再び旅立って・・・その後

掲載日:2015.02.23


 娘が再び旅立ち3週間が過ぎました。濃密な1ヶ月を共にした後の娘の旅立ちは、さすがの私にも寂しさをもたらすだろう、きっと少なくとも3日間ほどは心の空白を感じるだろう。そう予測していました。私もやっと普通の母親のように『空の巣症候群』になるのではないか!と少し期待もしていました。ところが、自分でもあきれるくらい全く寂しさを感じることはありませんでした。娘がいる間棚上げしていたものに次々と取りかかっていたら、あっという間に3週間が経ってしまいました。寂しさを紛らわすために忙しくしていたというよりは、やりたいことややるべきことがたくさんあって自分に集中していたという感じです。だからと言って娘のことを全く思わない訳でもありません。
 娘の最初の滞在地はサンパウロ(ブラジル)でした。カナダ時代に友だちになったアランのお家に泊めてもらっていました。アラン以外の家族は英語は話せません。「アランのママに、ポルトガル語でポルトガル語を教えてもらったよ」とか「パパはとてもゆっくりとしゃべってくれるんだけど、ポルトガル語をどんなにゆっくりしゃべってもらってもやっぱりわからないよね(笑)」とアランの家族の優しさが伝わってくるメールが届きます。「世界旅で大事なことは、英語が流暢にしゃべれることではなくて、どんな状況でもコミュニケーションがとれること」だと娘は実感したようです。
 ちょうどそんな頃、「サンパウロに爆弾強盗が押し入り、銃撃戦の末に警官隊が追い払われ強盗団は逃走」というNHKニュースを耳にしました。「そんなニュースを聞いたんだけど」とメールすると、「アランに言ったら、『そんなの日常茶飯事だよ』と言ってるし、アランのお母さんも笑ってるよ」との返事が返ってきました。ひぇー!そんな怖いところなの! 少なくともサンパウロではアランの家に泊めてもらっているので安心でしたが、この先一人での移動はとても心配でした。
 アラン家を拠点に、一人でバスでリオデジャネイロに行った時には、英語を話す人が誰もいなくて宿に着くまでにかなり大変だったようです。リオのビーチはとてもステキでしたが、一歩通りを入るとドラッグをする人々が大勢横たわっていたりジロジロ見られたりと恐ろしかったようです。同じ宿に泊まったカナダ人女性は白昼にバッグを奪われたそうです。南国の高級ビーチの解放感と対照的な闇の部分も垣間見ながらのリオでした。リオにもカナダ時代の友人がいて、彼女たちが案内してくれたので安心してステキな場所を堪能できたようです。
 ただ、リオのビーチでは、日本人はおろかアジア人を誰も目にしなかったそうです。そんな中でサンセットが美しい岬に友人が連れて行ってくれた時に、なぜか日本人の集団がいたそうです。何の集団だろうと思って見ていたら、長澤まさみがCM撮影をしていたそうです。一緒に写真を撮ったり少しおしゃべりをしたりして感じは良かったけれど終始ため口だったと娘は笑っていました。
 他にもバスで10時間以上かけてどこかへ移動していくたびに、バスの中やトイレ休憩の時などに危険なことは起きないかしらと心配しました。娘から「無事に着いたよ」というメールをもらうまで数日間心配し続けるということを繰り返し、さすがの私も胃が痛くなりました。まだメールがやり取りできるうちはいいですが、この先インターネット環境にないところも多くなりそうで、そうなるとどれだけ心配し続けなくてはならないのでしょう。私も心を鍛えなければと思います。
 そうは言っても、いろんな所に行って出会って体験して、大変なことはありながらも娘の世界は広がっていくようです。緊張感や辛く苦しい事も少なくありませんが、その分大きな喜びや充実感もあります。いろいろな地域や国の人々と出会う中で、娘はいくつもの角度から世界を見られるようになっていくのだと思います。そして、出会った人たちのいる国を愛していくのだと思います。
 親の私にできることは、致命的な目には遭わないことを祈りつつ辛さや大変さを含め良い体験をしてきてほしいと願うことだけです。その体験がきっと、世界中の国や人々を懐かしく愛おしく感じることに繋がっていくのだと思います。それで十分です。