佐藤さんとサンくん

掲載日:2018.11.13


NHKのETV特集「佐藤さんとサンくん」を観ました。
私にとっては衝撃でした。

番組の冒頭、飾り気のない中年の女性が小屋の前で中に向かって
「サンくん」と呼びかけます。
少しして、ドアが開いて中から出てきた人を見て、私は驚きました。

人としてコミュニケーションがとれない(と瞬時に私が感じた)彼を、
一瞬「「人間」と認識することに躊躇(ちゅうちょ)がありました。

腰まで伸びた髪は、いつ洗ったかわからないほどゴワゴワにからまり塊となっていました。
爪も、私が見たこともないほど長く伸びていました。

そんな彼が小屋から出てきて去っていく後ろ姿を呆然と見つめながら、
私はかすかに吐き気をもよおしている自分に気づきました。
理屈ではなく、それが正直な私の体の反応でした。

しかし、私が一番衝撃を受けたのは、そのような「サンくん」の姿にではなく、
「サンくん」と呼びかけた「佐藤さん」というその女性の「ありよう」にでした。

「佐藤さん」は、社会福祉法人「あかつきの村」に住み込みながら、20年に渡り、
統合失調症を患い社会復帰が難しいベトナム難民の人たちの生活を支えている女性です。

「あかつきの村」に来て27年になるという「サンくん」(53歳)は、集団生活も難しく、
1人で小屋に住んでいます。
当初は人間不信から「佐藤さん」たちスタッフに殴りかかることもあったそうですが、
今では「佐藤さん」にだけは笑顔を見せるそうです。

「佐藤さん」は日に何度か、「サンくん」とドライブに行きます。
医師の診断によりシートベルトをつけないことを許可され助手席で自由な姿勢でいる
その「サンくん」を見つめる「佐藤さん」の一点の曇りもない温かい笑顔。
そのピュアな笑顔に、私は衝撃を受けました。

このような作為のない笑顔に、私はこれまで出会ったことがあったでしょうか。
その瞬間に、私の偽善を帯びた上皮が引っ剥がされることを感じました。
素っ裸で「佐藤さん」と「サンくん」の前にいる自分を感じて、いたたまれない感覚になりました。

これまでも、素晴らしい人たちの存在に心打たれてきました。
それは水俣病の被害者たちの声を、思いを、受け止め続けた石牟礼道子さんであったり、
ハンセン病の患者たちに寄り添った神谷美恵子さんであったり・・・・。

様々な素晴らしい人たちの存在を知ってはいますが、
「佐藤さん」は、それとは違う存在感として私には感じられました。

それは、言葉にすることは難しいのですが、頑張って言葉にしてみると、
「佐藤さん」と「サンくん」との間に『境界線がない』ということです。

普段、私はクライアントさんに、「支配してくる親と適切な境界線を引きましょう」と言いますが、
今回の「境界線」はそれとは少し違います。

対人援助(という言葉を使った時点で、すでに起きていることですが)の場面では、
援助やケア、サポートをする側と、それを受ける側との間に、(無意識ではあっても)線が引かれています。
「する側」と「される側」の間には、太さや強さの違いはあれ、何らかの境界線があると思います。

私は時々、「援助する側」の『臭さ』に、違和感や抵抗感を抱くことがあります。
特に宗教者の立場からの援助には、「私は助ける人」「私は善い人」という『臭さ』を感じる時があります。
それは脇に置いたとしても、支援する側の「優位性」は常につきまとう気がします。

援助や支援をする側には、「力になりたい」「目の前のこの人の状況を変えたい」
「そこに自分は役立ちたい」という思いがあります。
援助者や支援者にとってそれは悪いことではなく、
だからこそ良い援助に結びつくと言えるかもしれません。
だから私は、そこを否定するつもりはありません。

でも、特に最近の私は、できるだけ「援助者」や「支援者」の役割から降りて、
「願いをもって、ただその人と共にいる」ことができるようになれたらいい
という気持ちを強く持つようになってきています。

「佐藤さん」は、まさにそう「在った」のです。
「佐藤さん」と「サンくん」の間に壁はなく、「佐藤さん」は「サンくん」の中に自分を見ているようでした。
「佐藤さん」と「サンくん」は『別もの』ではなく、融合しているように私には感じられました。

統合失調症でコミュニケーションも満足に取れない「サンくん」に対して、
「佐藤さん」は自分と『別』とか『違う』とか感じていない。
このものすごさ!
彼女はそれを何のてらいもなく淡々としています。

このように「共にいられる人」を、私は見たことがありません。
マザーテレサも、「佐藤さん」のようにはいられなかったように思います。

どちらが「良い」とか「素晴らしい」とかという話ではありません。
ただ、私が彼女の「ありよう」に感嘆しているだけです。
このような人が、ごく自然に存在していることに(うれしい)衝撃を受けました。

再放送があれば(あるいはオンデマンドで)、ぜひみなさんに観てほしいと思っていましたが、
この番組に興奮しているのは、私だけなのかもしれません。

番組では、日本に逃れてきたベトナム難民の人たちがほんの少しの日本語教育を受けただけで日本社会に放たれ、
下請け企業で働くようになってもひどい扱いを受け幾度となく解雇されてきたこと、
あげくに何人もの人たちが精神を病んだり、電車への飛込や焼身自殺などで命を絶ったことを伝えていました。

日本という国が、政府だけではなく一般人としての私たちの社会が、
「サンくん」のようなベトナム難民の少なくない人たちを
精神疾患や自殺に追い込んできたことに憤りを覚えました。
そして今この日本社会は、外国の人たちばかりではなく同胞の日本の人たちに対しても、
同じように排除したり抑圧したりして、精神疾患や自殺に追い込んでいることを改めて思います。

私も「サンくん」のような扱いを社会から受け続けたら、
同じようになるのかもしれないと感じるようになりました。
髪を洗うことも触れられることも拒否し、爪を切る気持ちにもならない。
「人は自分を傷つける存在」
そのように感じながら生きるとしたら・・・・。

だからこそ、「佐藤さん」の何の曇りも作為もない温かい笑顔を向けられたとき、
唯一、生きていくかすかな希望を感じられるのかもしれません。

「サンくん」のようになる可能性を自分の中に感じながら、
だからこそ「佐藤さん」のような人が存在していてほしい、
私はそう感じたのかもしれません。

やはり、チャンスがあれば、この番組を観てもらいたいと思います。
観る人によって、色々な感じ方があると思います。
あなたは何をどのように感じるでしょう?