漆黒の闇と孤独  ・・・  そして、6月23日 

掲載日:2018.06.12


「紀代子さんは孤独を感じたことがありますか?」
静かにそう尋ねられました。
クライアントさんの深い孤独と不安と共にいるセッション中に、
突然彼女からそう尋ねられました。

そう問われて、瞬時に頭の中で検索が始まりました。
「ここ数年は、年に2回くらい孤独を感じることがあるな」
それは、とても悲しい孤独感の時も、きっぱりと清々しい孤独感の時もあります。
どちらもしっかりと向き合うと数日ですっきりします。

でも、彼女から尋ねられたのは、もっと深いレベルの孤独のことです。
私の人生を高速で検索しました。

「ああ、あったな・・・」
深い孤独 ・・・ 漆黒の闇の体験が。。。

「物理的に」と「心理的に」、それぞれ1回ずつ
「漆黒の闇の中の孤独」を体験したことがあります。

物理的な体験は、ニュージーランドの島でのこと。
恩師の林先生が児童虐待における家族支援の研究で
1年間ニュージーランドに滞在していた17~18年ほど前のことです。

先生に誘われて1週間ニュージーランドに行った時に、ある島を観光で訪れました。
その島の洞窟にいる夜光虫を見るツアーだったと思います。
私たち見学者たちは、案内人の誘導で洞窟の地中深くへと下って行きました。

暗く狭い通路をかなり下って行ったところで、案内人は
私たちに声や物音をたてずに静かにその場にいるように指示し、
手にしていた懐中電灯を消しました。

その瞬間に、私たちは漆黒の闇に包まれました。
ほんの微かな光さえも届かない、漆黒の闇です。

ややしばらくすると、洞窟の壁に夜光虫が美しく輝きだしました。
静かな歓声が上がりました。

でも私はその時、夜光虫の美しさよりも、
その直前の漆黒の闇のインパクトに圧倒されていました。

どこからも光が入ってこない闇の中では、立っていることさえ難しかったことを覚えています。
誰がどこにいるのかも、自分の体が本当にここにあるのかさえも確信が持てない。
もしかすると、一瞬でみんなが私の周りから消えてしまっているのではないか、
この世に私一人が取り残されたのではないか、
そんな恐怖を感じたことを、今でも鮮明に覚えています。

「漆黒の闇」を物理的に体感し、恐怖に近い「孤独感」を抱いた経験でした。

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そして、「精神的な」漆黒の闇の中の孤独感は、その数年後のことです。
心身ともに、生きるエネルギーが枯渇していた時だったと思います。

大きな絶望感の中で、「この世に誰も私を救ってくれる人はいない」そう感じた時、
私は、光がどこからも差さない漆黒の闇の中にいる自分を感じました。
立っていることもできず膝をついて手をついて、深い孤独に打ちのめされていました。
自分の未来など、思うことすらできませんでした。

・・・・・・・

セッション中に突然クライアントさんから尋ねられ、
一瞬でそれらのことを思い出しました。

そうだった・・・・。
私はあんなに深い闇と孤独を体験した。
他にも、言葉にできない誰にも伝えられない孤独を感じて生きていた時期がある。

そんな私だから、今、これほど深い孤独と不安を抱いている人と共に、
揺れることなく一緒にいることができる。
その人がその体験を十分に味わい、そこから次の人生へ歩みを進めることができるように
しっかりと支えることができる。

漆黒の闇を知っている私が、それでもそこから這い上がって今ここにいる私だからこそ、
苦しんでいるクライアントさんのそばに、しっかりと一緒にいることができる。
今、充実感の中で生きている私が、言葉にはしなくても、
確信をもってその人の未来を信じられる私が、クライアントさんのそばにいる。

私の体験してきた闇や苦悩は、今の私を強く支えてくれている。
そんな私が、クライアントさんたちをしっかりと支えている。

私は転んでもただでは起きない。
どんな体験も、この人生に活かす。
私の体験のすべてを使って、誰かがより良い人生を生きるために、活かす。

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全く別の話ですが・・・
6月23日は、沖縄慰霊の日です。
普段沖縄のことに興味関心がない人も、せめてこの日は沖縄に気持ちを向けてほしいです。
同じ日本なのに、沖縄だけが先の大戦で戦場になり、多くの沖縄の人たちが亡くなったこと。
今も、沖縄だけに米軍基地が集中し、沖縄の人たちに不安と危険を押し付けているということ。
日本人として、沖縄で起きたこと、今起きていること、を知っている必要があると思います。