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コラム

「聴いてもらう」ということ & 執筆の途中経過

掲載日:2017.11.28

「聴いてもらう」ということが起きるには、自分以外に最低あと一人は存在しないと成り立ちません。
私は「聴く」ことのプロですが、最近改めて「聴いてもらう」ことの力を感じています。

私のクライアントさんの中には、自分の課題はある程度クリアして、ここ数年は「心のお掃除」として、
2週間に1回セッションを受けている人も、少ないながらいます。
それって、実はとても良いことだと思っています。

私自身も、10年間ほど2週間に1回、「心のお掃除」のためにセッションを受けていました。
それが私にとっては快適でしたが、私のコーチが海外の仕事が忙しくなり、数年前に終了しました。
それ以降、「この人」と思う人と出会えていないので、「心のお掃除」の時間を持っていません。

「心のお掃除」がなくても、死にはしないし特段生活に支障があるわけではありません。
でもやっぱり何か違う気がします。
「家のホコリ」が少しずつたまっていくように、「心のホコリ」も自分で気づかないうちにたまっていきます。
何となくモヤモヤしてくることがあります。
些細なことでイライラしたり、心のお掃除をしていれば気にならないことにカチンときたりすることもあります。

私のそんなモヤモヤが先日スッキリしました。
それは、やはり「聴いてもらった」からです。

世の中には「意味のある苦しみ」と「意味のない苦しみ」があると、私は思っています。
「意味のない苦しみ」の中でもがいている人が、一刻も早くそこから逃れられるように、
そのことに少しでも効果的に関われるように、私は自分なりに精進し学びも重ねています。

その一環として、セラピーなどの研修にも時々参加します。
先日は、臨床心理士など心理系の仕事をしている人たちが参加する研修に参加してきました。
1日ン万円というけっこうな参加費でしたが、日本でも有名な力のある講師の研修には、
意識が高く、ある程度実力もある人たちが多く参加していました。

プログラムの中で、「ペアで聴き合う」練習がありました。
コミュニケーション研修ではよくある実習です。
でも、ここは参加者の質が違います。
もちろん、参加者にもいろいろなレベルの人がいましたが、
ラッキーなことに私とペアになった人はちゃんと「聴く」ことができる人でした。

お互いの「ナマのテーマ」を出して聴き合います。
私は、このところずっとモヤモヤしていたことをテーマに聴いてもらおうと思いました。
普通の人には上手に聴いてもらえないだろうと思うレベルのモヤモヤだったので、
誰にも言わずこのところずっと一人で抱えていたことです。

いやー、やっぱり「聴く力を持っている人」に聴いてもらうと違いますね!
ものすごくスッキリしました。

私は何かあると「セルフカウンセリングorコーチング」をして、ある程度の問題は自分でクリアできます。
でも、自分一人ではなかなか深いところまでいけない課題もあります。
そんな時に、「聴く力」を持った人に「聴いてもらう」と、一人では行けないレベルにまで行くことができます。
そんな深いレベルでの「スッキリ感」がありました。
ペアの相手の方も、私に「聴いてもらって、大切なことに気づけた」と、とても喜んでくれました。
お互いに「ペアの相手があなたでよかった」と、喜び合いました。

安い参加費のワークショップに行って、ほとんど「聴けない」人と「聴き合った」時の悲惨さを
私は体験したことがあります。

みなさんもありませんか?
「言わなきゃよかった」とか「かえって傷ついた」「ムカついた」という体験が。
ちゃんと「聴けない」人に話したときの、後悔の気持ち。
それが素人さんなら仕方がないけれど、
「聴く」ことを仕事としている人が「聴けない」時には、がっかりしてしまいます。

時々、私のクライアントさんをうらやましく思うことがあります。
私にも「心のお掃除」をサポートしてくれるコーチ・カウンセラーがいればいいなと思います。
私が求める条件は、「聴く力のレベルが高いこと」と同時に、私が「その人を信頼し、その人柄に惹かれること」です。
数年前にマイコーチとのセッションが終了して以来、そのような人と出会えていません。

私も定期的に「心のお掃除」をしたいな、としみじみ感じる今日この頃です。
これは、「心のお掃除」を体験した人にしかわからない『人生の質』に関わる大事なことだと思います。


・・・【執筆の途中経過】・・・

書き上げた原稿が、校正・校閲を受けて返ってきました。
編集担当の彼から「まっかっかになって返ってくることを覚悟していてください」と言われていましたが、
赤字や青字でビシバシ修正されて返ってきました。

私の書き方のクセや表現方法が鋭く指摘されていました。
どの指摘も納得です。
「イタキモチイイ!」「もっとブッテ!」という感じです。(笑)

研修に出かけていたり、その前後の仕事が詰まっていたりで、なかなか取り掛かれていませんでしたが、
今スパートをかけて、修正に取り組んでいます。
「さすがプロの指摘だな」と感心しながら、細かい部分を一つ一つ直していきます。
久しぶりに「プロフェッショナルな仕事」に触れて、ちょい興奮気味に修正に取り組んでいます。

・・・・・と、ここまで書いたのは、修正作業に入って1日目のことです。

2日目になると、気持ちが少し「どよ~ん」としてきました。
時間の許す限り、午前1時間、午後1時間半~2時間ほど、取り組んでいます。
3日目の今日、自分の心が折れかかっていることを感じました。

当たり前のことなのですが、校正・校閲って、間違いや不適切を指摘することなんですよね。
わかっているんです。わかっていますよ。
でもね、字の細かい指摘・・・例えば、「聞く」「聴く」「訊く」を細かく直されたり、
「ラクになる」と書いたら「楽になる」と訂正され、「カタカナで書く意味が分からない」とか・・・。
そのような文字の訂正ならまだ機械的にできますが、
文章表現に対しても、「このような表現には違和感」とかコメントされたり、
「自己肯定感が高い」の部分は「聞きなれない言葉です」と修正されたりすると
素直には聞けなくなって、譲れないところは校正を無視したり・・・。
こんなのが100個も続くと、とても疲れるし、何より気持ちが落ちてきました。

はじめは新鮮で面白かったけど、「ダメ出し」ばかりされ続けていると、気持ちが落ちてきます。
たまには「『この文章はステキですね』とか、褒めてほしいわ」という気持ちになります。

わかってますよ。校正・校閲のお仕事は、間違いや適切でないことを正すことだと。
わかっていますが、どんなに正しくても的確でも、否定され続けると「心が折れます」ね。
自分(のやったこと)に「ダメ出しの嵐」を突き付けられて、久しぶりに「心が骨折」状態・・・。

徒歩10分のところに、美味しいケーキ屋さんがあります。
それなりのお値段ですが、ハズレがありません。どれも美味しい!
しょっちゅうは買えませんが、今日は朝から決めていました。
「午後には○○のケーキを買いに行くぞ!」と。

自分に優しくしてあげなければ、ここを乗り越えられない・・・。

仕事から帰ってきた娘が、ケーキのある事情を知って、大笑い。
娘に「心の複雑骨折状態」を共感してもらい、二人で美味しいケーキを食べました。

「明日も頑張るぞ!」 そして、「明日もケーキを食べたい!」