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コラム

娘と私と母と

掲載日:2017.05.02


 娘と大げんかをして、家を出ることになりました。
昨年の4月に、足掛け2年半の世界一周ひとり旅から娘が帰ってきて、一緒に暮らし始め1年が過ぎました。
 娘が大学を卒業し札幌の児童養護施設で働くために家を出て一人暮らしを始めてから10年が経ちます。職員へのひどいパワハラを始めいくつもの問題がある児童養護施設を2年で辞め、沖縄の波照間島でサトウキビ狩りをしたりペンションで働いたり、カナダにワーホリに行ったり、そして世界一周の旅をしたり・・・。娘が何をしようと応援していた私です。その間、時々帰ってきて数カ月を過ごすことはありましたが、1年も一緒に暮らしたことは、ここ10年ありませんでした。
 2年前の大病のせいか体調が今一つすぐれない中、自分のペースで暮らしてきた私の生活に10年ぶりに出現した娘との生活。これといった大きなことがあったわけではありませんが、体調がすぐれない私への共感もなく自分のペースでやりたいようにやっていく(ように私には感じられた)娘の言動に対し、時々は言葉で伝えてはいましたが、言葉にしきれないストレスの積み重ねが私の心身にたまっていたようです。
 考え方やとらえ方の相違から言い合いになり、娘が「それなら家を出て一人暮らしをするわ!」と言った時、私は思わず「うれしい!」と感じてしまいました。娘と別に暮らせることにこんなにも気持ちが弾むとは、自分でもびっくりしました。「娘との生活がこんなにストレスだったんだ」と改めて気づきました。
 娘と別居して困ることは、スマホの操作とサチの爪切りだけ。スマホはわからなくなったら誰かに聞けばいいし、うなって大暴れするサチの爪切りだって頑張ればできないことはない。
 「うれしいな、これで以前の平穏なマイペースな日常に戻れる」と思っていたら、翌日娘から「考えてみたら、やっぱりお母さんが出ていけばいい」「私はこの家で宿をやるから」と言われました。言われた瞬間、「相変わらずの自己中娘だ!」と腹が立ちました。お互いにたまっていた気持ちを言葉にしての応酬です。
 思えば、私は時々娘に対して「異星人」を感じることがありました。自分から生まれた子だけど、あまりにも私とは違う。私とは正反対の娘の気質を感じることが度々あり、正直に言って盲目的に「我が子がかわいい」とは思えない私がいました。婦人科の病気になり手術をし、「子どもは産めないかもしれない」と言われながらも授かった娘でしたが、「神さまは私を人間として成長させるためにこの子を授けてくれたのかしら」と思うようなことがしばしばありました。それでも、娘が1歳5カ月の時に離婚した後も、「母子家庭」のハンディを感じさせないようにと精一杯育ててきたつもりです。
 「何でこんな思いやりのない子に育ったんだろう。私の何が悪かったの!」と嘆く私に、「そもそも私を生んだことが間違っていたんだよ!」という娘の言葉は大きなショックでした。「私の人生を全否定するの!」と言って、私は大声で泣きながら二階の自分の部屋へ駆け上がりました。部屋で10分くらい声を上げて泣きました。思い切り泣いたら、その後は妙にスッキリとしました。
 「滝へ行こう」と思い立ち、30分車を飛ばし滝へ行きました。「白扇の滝」と呼ばれる扇のような広がりのある滝の流れを見つめるうちに、私の中の不必要な何かが一緒に流されていくような気がしました。滝にお礼を言って帰ってきました。
 その日の午後、私はグループホームに住む母と服を買うために久しぶりにお出かけの予定でした。いつも母の部屋でおしゃべりをして帰って来るので気づいていませんでしたが、いざ一緒に外出となると、母の体力の衰えを目の当たりにしました。
 それでも母は外出が好きで、車に乗る前から「うれしい!」を連発しています。車に乗り込むことも一人では難しくなっていました。母の手を引きながら、店内をゆっくりと歩きます。「広いね~」「迷子になりそうだね」を繰り返す母。そのおぼつかない足取りに「車いすをお持ちしましょうか」と店員さんに言われましたが、お礼を言ってお断りをし、二人でゆっくりと店内を歩きました。
 母の春の服を何着か選び、ズボンのすそ上げを待ちました。店員さんが椅子をすすめてくれて、二人で椅子に座って待ちました。待っている間、小さな子どもの姿が見えると「可愛いね~」と繰り返す母。「子どもは好き?」と聞くと「大好き!」と答えます。思い切って「自分の子どもは好き?」と聞いた私に「当たり前でしょ。我が子だもの」。何の迷いもなくそう答える母の前に、今我が子を愛せない私がいる・・・。涙がこぼれそうになりました。
 母の手を触ると冷たくなっていました。代謝が悪くなっているので、寒いようです。母の手を両手で包んで温めました。「ありがとう」という母は、もう私が娘であることもわかりません。ただ、「安心できる人」ということは感じるようで、私の顔を見るといつもうれしそうにしてくれます。
 この母とも葛藤の日々がありました。父で苦労をした母は私への期待が大きく、30歳を過ぎてからその母の手をふりほどこうとした私に、感情的に怒りをぶつけてきた時期がありました。そんな日々を乗り越えて、今は私のことがわからなくなった母を、愛おしいと感じます。
 同じ言葉を何度も繰り返す母。何をしてもすぐに忘れてしまう母。私のことがわからない母。そんな母に怒りも悲しみも抱くことなく、ただ愛おしいと感じます。何も報われなくても、今こうしてこの母と一緒にいる時間を幸せと感じられる自分がいる。そのことにただ感謝の気持ちになります。
 娘には「もっと思いやりが欲しい」と求めて報われず悲しみを感じ、母には何も求めず幸せを感じる。「求めることもなく、ただ愛情を注ぐ」ことの幸せです。
 娘が出勤した後の家に帰ったころには何かが吹っ切れていました。考えてみれば一軒家に私が一人で住むより娘が住んで民泊だかエアーB&Bだかをやるほうが、この家を有効に使えるなと思いました。「さすが、私と違って何でも合理的に考える娘だ」とへんに感心しながら、娘の言うことに納得しました。
 納得すると単純な私は、さっそく一人暮らしのプランを妄想します。「新しい人生のためのリセットだわ!」「どうせ家を出るなら札幌で暮らそう」。そう思いましたが、母を看取るまではそばにいたいと思いました。グループホームの近くに部屋を借りようか。あれこれ妄想が膨らみます。
 翌々日は私の誕生日でした。数週間前に娘が私のために予約しておいてくれたイタリアンレストランは、ケンカをした日にキャンセルしてもらっていました。
 誕生日だからと私のために休みを取っていてくれた娘は、その日、朝遅くに起きてきました。もうすっかり冷静な私は「やっぱりこの家はあなたが済んだほうが有効活用できるから、私が出ていくわ」と伝えました。娘はお父さん(私の元夫)とランチの約束をして出ていきました。
 夕方帰ってきた娘は、「お父さんとも話したんだけど、今のお母さんには1人暮らしは心配だから」と話し始めました。「お母さんに思いやりが無いわけではない」。「お母さんは私の良いところをごく自然に言ってくれるけど、私はお母さんへの優しい言葉なんて恥ずかしくて言えない」。そんなことも言っていました。私も自分の気持ちを改めて伝えました。
 ここ数日で、たまっていた思いや感情などをお互いに出し切ったので、二人とも冷静に話をすることができました。モヤモヤした感情を出し切らなかったら、本気で本音の話には進んでいけなかったと思います。改めてこれからのことなどを話し合いました。
 どんなに話し合っても理解し合えないところもありました。私が娘を「異星人」と感じると同様に、社会の常識にあまりとらわれない私も世間的に見ると「異星人」なわけでして、意外と常識人な娘には理解されない部分もあります。そんなわけで、理解し合えないところは二人で妥協点を探ってみました。結果、ルールを決め直してもう一度一緒に住むという結論になりました。
 「お父さんが買ってくれた」という高くて美味しいケーキを食べながら、あとはもうお笑いの世界です。「大人になってあんなにワンワン大声を上げて泣くなんてびっくりだわ」という娘は、私の泣き真似をします。二人で大笑いです。私は、「私の言葉で傷ついた時にはためないでその時にちゃんと伝えて」と言う娘に、いちいち「今の言葉、傷ついたわ~」とちゃかして返します。「傷ついたごっこ」と「大泣きごっこ」です。
 その後は、娘が作ってくれた美味しいパスタと季節のビールで乾杯です。「イタリアンは来月に改めて行こうね」と言ってくれました。大喧嘩と別居騒動は、こうして一件落着しました。犬も食わない夫婦喧嘩と言いますが、猫も食わない親子喧嘩とでも言いましょうか。サチとこじを一匹ずつ抱いて、「異星人」同士の生活はもうしばらく続きそうです。