。世界中で、1匹でも多くの犬や猫や一人でも多くの子どもたちが、心優しい大人との幸せな生活を送れるように願います。
 ≪与えることは受け取ること≫、≪愛することは愛されること≫
『ラブ』との関係を通してそんなことを感じます。