女性専門カウンセリング|全国対応(北海道・札幌近郊・東京・さいたま・名古屋・福岡・大阪)|全国対応(札幌・東京・関東・関西・九州・四国)|コーチング,メンタリング,カウンセリング,セラピ


コラム

2015年から2016年へ

掲載日:2015.12.29

 2015年を振り返ってみよう。そう思った時に私の心に浮かんできたこと。
『世界中にテロの恐怖が拡大したこと』『辺野古に象徴される沖縄のこと』『原発問題』『化血研』『いじめ』・・・。個人的な出来事としては、やはり『スティーブンス・ジョンソン症候群』かな。あとは『歌うこと』。
 これらはあくまでも私の心に何の作為もなく浮かんだことです。頭で考えれば「もっとこういう問題もあるだろう」「これもはずせないよ」というものも浮かびます。でも、今は浮かんできたにまかせて振り返ってみようと思います。自然に浮かんできたこれらは、私の思いや感情と結びついていることのようです。
 『テロの恐怖の拡大』・・・2015年の初めの頃にこのことに触れていたと思います。「暴力に暴力で対抗しようとすることは問題の解決にはならない。これまでとは違ったやり方を智慧を出し合い真剣に考えていかなければ、恐ろしいことになっていく気がする」。確かそのようなことをコラムに書いた気がします。そして今、選択したやり方の結果を、私たちは世界中に危険と不安を感じることとして受け取っているのだと思います。動き始めてしまったこの流れを止めるのはとっても難しいことと思いますが、力を使って相手を抑え込むやり方ではない道を選択しなければ、私たちは今後世界中どこにいても不安と恐怖を強いられていくことになるでしょう。
 『辺野古に象徴される沖縄のこと』・・・このことを思うと、胸が痛みます。「沖縄の人たち、本当にごめんなさい」。何もできていない自分が歯がゆいです。どうして日本(本土?)の人たちは、沖縄の人たちばかりに痛みを強いて平気なのでしょう。平和を愛し自然と共に生きている人たちが大事にしているものを、どうして力づくで、金や権力で、奪おうとするのでしょう。基地問題は沖縄の問題ではない。日本の問題なのに、どうして本土(北海道は本土じゃないのかな?)の人たちは、沖縄に押し付けて平気なのかな?
 沖縄でなされていることを思う時、過去に世界の各地で起きていた出来事と重なって見えます。平和の中で精神的に豊かに暮らしていた民族や地域を、戦に長けた人々や民族や国が踏みにじり、豊かな自然や文化・文明を台無しにした歴史に思いが至ります。イスラム国が世界遺産を破壊していると非難されていますが、私から見れば、日本政府が沖縄にしていることはイスラム国がしていることと変わらないことのように思えます。みんなで大切にしていくべきものを、経済優先や軍事問題という特定の切り口や価値観で踏みにじっていくやり方が、今沖縄でなされていることだと思います。
 『原発問題』も同じです。福島の事故で未だに苦しい生活や人生を強いられ続けている人たちのことを始め、汚染水問題、除染の問題、この先何十年とかかる廃炉の問題、それらがほとんど解決できていない現状、そして使用後の核のゴミの最終処分場も決まらないという現実があります。そうした中でどうして再稼働や問題山積みの原発を海外へ輸出できるのか、私には不思議でたまりません。まだ痛みや苦しみの真っただ中にいる多くの人たちが存在しているというのに、まずやらなければならないのはそちらだと思うのに、そこには経済優先という価値観(少し譲って『環境問題』という価値観も入っているかもですが、本音は『経済』だと思います)しかないのでしょうか。本気でエネルギー問題を考えるなら、別の道を見出すことは可能だと私は思っています。
 そして『化血研』問題。『テロ』や『辺野古』や『原発』に比べれば、『化血研』を挙げる人は少ないかもしれません。でも私は辺野古や原発に勝るとも劣らない怒りを覚えます。この問題も利益優先で、『大切なことや人の命の質』が軽視されていたからこそ起きたことだと思います。『化血研』は、薬害エイズ問題の時にも責任を問われた組織です。その時にすでに今回の不正を起こし今回発覚するまで続けて来ていたというのですから、人間としての感覚を疑います。自分たちのやっていることがどんなふうに人さまの人生に影響を及ぼすかということを、利益に目がくらんだ人たちは想像することができないのでしょうか。そんな奴は「人間やめちまえ!」と言いたい。
 私は『薬害エイズ』や『サリドマイド』など薬害に対して、いつも強い怒りを覚えます。辛い病気を抱え、その治療や緩和のために使用した薬で更に重篤な病や障害を負うことになってしまった方たちが多く存在すること。個別の事案では人数的には多くないのでマスコミにも取り上げられずほとんど知られることもなく救済も満足になされずに辛い人生を強いられている他の薬害被害者の方たちも少なくないのではないかと思っています。
 これらの問題が避けられない過失であるなら、まだ承服します。でもほとんどの問題が、この薬を使えば何らかの問題が生じる可能性を製薬会社が知りながら作り続け売り続けたというところに、私は強い怒りを覚えます。
 形を変えて何度も社会問題となりながらなぜこのようなことが平気で継続されてきたのかを思う時、私は先の大戦で起きたことと無関係ではないのではないかとの思いに至ります。それは、中国大陸で多くの中国人を生きたまま人体実験をしたいわゆる『石井部隊』、そして墜落した米軍機の捕虜8人をやはり生きたまま人体実験をした『九州大学医学部』の問題。私の知る限りでもこれらの問題を本当の意味で総括せず、無かったことにしたい人たちが多くいたこと、関係者の多くが戦後そのまま医療現場や製薬会社の役職に就いていたという事実。このような日本の体質が、何ら反省もなく許しがたい問題を継続している大元にあると私には思えます。
 『いじめ問題』も同じです。人の痛みを自分事として思えない人たちがそういうことをする。子どもの世界だけではなく、大人の世界でも変わらないことをしている人たちが少なくない。そういうことが許される社会が、新たな犯罪やテロを生み出していると思います。いじめられたり理不尽なことをされ続けた人は、何かのはずみで逆の立場に立って自分がやられたように他人を傷つけるようになりかねません。幸いなことは、痛みを負わされた人がみんな報復するわけではなく、そこを一生懸命に乗り越えて、負の連鎖に向かわない人たちの方が多いことが救いです。
 私たちが自覚しなければならないことは、この社会で誰かの大切なものを奪うことや理不尽な痛みを他人に与えている人たちはもちろんのこと、「自分とは関係ない」として許していることや見てみぬふりをしている人たちも、この社会が悪い方に進んでいくことに確実に加担しているということです。
 ここに挙げた問題に個人的に直接関わることは難しいとしても、何らかの自分なりのアクションを起こしていくことは可能だと思います。私なりのアクションの一つが、ここにこうして書くことです。ここに挙げた事柄は全て根は同じだと私は思っています。
 こうして2015年を振り返って書いてみると、私にとっては『哀しみ』に裏打ちされた『怒り』が強いのだと気づきました。
 個人的な出来事について書くところまで行きつかないうちに、こんなに長くなってしまいました。個人的な出来事についてと2016年に向けては、次回にしようと思います。

 みなさんの2015年はどのようなことが思い浮かびますか?そこにあなたのどんな思いや願いがあるのでしょう?年末年始に少し時間を取って、自分の心に問いかけてみるのもいいかもしれませんね。そこから2016年をどう過ごしていきたいか、どう生きていきたいかが見えてくるかもしれません。
 2016年も、一緒に生きていきましょうね。