「生産性のない」母の周辺にあるもの

掲載日:2018.08.07


先日の日曜日は、母が入所しているグループホームの夏祭りでした。
私は毎年参加していますが、その年によって私の娘や札幌に住む妹が一緒に参加します。
今年は、札幌の妹が来てくれました。

3時間ほどの催しですが、母は去年その時間さえもたず、途中で退席しました。
私も妹も、今年はもっと無理だろうと思っていました。
職員さんたちも、そうなるだろうと体制を整えていてくれました。

そしてたぶん、母との最期の夏祭りになるだろうと、私は思って参加しました。

そんな私たちの予測と準備態勢をよそに、今年の母は意外に意識がはっきりしていて、
終了時間のギリギリまで何とかその場にいることができました。

そして、母の意識が落ちてきたと同時に職員さんたちが母の退場の動きに入りました。
その姿は、本当に日常の母をしっかりと見ていてくれているからこそできる動きでした。
心のこもった迅速な対応に、改めて感謝の気持ちを抱きました。

日常生活についても、娘としての私たちは、すっかり食欲も落ち満足に食べられなくなっている母が
自然な形で命を終えていけるように、点滴等の栄養補給はお断りしています。

そんな母に、ホームの職員さんたちは、「少しでも口から食べられるように」と
さまざまな工夫をして食べさせてくれています。
また、歩くことがおぼつかなくなった母には、車いすの生活にしてしまったほうが職員さんとしては楽になりますが、
可能な限り手を引いてゆっくりと移動させてくれます。

このような職員さんたちのきめ細かな関わりのおかげで、
母は寝かせられきりにならず、褥瘡(じょくそう)で痛み苦しむこともなく、
極力自分の力で最後の命を使いきる人生を歩んでいます。

そのやり方は決して効率的とは言えず、時には経営者側と合わないこともあるでしょう。
そのギリギリのところで誠実に母と向き合ってくださっている職員さんたちに、頭が下がります。

最近話題になっている「生産性が無い」発言や重度の障がい者を殺傷した植松被告の発言などに照らしてみると、
今の母もそのカテゴリーに入るのは確実なのだろうと思います。

社会で問題になる差別的な発言を耳にするたびに憤りや怒りを感じながらも、一方で、
「自分の中にそのような価値観は全く無いと断言できるのか」という問いを向けてみると、
かすかな痛みと後ろめたさを感じる私がいます。

「そのような差別的な価値観は皆無である」と胸を張れない私であることを告白しつつ、
そんな私が、目の前の「生産性の無い」母と向き合った時に、
そこには「生産性」では計れない、言葉では簡単には表せない豊かなものを感じています。

ホームの職員さんたちも、最初からみなさんが良い関わりをしてくれたというわけではありません。
今でも、不機嫌だったりおざなりな対応であることを感じる職員さんもいます。

それでも、最初はたった一人の心ある職員さんが、
私の母だけでなく入所のお年寄り誰に対しても誠実に向き合い続けてくれた結果が、
今の状況なのだろうと私は思っています。

そのようにたった一人の存在があることで、母のような入所者はもちろんのこと、
同じ働く職員が影響を受けていく、そのようなプロセスが大事なのだと私は思います。

それは、見た目はカッコよくもなく楽でもない世界ですが、
「効率」や「生産性」ということのみにとらわれている人には理解できないであろう
「援助される側」のみならず「援助する側」をも
人として生きていくプロセスを豊かにしてくれる世界なのだと感じます。

夏祭り会場から去る時に、座位を保つのも難しくなっているにもかかわらず、
母は私たちが差し出す手を受けることなく、なかなか立ち上がろうとしませんでした。
職員さんに迷惑をかけないようにとの思いから、私はほんの少しだけ母を急かしました。

そのとたんに、母は私に向かって「そんなふうにしないでください!」と強く言いました。
その時私は、母からピシャリと拒否されたにもかかわらずちょっぴり興奮しました。
「これぞ、お母さん!」と瞬時に思いました。

最近はすっかり穏やかになり仏様のようになっている母が、
私が誰かはわからないながら感情をぶつけたことを、私は嬉しく感じました。
母の中にまだ「母らしさ」が残っていることを知って、嬉しく感じました。

意に添わないことを強要されそうになると、時々こうして感情をあらわにすることが、
母にはまだあると知って、職員さんにはご苦労をかけているなと思いつつ、
昔は母のこういう所がイヤだった私が、今はその「母らしさ」の一端を垣間見られたことを嬉しく感じました。

人の心は面白いです。
少なくとも私は、一時期、母が大嫌いで、「なんでこんな人が私の母親なんだろう」と恨めしく思い、
父に対してはもっと強くそんな感情を抱き、自分の生まれた環境を恨んでいた時期があります。
そんな私が、今は、亡き父を含め、母のことも愛おしいと感じるようになるなんて・・・。

人の心は面白い。興味深い。 (だから私は学び続ける。)

そして、「生産性」や「効率」が排除したものの中に、
簡単に言葉で表したり計ることができない、人にとって「大切な何か」があることも・・・。

杉田水脈さんにも、そんなことを知る機会が訪れるといいですね。