ここに体験記を寄せてくれたみなさん、ありがとうございます。

改めてみなさんの声を読ませていただいて、私はみなさんによってここまで育てられたことを感じます。
ここにはいいことばかり書いてくださっていますが、私が役にたてない時もあったと思います。
そんな時の自分に対しての悔しさや情けなさをエネルギーにして、私は自分をここまで引き上げてくることができたと思っています。
みなさん、ありがとうございました。
このホームページの主要な部分を為すのは、このみなさんの声なのだと今感じています。
みなさんの体験談が、これを読んだ誰かの今を、人生を、そっと応援することを感じます。
自分自身と向き合うことから逃げず今もご自分の人生を大切にしっかりと歩み続けているみなさんに、
リスペクトの気持ちを捧げます。

・・・紀代子

下のバーをクリックすると、それぞれの体験談が読めます。

30代 関東

あれほど鳴るのが怖かったスマホ。
着信に「母」と表示されるのを見ただけで死にたくなったあの日から、10ヶ月が経ちました。

私は普通の両親のもとに、3人兄弟の一番上の娘として生まれました。弟が2人います。
大学進学時に実家を出て、結婚して、娘を産んで、離婚して、娘と2人暮らし。
離婚したけれど、仕事に恵まれたので生活は苦しくなく、娘と2人で楽しく暮らしていました。
母とも年に2回は旅行に行き、毎月実家に帰るほどには良好な関係のはずでした。

でも年々心が重くなり、常に遠くに行きたい、別に死んでも構わない、そんな風に思うようになりました。
原因はよくわかりませんでした。傍目にも不自由なく楽しく暮らしているように見えたでしょう。

ある日、私と娘と母、それに私の友達と4人でいる時に、私の友達がこう言ったのです。
「お母さん、それはいくらなんでもひどくないですか」と。
それは母が私に対して、「この子は昔から何を考えているか分からなくて気持ち悪い」
という発言をしたことに対して向けられたものでした。

私が母を庇わなかったせいでしょう。母の反応は激烈で、私に与えたあらゆるものを奪い、
過去のことを延々と電話で責め立てるようになりました。
私はひたすら謝り、過去にかけてもらったお金もかなり返還しましたが、
なおも電話をかけてきてはひたすら昔のことを責めてきました。

そんなある日、本当にもう死にたくなったのです。電話がかかってくるのが怖くて怖くて。
昔から気に入らないことがあれば不機嫌になって私を全否定してくる母で、
機嫌を取るので精一杯でした。
でももう最初から不機嫌に電話をしてくるのだから本当につらかったのです。

しかし同時に思ったのです、こんなのおかしいと。
「悪いのは私で、何かを我慢してがんばればうまくいく」と思っていたけど、きっと違うのだと。

ネットで母娘関係の問題について検索を繰り返し、そして紀代子さんに辿りつきました。
直感でこの人だと思い、すぐにカウンセリングを予約しました。

紀代子さんにポツポツと色んなことを話しました。
最初は自分のことをあまり話せなかったけど、
ほんの少し口にするだけでも紀代子さんが掘り下げてくれて、
その度に涙が勝手に出て泣いている状態が何回も続きました。

泣いたあとは不思議と眠くなって、次の日になると少し心が軽くなりました。
話したことを再度思い出しても、もう涙は出ません。

そのうちに母に反抗できるようになりました。
電話で、「いい加減にしてほしい」「お母さんだってこんなにひどいことをしたじゃない」
「そんな話しかしないなら電話切るよ」などと、今まで口にしたことがないセリフもたくさん出てきました。
しまいには、「もう嫌!!」と私は大きな声で怒鳴っていました。

電話を代わった父にも、「お父さんは、お母さんの言うこと聞けっていうけど、
私にだって限界があるのよ!」と泣きながら叫んだほどです。

そんな電話を2回したけれど、父はその後もいい意味で別に変わらなかったし、
母も不機嫌な電話をしてこなくなりました。
用件があってかけてきても、拍子抜けするほど普通に明るい電話なのです。

なんだ、言いたいことを言えばよかったんだ…そんな風に思いました。

一方で、中学生の娘との関係にも変化が出てきました。
前はあまり甘えてこなくて、常に私と母の関係や私の心を心配をしていた娘が、
「お母さん大好き」などと甘えてくるようになったのです。
反抗期のはずなのに素直で、精神年齢の進みがなんだか遅い気がしていましたが、
私が安定していなくて心配だったのだと思いました。娘も前より楽しそうです。

また、紀代子さんが「常に母の機嫌を取っていたため、必要以上に人に気を使うクセがある」面も
指摘してくれたので、だんだん直すようにしてきました。
すると友達に誘われる回数が増え、「一緒にいても気を使わなくていいから楽」と言ってもらえたのです。
とても嬉しかったです。

精神が安定してきたことにより、仕事もたくさんできるようになって給与もあがり、
更に他人に心を開くことが少しずつできるようになったせいか彼氏もできて、
娘と3人で遊んだりしています。

なんだかあやしいパワーストーンの広告みたいになってしまいましたが、
こんなにも精神が自分に与える影響は大きかったんだと驚きました。

あれほど鳴るのが怖かったスマホだけれど、だんだん怖くなくなっています。
もちろんまだ着信に「母」と出ると身構えますが、「家に来いと言われても、嫌だったら断ろう」
などという心づもりでいるのであまり負担ではありません。
先日など、「もう誕生日とか母の日にプレゼントは送らないからね。
でもまあ、美味しそうなものとかあったら送るよ」とも言えました。
そんなことを言ったらキレるかと思ったのに、「あらそう」だけでした。
昔はあんなに強要してきたのに本当に不思議です。

最後に、あれほど顔を見るのも話すのも嫌になっていた母なのに、カウンセリングを受けるにつれ、
嫌いな感情が少しずつ薄れ、中から感謝の念も生まれてきたことをお伝えします。
以前は自分を納得させるために、「でも不自由なく育ててくれたし、
お小遣いとかもくれるし…」と思っていたことが、
自分を納得させるためではなく、ごく自然に思えるようになったのです。
まだほんの少しですが。

私は、人生の半分以上を母とは離れて暮らしている計算になります。
それにもかかわらず、常に母の存在に縛られていたことに気づき、
少しずつその呪縛から解放されてきていることを感じます。

まだカウンセリングは続きますが、10ヶ月でこんなに人生が楽しくなるとは思いませんでした。
少なくとも、死にたいと思っていた自分はいません。

これを読んでいる、同じような悩みを持つ方が、少しでも辛く重い気持ちがなくなりますように。

40代 東京

母の望むようなことを言い、母の望むようなものを選ぶ。
私の人生はずっとそうでした。

少しでも母の意にそぐわないことを言ったりしたりすると、
母はてきめんに機嫌が悪くなり、私は自分がダメな子だと強く感じました。
「感じさせられました」と言うほうが正しいと思います。

強烈に罵倒され否定されている時には、
「このまま死んでしまいたい」という思いと共に、
母の前で頭を垂れていました。

生きるのが苦しくて20代30代は色々な人からカウンセリングを受けてきました。
私の辛さをわかってくれるカウンセラーさんもいれば、
「親の愛情」や「子どもとはこうあるべき」を説教する人もいました。

いろいろ経て、最終的に私は母と絶縁することに決めました。

それ以降は、直接母から傷つけられることはなくなりました。

なのに私の生きづらさは解消しませんでした。
縁を切った罪悪感や、それでもこれ以上傷つけられることに耐えられない思いや、
いろいろな感情が押し寄せて、私の心は苦しいままでした。

そして紀代子さんにたどり着きました。

お試しセッションを受けてみた時に、
「この人はこれまでのカウンセラーさんたちとどこか違う」と感じました。

言葉だけではない、なんというか、
言葉の下にある何かにまで触れてくれるというか。

紀代子さんのセッションを受けていくと、
理由がわからない涙が毎回流れました。

今思えば、母から打ち込まれた楔(くさび)が心の深いところにたくさん刺さっていて、
心のあちこちからたくさん血を流していたのだと思います。

言葉で直接そういうことを言っているわけではないけれど、
紀代子さんのセッションを受けていると、
その錆びた楔(くさび)が一本ずつ抜けていくような感じでした。

そして、その傷口を消毒してもらって優しく手当てをしてもらって1回のセッションが終わる、
というような感じでした。

セッションのたびに毎回涙が出て、気持ちが軽くなっていきました。

物理的に母から離れたにもかかわらず、
私は強固な鎖で自分を縛っていたようです。
母からの「呪いの鎖」です。

その鎖が徐々に外れてきて、それにつれて私は
「自分の人生を生きていいんだ」と思えるようになってきました。

今は、誰に遠慮を感じることもなく、自分の人生を生きたいと思っています。
こんなに清々しい気持ちで生きられるようになるなんて、
2年前の私には想像もつかないことでした。

いろいろ探し回って、紀代子さんにたどり着けて
本当に良かったと思っています。


30代 東北

私は、父・母・母方の祖母の4人家族の中で、一人っ子として育ちました。
振り返ると、私は幼少期から母とはあまり馬が合わなかった気がします。
明確に「嫌い」とは思っていませんでしたが、よく怒られていたし、褒められたり、抱きしめられた記憶はほとんどありません。

今の主人とは、2年ほどのお付き合いを経て結婚の話になりました。
(この頃父と母は離婚しており、私は既に主人と同棲していたので、実家には母と祖母の二人でした。)

結婚の話までは順調に進んだのですが、いざ籍を入れるとなった途端、母の態度は一変しました。
「私を置いて家を出ていくなんて裏切り者だ!」と猛反対され、入籍は延期となりました。
(主人との兼ね合いもあり同居の選択肢はありませんでした。)

それから数ヶ月、何とか説得して入籍までこぎつけましたが、そこからが大変でした。

母を置いて家を出たことにいつも罪悪感を抱えていた私は、母のためにできることは何でもやらなければ、と思っていました。
母は車の運転ができないので、毎週末は買い物のために必ず実家へ向かいます。
向かう途中は母の機嫌が悪くないことを祈りながら、いつも緊張していました。
本当は行きたくないので、家を出るまでの準備もなかなか進まず、重い腰をあげてやっとこさ家を出るといった感じです。

結婚後も毎月母に仕送りをしていたので、とにかく働かなくてはという思いが強く、子供については二の次になっていました。
主人も実家の状況は分かってくれていたので、自分から子供が欲しいとは一度も言いませんでした。

そんな感じで自分では母の為にできることを精一杯やっているつもりでしたが、何かにつけて母から心無い言葉を浴びせられました。

「親を置いて出ていくなんて信じられない」、「離婚して戻ってこい」、「私がどんなに寂しい思いをしているか、お前に分かるのか」、「親を泣かせていいと思っているのか」、などは耳にタコが出来るほど聞かされました。

私は自分の気持ちをあまり言わないタイプなので黙って聞いていると、「なんで何も言わないんだ。何か思ってることがあるなら言ってみろ」と言われます。
頭が真っ白になりながらも何かを発すると、「言ってることがよく分からない。私が間違ってると言いたいのか!」などと言われる始末。
そこからは何も言えなくなり、許してもらえるまで謝って、なんとかその場を収めてから家路に着くといった感じです。

私は母が泣いているのは自分のせいだと思いつつ、どうしてそこまで言われなければならないのかと、いつもモヤモヤした気持ちを抱えながら、辛く苦しい日々が続きました。

そんな日々を繰り返していたある日、私が実家に泊まっていた次の日の朝に事件は起きました。

リビングでTVを見ていた時に、私が何気なく放った一言が母の地雷を踏んでしまい、いつものように何だかんだ言われた後に、「あんたが泊まりにくると好きなTVも見れないんだよ!」と言われ、私の心はポキンと折れました。

私だって泊まりたくて泊まってるわけじゃない。母のために泊まってあげてるのに、なんでそんなことまで言われなきゃならないの!

今までは母から何を言われても泣いて謝って母が許してくれるまで帰れませんでしたが、この時は違いました。
このままここに居たら何をしてしまうか分からないくらい、怒りで体が震えていました。
無言で実家を後にして、家に着いて布団にくるまって大泣きしました。
誰か助けて!と叫びながら、頭がおかしくなりそうでした。

しばらく経って落ち着いてきたころに、この気持ちを誰かに聞いてほしい!と思い、スマホを手にしました。
そこで目に留まったのが紀代子さんだったのです。
藁にもすがる思いで電話をしました。
紀代子さんは号泣しながら話す私を、優しく包み込むように話しを聞いて下さいました。
あの時はこんな私の話を聞いてくれる人がいるんだと、心から救われた気持ちでした。
確か電話は30分くらいだったと思うのですが、電話を切った後に直感で紀代子さんのセッションを受けたいと思ったのです。
それが3年ほど前のことです。(結婚して約9年の頃です)

そしていよいよセッションが始まりました。
まず初めに訪れた最初の難関は、“母と距離を置く”ということでした。
紀代子さんから提案された時は、そんなこと絶対に出来ないと思いました。
距離を置きたいと伝えたら母から何と言われるだろう、怒り狂って家に押しかけてくるのではないか、もしくは死んでしまうのではないかとすら思いました。
でも私は今までの生活を終わらせたいと強く思っていたので、紀代子さんの全面的なサポートのもと、母と距離を置くことを決めました。
母へ送るメールなども紀代子さんにチェックしてもらい、いざ母へ距離を置きたい旨のメールを送りました。
詳しい内容は覚えていませんが、案の定怒りに満ちた返信が届いたと記憶しています。
私はその返信に対して返事はしませんでした。

そしていよいよ母と距離を置く生活が始まりました。
最初の頃は毎日毎日母のことしか考えられず、家に来たらどうしよう、道であったらどうしようなど怯えて過ごしていました。
いっそのこと謝って実家に行ってしまおうかと思ったこともありました。
辛くて怖くて逃げ出したくもなりましたが、その間にも紀代子さんにはセッションをしながら支えてもらっていたので、一人じゃないと思えていたことがとても心強かったです。

そうして距離を置いてから一か月ほど経った時(実際はもう少し短かったかもしれません)、久しぶりに母からメールが届きました。
一瞬にして緊張が走りました。
震える手でメールを開くと、「祖母の調子が悪いと施設から連絡があったから、一緒に施設へ行ってほしい」という内容でした。(この頃祖母は施設に入所しており母は一人で暮らしていました)
私は半信半疑でしたが、祖母のことを出されると無碍にも断れず、意を決して実家へ行くことにしました。

あの時の緊張は、今思い出しても動悸がするほどです。
母はどんな姿でいるのか、実は祖母の件は私を呼び出すための嘘でめちゃくちゃ怒られるのではないか、また泣かれて元の生活に戻ってしまうのではないか、などありとあらゆる悪いことが頭の中を駆け巡りました。

そして実家に着き、いざ玄関を開けると、そこには普通の母がいました。
そして第一声が「ごめんね、ありがとう」でした。なんだか拍子抜けです。
それからも距離を置きたいと言ったことには一切触れられず、祖母の施設に行っただけでお別れしました。
この時に、“母は私がいなくてもちゃんと生活できるんだ”と思ったことを覚えています。

それからも母とは適度な距離を保ちつつセッションを続けました。

そして私が変わったことで母も変わりました。
本人に変わった自覚があるかは分かりませんが、確実に変わったと思います。
以前は私がいないと生きていけないのでは?と思うほど依存されていましたが、今は自分のことは自分でやり、母なりに自分の生活を楽しんでいるように感じます。

紀代子さんのセッションは魔法のようで、その時はなかなか変化に気付けなくても、後から振り返ると大きく変わっている事に気付きます。
毎回セッションが終わった後に、紀代子さんからかけて頂いた言葉を振り返ったり、やってみるといいよと言われたことをやってみると、次のセッションまでに新しい気付きがあって、その小さな積み重ねが、半年後、一年後に大きなご褒美として返ってくるという感じです。
なので、私はセッションが終了した後も、心の整理がつかなくなると単発でセッションをお願いして、自分と向き合うことを続けてみました。

そしてセッションを終えてから約半年ほどして私は息子を授かりました。
妊娠が判った時は信じられず、検査薬を持った手が震えたのを覚えています。
主人をはじめ、家族みんなが息子の誕生を喜んでくれました。

出産後、母は何かと手伝いに来てくれて、息子の面倒もよく見てくれました。
とても有難く助かっていたのですが、必然的に関わりが増えたことと、産後のホルモンバランスの乱れからか、一時昔のトラウマが蘇ってきて、母といる時間がしんどくなっていきました。

紀代子さんに単発のセッションをお願いしたりしながら、なんとか気持ちを保っていましたが、また頭の中が母でいっぱいになりそうでした。
これから息子を育てていく中で、この状態は辛いなと思い、私は母に胸の内を打ち明けてみようと思いました。

いつものように母が手伝いに来てくれていた日、ちょうど母の日が近かったので、急に今だ!と思い、緊張しながらも自分の気持ちを伝えてみました。

最初は日ごろの感謝を伝えて、その後はこれまでにあった色々なことがトラウマになっていたことや、これまでの気持ちの変化などを話しました。
母は黙って聞いてくれました。
そして、私に酷いことを言ったことは自分でも自覚していると言ってくれました。
こんなにストレートに母に気持ちをぶつけたのは初めてだったので、どんな反応が返ってくるか怖かったのですが、母が私の話を受け止めてくれたことで、母は話せば分かる人なんだと分かり、その日からとても心が軽くなりました。

今までは母と一緒にいると、余計なことを言わないようにしなきゃ、とか、別れた後も、あれ言わなきゃよかったかな、とか、あの態度大丈夫だったかな、など色々なことが気になっていたのですが、今ではそのようなことがほとんどなくなり、母といることが苦痛ではなくなりました。
こんな日がくるなんて、自分が一番驚いています。

3年前の私は未来に希望が見い出せず、毎日どこにもぶつけられない不安や怒りを抱えて過ごしていました。
でも今は10年後、20年後の自分に出会うのを楽しみにしている自分がいます。

私は紀代子さんとのセッションを通じて、“人は変われる”、ということを身を持って体験しました。
今でもたまに昔の感情が蘇り、母や父に対する怒りや憎しみが込み上げてくることもありますが、そんな時は自分を責めたり落ち込んだりせず、そんな時もあるよねと、とことん甘やかすようにしています。

これからも迷ったり悩んだり色々なことがあると思いますが、“私の一番の味方は私”でいられるように、引き続き自分と向き合っていきたいと思います。

30代 東京

現役中は会社の相談室や産業医にもかかりましたが、休職しても改善しませんでした。休職と復帰を繰り返す中で自分で自分を追い詰め、一部上場企業を退職しました。
その後個人的に精神科や心療内科にかかりましたが、どこにも助けてもらうことができないと感じました。私の人生はこれで終わるんだと思いつめていた頃に知人の紹介で紀代子さんを知り、わらにもすがる思いで連絡を取りました。

初めてスカイプで話した時に、「この人なら私を救ってくれるかも…」という予感がありました。
紀代子さんは「カウンセリングの技術」ではなく「人間性」で私と関わってくれた気がします。毎回のセッションで紀代子さんがかけてくれる言葉が心身に沁みていきました。
私はどんどん回復して、今1年が経ちます。自分がこんなふうに元気になるなんて、あの頃には想像もできませんでした。
今は、自分の未来に希望を感じています。

40代 北海道

子どもの不登校、自傷行為(リストカット・食べ吐き)に悩み、セッションを受け始めました。
はじめは「あの子をどうにかしてほしい!」と思っていました。でも「他人をどうにかすることはできませんよ」と、優しくしかしキッパリと紀代子さんに言われました。
はじめの頃は正直かなり反発心がありました。巧みに抵抗する私に、紀代子さんは手を焼いたことと思います。
でも私のゴマカシを紀代子さんは絶対に聞き逃しません。大きな優しさに包まれた厳しさだったと今になってわかります。 私が泣きながら自分と向き合っていった結果、気づけば子どもはいつの間にか学校に行くようになっていました。紀代子さんに止められていたので子どもには「学校へ行くように」とは一切言っていなかったのに、です。自傷行為も今はありません。驚くべし、紀代子マジック! 子どもたちとこんなふうに笑いあえる日が来るなんて、あの苦しかったころは思いもしませんでした。
家族の関係は変えられるんですね・・・。 「子どもの問題行動はすべて親に原因がある」とは決して言いません。
でも、以前の私のように「私には何の問題もありません!子どもがおかしいんです!」と言い切れる人は、自分を振り返る中に何かを見つけられるかもしれないと、今の私は思います。

40代 北海道

「あの頃の自分、悩みの中にいる愛すべき人たちへ」

私は、ぶれない自分でいたいとコーアクティブコーチングを受けることを決めて、
一年間、自分と向き合った。そしてコーチングを卒業して8年が過ぎました。
今、あの頃の自分に伝えるとしたらどんな言葉を伝えるだろう?
自分と向き合うことに大きな不安を感じていた。
過去の辛い出来事と向き合うことは辛い、一歩が出ない。
そんな私の側にいつも寄り添ってくれていた紀代子さん。
コーチングの最後に「これからどんなことがしたい?どんな自分でいたい?」と問いかけられても将来の自分をイメージ出来なかった。
今、私があの頃の私に伝えるとしたら「大丈夫!変わることは必然。
自分に忠実でありながら自分らしく生きられる!」ということ。
恐がらず、悠々と生きよう!きっと自分らしい幸せを心の中に感じられる貴方に変われる。
目標にしていた「柳のように柔軟に大事なことを芯に持ちながら生きたい。」
そんな気持ちになれるから、大丈夫だよ、という言葉かな~。
辛い過去があったね、その辛さから逃げずに生きられた。
「辛かったね」と、幼かった私を抱きしめる私がいます。
前に進めるようにと、紀代子さんとのセッションでいくつも手放した感情があった。
コーアクティブコーチングに出会えなければ私はどうしていただろう?
考えるのはもはや無駄なこと、私はもうこの私で生きる!感じることを大切に生きる!
これからの私に出来ることは、私に送られたギフトを最大限に生かすこと。
ただ最近、送られたギフトはまだあるかも?なんて感じている。どんな私でいられるのかはお楽しみ!どんな出逢いがあるのやら、、、乞うご期待。どうやら私の物語はまだ続きがあるらしい、、、
「悩みの中にいる愛すべき人たち」いつか貴方と出逢う日がきたら貴方の物語を聴かせてね。

30代 北海道

私には夢がありました。でもそれはうまく説明できないことで、友だちからは相手にされず親も「また始まったよ」と冷たい視線でした。
私は自分がおかしいのかなと思うようになり、だんだん誰にも言わないようになりました。あるきっかけで紀代子さんと話すことになり、『心の奥に押しつぶしていた夢』のことをぽろっとしゃべってしまいました。紀代子さんは目をキラキラさせて「それで!それで?」と聞いてくれました。私の話をこんなに楽しそうに聞いてくれる人は初めてでした。
「でも、どうやって実現したらいいかわからないんです」という私に紀代子さんは「○○さんは、まだ誰も歩いていない道を作っていくんだね!」とこれもうれしそうに言うんです。私より紀代子さんの方がうれしそうでした。「そっかー、誰も歩いていない道だからうまく説明できなかったんだ」とその時にわかりました。
それから二人で計画を立てるのは楽しかった。その後、時々紀代子さんに途中経過を報告するのを楽しみに、私の夢の実現計画は進行中です。親や友だちも少し態度が変わってきました。紀代子さんに出会わなかったら、この夢はこの世界に現れることは叶わなかったと思います。

40代 東京 コーチ

きよちゃんのコーチングの特徴の一つは、セッション中も、セッション外と変わらないBeingで、きよちゃん「”個人”がいる」ということだと思います。「個人」としてのきよちゃんが絶妙なバランスで「いる」というBeingなのです。
ファカルティの人たちも皆素晴らしいBeingだと感じるんだけれども、私の知る限り、「個人」としてのコーチの存在感は感じません。「私は置いといて、今はあなたの時間よ」というスタンスというか。これをスタンダードと思っている人にとっては、コーチ「個人」がいるセッションに、最初ビックリするかも?(多分)
きよちゃんは、セッション中に自分の出来事を話すわけじゃないけど、「きよちゃん個人が」共感したり、反映したり、などなどしてくれているとすごく感じます。かなり、友人との対話に近い、んだけど、コーチングというフシギ。絶妙のさじ加減。妙技ですね~!
「私」として耳を傾け、私自身や私の出来事さえも道具に使うけど、「私」の話をするための時間にはならない。なぜなら、クライアントの内なる旅が最大限充実したものになるのを願っているから。同時に、コーチとクライアントは大きな同じシステムの一部であるので、クライアントの内なる旅は、コーチ自身の旅でもあり、「わたし」と共に旅をしてくれていることに、常に感謝の気持ちがある。
これは、私自身がコーチングに対して持っている価値観や信念を言葉にしてみたものですが、直感ですが、なんとなく、きよちゃんも近いものを共有している感があります。書きながら、もしかするとORSC的な信念がベースにあることが違いを生んでいる一つかもしれないと思いました。
もう一つは、「毎日が、振り切ってシナジー」みたいなことかな?笑
ベテランコーチって、だいたい指針とかもう意識的には使ってないって言うし、確かにオリジナルだなあ~と受けてる側としても感じるのだけど、それなりに「コーアクティブ」という枠組みが見える範囲での枠外しというか、安心領域内での枠超えなのです。
その点、きよちゃんは、本質として、すっごくコーチングの王道、ど真ん中を行っていると同時に、振り切ってコーアクティブだかなんだかわからない「きよコーチング」感があると思います。笑)
きよちゃんのコーチングってどんなものなのか、どんなところがいいのかという問いの一番の答えは、ここですね~。
あとは、居合切りのような、切れ味の清々しさも好きです。自分じゃ全く見えてないコリのパターンのツボを、ピンポイントでバッサリ。笑
痛さを通り越して、もはやキモチイイ。「そこでしたあーー!!」みたいな。
母性と父性の絶妙なバランスも、キテます。どっちも振り切ってズバアーーンと入ってくるというか。と思いきや、放置プレイもあったり。
まとめると、いつでも予想外ってことですネ。
あとは、磐石の安定感、グラウンディング感というか、威厳があって、程よい緊張感が生まれます。目が覚めるというか。
きよちゃんが、私にかけてくれる言葉を選ぶとき、文字でも口頭でも、すごくすごく丁寧で繊細だなあ〜、と感じます。バッサリ大胆なんだけど、同時に繊細という。
コーチング界のモハメド・アリですね。笑
結構挑発的だし、根底に深い愛と思索があるところも、ピッタリ。
丁寧に言葉をかけられることで、私自身がとても丁寧に大事なものとして扱われてると感じ、そこから私が私を大切にする自分が生まれ、育っているなーと思います。
これは、よいコーチとの関わりであれば、どんな人とでも起きていると思うし、ルーツはお母さんを一番に、両親との関わりだと思いますが、今の私にとっては、きよちゃんの挑発バッサリAND繊細さの振れ幅の大きさ&突き抜け感が、ちょうどピッタリ!の感があります。
ここのとこは、理屈ないですね。今の私に、きよちゃんクオリティのバッサリAND繊細がピッタリな理由がわかるのは、きっと卒業するときか、さらにもっと後なのかもしれません。

40代 男性

外資系企業の日本支社長をしておりました。私自身にはアメリカ本社推薦のコーチもつき、優秀な部下たちのおかげもあり、日本支社は順調に業績を伸ばしておりました。仕事にやりがいと誇りを持ち家族関係も良好で、順風満帆な人生を送っておりました。
そんな折、ある会合で浜田さんと出会いました。たった一度の出会いでしたが何かとても深いものを感じ、この人に自分のプライベートのコーチングをお願いしたいと感じました。
スカイプでの月2回のセッションが始まりました。彼女になら私のこの微細な感覚を話してみようという気持ちになりました。「これほど恵まれた環境にいる自分は、これ以上望んではいけない」と無意識に自分にかけていた制限を、彼女は軽やかにはずしてくれました。
私は自分の夢を言葉にすることを初めて許されたように感じました。彼女はまるで小さな子どものように好奇心いっぱいに私の夢に耳を傾けてくれました。心のどこかでかすかに感じてはいたが『思ってはいけない夢』が、言葉にすることを許され、やがて『自分のものとしたい』という気持ちに変化していきました。
しかしそれは同時に、大きな怖れの気持ちと向き合うことの始まりでもありました。「夢を実現したいと望むこと」はすなわち「今の恵まれた環境、地位、経済的豊かさ、安定などあらゆるものを手放すこと」を意味します。だから私の無意識は、『夢』を排除していたのでしょう。
ここからが、浜田コーチとのコーチングの醍醐味でした。大抵のコーチであればたぶんビビッてしまったであろう私の課題に対して、彼女は大胆かつ繊細にコーチングしていってくれました。すごいコーチです。あのコーチングの日々は、(隠していた自分の本心と向き合うことが)恐ろしかったがものすごくワクワクする体験の連続だったと言えるでしょう。
プロセスは割愛しますが、今私は日本を離れ夢の地におります。世界中から集まった才能がありかつ人格的にも一流の人たちと切磋琢磨する極上の日々を過ごしております。
無意識に押さえつけていた夢が、こんなにも私に充実感と幸福感を与えてくれるとは!
腹の据わった類い稀なコーチとの出会いに心から感謝しております。

50代 東京

現代人は、とかく目標やビジョンを立てることが好きだ。
学校でもそう教育されてきたし、企業においてはなおさらだ。
私自身も長年の企業生活の上で、常にストレッチな目標やビジョンを掲げ、その達成のために取り組んできた。
そんな前のめりな私を、きよちゃんは「今を100%味わって。」と押しとどめる。
意味がさっぱり分からない。
反抗する私の首根っこを摑まえて、今にSTAYさせられる。
何度か繰り返し行っていると、自分の思考と感情、そして身体がバラバラであることがわかる。
ある意味、幽体離脱状態で何年も過ごしてきたことも一因で、難治性の病を患ってしまったのだろう。
きよちゃんとのセッションは、自分の戻る場所を一緒に探し、そこから力強く本来の自分の人生を踏み出すお手伝いをしてくれる。
自分を100%味わい尽くして人生を歩みたい方、お勧めです。

40代 北海道

私が初めて紀代子さんに研修でお会いしたとき「私にないものを持っていて、とても素敵」と感じました。そして「紀代子さんに助けてもらったら、悩みが解決していけるかもしれない、もっと学びたい」と思い、コーチングを受けることにしました。
最初、精神的に弱っていた私に、紀代子さんは寄り添って話をきいてくれ、「あなたにとって大切にしていることは?」「あなたのよいところは?」と繰り返し問いかけてくれました。自信がなく、否定的だった私は良いところや大切にしていることを考えるのが苦痛になり、無意識にコーチングの日時を忘れてしまったり、その後の連絡をしなかったりする日が続きました。ある日、紀代子さんに「○○ちゃんにとっても自分にとっても大切な時間なのに、このような態度ならお断りします」「私に頼るのであれば、お断りします」と話されました。私にとっては大きな衝撃でしたが、この日をきっかけに、時間の大切さや「自分の人生を納得して生き切るためにどうしたらよいか、そのために、どんな決断をしても、紀代子さんは寄り添い、どんなときも手を握ってくれている」ことを実感しました。
コーチングを受けている私は、少しずつですが「自分のよさ」を受けとめ、それを支えにして生きています。また、「自分自身を信じきれない」傾向にあることもコーチングを通してわかりました。その際、紀代子さんが信じてくれていることを実感し、自分自身を信じることの大切さ、それが自分を楽にして支えてくれる、また、自分の好きなものが自分を励まし元気をくれることを学んでいる最中です。そして「自分を責めず、無理しすぎず、人生を納得して楽しく生き切る」自分になりたいと思っています。

30代 九州

紀代子さんのコーチングは厳しくて暖かい。職場で孤立し苦しんでいた時には本当に優しく暖かく話を聞いてくれたし、聞いてもらうことで大切なことに気づいていくことができた。でも、私が中途半端な気持ちでセッションを受けていたある日、突然「もうやめましょう」と言われた。「は?」 クライアントがコーチをクビにするならわかるが、コーチがクライアントをクビにするか!? ビックリだ!
焦った私は反省した。紀代子さんの本気度に私は中途半端な気持ちでいつもいた。自分のことなのに。
私が心を入れ替えて毎回ちゃんと自分と向き合うようになると、コーチングの中身が変わってきた!私の気持ち次第でこんなにもセッションの濃さが変わってくるのか!やっぱり『自分』なんだ!
こちらが本気でいる限り、紀代子さんは私がどんなにぐちゃぐちゃでも受け止めてくれる。しかしこっちがいい加減だと、紀代子さんは恐ろしくなる!(笑)。 恐くて愛の人だ。

40代 関東

私は父親を憎んでいます。殺してやりたいほどの憎悪を抱えています。私の人生における息苦しさや生き難さは父親のせいです。怒りと憎しみの塊を抱えつつ且つ抜け殻のように生きてきました。
そして今は少し塊が緩み、生きることも少しずつラクになってきています。
紀代子さんが私の殺意を含め気持ちをそのまま受け止めてくれたからです。
今 私は親殺しをせずに自分の人生を取り戻していく道を歩み始めています。
これまで私の人生に何の期待も希望もなかったけれど、もしかすると紀代子さんとのセッションの延長線上に何かがあるのかもしれないと、最近はほんの少し思えるようになってきました。
少なくとも、辛い事だけでこの人生を終わりたくない。日常の小さな幸せに気づくようになり、もっと幸せになりたいと思えるようになりました

50代 近畿 コーチ

プロのコーチとなるためにどうしても越えなければならない課題と向き合うために、紀代子さんを選んだ。その前も一流のコーチたちをつけて、悪くはなかった。ただ「オレの最後の課題はこの人に!」となぜか感じて紀代子さんにコーチングを依頼した。
私の直感は間違っていなかった。不思議なセッションだった。これをコーチングと呼ぶのか・・・?
それまで誰とどんなに頑張っても開けることができなかった(と言うよりは実は誰にも見せていなかった)心の奥底にある頑丈な蓋が、なぜか少しずつ開き始めた。その蓋を開けるには相当な覚悟と勇気が必要だったが、それを強力に支えてくれたのは彼女の力強い愛と言っていいのだろう。父親と母親の両方からのような力強くかつ繊細な愛情にホールドされていることを感じられたからこそ、自分の恐ろしい所へ足を踏み入れていくことができた。
これを見なかったことにしてきたために、私は常に人生にごまかし感があった。
今、「これがオレの人生だ!オレの生き方だ!」と胸を張って言える。そんな人生を取り戻せた。

30代 関東

プロとしての自覚が希薄な仲間と共に仕事をしています。「こんなことにこだわる私がおかしいのだろうか?」と自分に対して懐疑的になることも多々ありました。仕事に対する自分の志が揺らぐ時がありました。
でも、紀代子さんに常に気持ちや思いを聴いてもらい「あなたは間違っていないと思うよ」と言ってもらえたことが私を支えました。
今、私がこれまで大切にしてきたことが日の目を見ようとしています。自分を見失うことなく誠実に仕事を続けてこられたのは、紀代子さんのサポートがあったおかげです。もし紀代子さんのセッションを受けていなければ、私は仕事を辞めていたか心を壊していたでしょう。
今、自分が成し遂げた仕事を誇りを持って世に出せるのは、紀代子さんのセッションがあったからです。

30代 関西

自分の性自認に関してセッションを受けました。セッションを通じて、まず自分が世間の価値観で自分を見ていることに気づかされました。
自分自身が自分のありのままを心から受け入れられた時、この自分で生きていく自信が生まれました。
今は、親からも周囲の人たちからも理解を得られ、ごく自然に生きています。自然に生きられるって、なんて幸せな事だろう・・・。

40代 北海道

紀代子さんのコーチングを受けてから10年が過ぎました。最初、紀代子さんは落ち込んでいた私に寄り添ってくれました。
そして、私が何を大切にしていて、どうしたいのか問いかけ続けてくれました。無意識に自分と向き合うのを避けていた時期もありましたが、紀代子さんが厳しく温かく寄り添ってくれて、自分自身や自分の好きなこと、したいことを大切にできるようになってきました。
また、自分の感覚や気持ちよりもすぐに頭で考えてしまう傾向があることを改めて知りました。

10年過ぎた今は、心に残ったことや何となくもやもやしたこと(いいことも悪いことも)を温めておいて、コーチング前に自分に再度問いかけるようにしています。
その時、自分自身はどうなのか、感覚や気持ちを大切にしています。また、普段何気なく行っていることもコーチングの材料にできないか考えるようにしています。コーチング中は、もやもやしていることがすっきりできたり、自分の言動を客観的に考えられたり、わかってもらえたと感じることがたくさんあります。
時には、紀代子さんならどうするのかと、自分と真逆の性格の紀代子さんの意見を聞くこともあります。そのときには、紀代子さんに頼るのではなく、結局、自分がどうしたいのか考えることを忘れないようにしています。
そして、日々実践しながら感じる時間を作り、コーチングで振り返ることは、自分の学びや満足、喜びにつながっていると思っています。そして最後に、私はこの生活が本当に大好きで、紀代子さんに出会えたことに感謝しています。

30代 東京

紀代子さんとの出会いは、カウンセリングサイトでした。出産後に両親の過干渉な関係が今まで以上に苦しくなってきていて、藁にもすがる思いで電話致しました。私の両親はダメだしが多くて過干渉気味で、私は大人になってからも、怒られることも多く、それが少しずつ私の心にこんなにも強く影響を与えていたと、紀代子さんとのセッションを通してよく分かりました。

私の両親たち自身も親との関係が辛かったのだと気づいたことで、私の気持ちを伝える際も、「お母さんたちも辛かったんだね。」と気遣うことができました。そのことで両親との関係は非常に良くなり、いろいろとハッキリと伝えたにも関わらず、両親とは今ではいきいきと関われるようになりました。

今でもカチンと来ることはありますが、今までのように心にドーンと響いて、一日気持ちが重いまま続くということはなくなりました。人と関わるということは、嫌な時もいい時もあって、それが普通なんだと実感として分かった感じです。問題は、その言葉に自分の気持ちが左右されないことなんだと、セッションを通して理解することができました。

驚いたことに、これが夫や義実家との関係や親戚・友達関係、子供との関係にも効果を発揮したのです。嫌なことは嫌だと、相手の気持ちを逆なでせずに伝えることができるようになるのって、こんなに大事なことなんだと痛感しています。

今まで私は、人に許せない発言や行動があると絶対に許せなくて、でもそれを伝えることができなくて我慢してしまい、それが苦しくて終了した人間関係がいくつもありました。それは、それが自分のなかに怒りのマグマとなってたまっていたと、セッションで知りました。

両親や学校、職場で自分の言い分をうまく伝えられずに、聞いてもらえなかったり、誤解されたりという経験から、言いたいことをあきらめる癖がついていたことが影響を与えていたようです。

紀代子さんにメールで、その時感じた怒りを「今日、こんなことに怒りを感じた!」と、WORDに数千字書き殴り、何回か送ってしまったこともあります。

紀代子さんに「大変だったね。」「うまくできたね。」「みんな、失敗ってあるものよ。」と声をかけて頂くたびに、つぶれていた自己肯定感が膨らんで元気になって行くのを、感じました。

そのうちに、怒りを感じた時に、WORDに怒りの内容を書き起こそうとしても、書けなくなってきました。怒りがプスプス…と音を立ててしぼんでいく感じになったのです。

今まで、ものすごく大きく怒りを感じていたことが、遠くの彼方の小さな点のようになったのを感じるようになったのです。そして、日常生活がすごく楽になって、人から「表情に余裕が出ましたね。」とか、子供と一緒に笑うこともかなり多くなりました。昔、様々な人から言われたむかつくことを思い出す時間が減ったからだと思います。

自分の本来持っている力を取り戻すためには、第三者の力も必要だと、このセッションを通じて実感しました。どうしても抜け出せない不調のスパイラルにはまっている時には、特に自力で這い出すことは難しいです。

紀代子さんご自身も挫折に負けず、一生懸命生きてきた人だからこそ、その言葉に力があるんだと思います。

30代 東北

私は長年、実の母のことで悩んでおりました。
特に結婚して家を出てからの10年は、家を出たことを責められ、心無い言葉をたくさん浴びせられました。その度に怒りを覚えながらも罪悪感にかられ、謝ってはまた母の言いなりになるということを繰り返してきました。
母からメールがくる度に何が書いてあるのかとドキドキし、毎週実家に向かう度に機嫌が悪いのではないかとドキドキし、何気ない会話をする時も地雷を踏まないように言葉を選ぶ。母の機嫌が良いとホッとし、誤って地雷を踏んでしまった日には震えるほど怖く、なんて謝れば許してもらえるのだろうと考える日々。私の心の大半は母の機嫌で左右されていました。

ここ何年も私の頭の中には常に母がいて、母にどう思われるかばかりを気にして過ごしていました。
常々こんな状況から抜け出したい、自分を変えたいと思っていましたが、本を読んでもネットを見てもこれといった解決策は見つからず、モヤモヤとした日々を重ねていました。
そんな時、いつものように緊張しながら実家にいると、些細なことがきっかけで母の地雷を踏んでしまい、そこから猛攻撃が始まったのです。今までも同じような状況は何度も経験してきたはずなのに、その時はこれまでにないほど心がポッキリと折れてしまい、何も言わず実家を飛び出しました。これ以上母といたら自分が何をするか分からないと思ったのです。それから涙が止まらず、動悸が止まらず、どうしたら良いのか分からず、誰か助けて!と心で叫びながらひたすら泣きました。少し落ち着いてきたとき、とにかく誰かに話しを聞いてもらいたいと思い、藁にもすがる思いで電話をしたのが紀代子さんでした。
紀代子さんは泣きじゃくる私を優しく温かく包み込むように話しを聞いてくれました。その時、私の話しを聞いてくれる人がいるのだという安心感に心の底から救われたのを覚えています。同時に直感で紀代子さんにカウンセリングをお願いしたい!と思ったのです。

そこからカウンセリングがスタートし、今半年が過ぎました。
結論から申しますと、母との関係は良好になり、意識も行動も変われた自分がいます。
この半年間は辛いこともありましたが、たくさんの不思議な体験をして、変わっていく自分に嬉しさを感じることの方が多かったです。

何よりも一番の不思議は、母と距離を置いた途端、母が変わったことです。
この半年間、母が私に罵声を浴びせることは一度もありませんでした。
正直こんなにも変わるとは思っていなかったので、驚きと嬉しさと若干の違和感を感じています。
紀代子さんからは、母と適切な境界線が引けた証拠ですよ、と言われました。
その通りで、以前までの私は、母の不幸は自分のせい、母の課題は自分の課題と思っていましたが、距離を置いたことで、母は母、自分は自分と考えられるようになりました。
又、母との関係が改善されるにつれ、人間関係にも嬉しい変化が見られました。
自分が変われば周りも変わるということを身を持って体験しています。

紀代子さんとのセッションが始まった時の私の一番の課題は自分と向き合うことでした。私は自分のことが嫌でたまらなかったので、どんな自分が出てくるのかと、とても怖かったのです。しかしここを乗り越えなければ!と思い、できるだけ自分に意識を向けて生活することを心がけました。
やはりどす黒い感情と向き合うこともありましたが、何とか受け止めて向き合い続けていると、少しずつ自分を労わったり、認めたりすることができるようになってきました。
又、今までは母中心の生活だったので、自分がどうしたいか、何をしたいかと問われても全くといっていいほど分かりませんでした。しかし、母と距離を置いたことで、小さなことですが、休みの過ごし方などを自分で決められるようになり、その積み重ねでやりたいこと・やりたくないことも段々と分かるようになってきました。会いたい人に会って、行きたいところへ行く、自分で決めて行動することの楽しさを実感しています。
それによって心が満たされ、人にも優しくできるというおまけ付きでした。

紀代子さんのセッションを受けて、自分の人生は自分でしか決められない、自分の幸せは自分でしか見つけられない、ということがよく分かりました。
私は自分の人生は間違っていた、自分は幸せになってはいけないと心のどこかで思っていたので、自分で決めていい、幸せになっていいんだ!と分かり、今ではここから10年をどうやって過ごそうかと考えてわくわくしています。

紀代子さんは優しさの中にも厳しさを持って、本気で私と向き合ってくれました。
ここまで続けてこられたのは、変わりたいという強い気持ちと、紀代子さんだったら絶対変われると信じることが出来たからだと思います。
何回目かのセッションで紀代子さんから、あなたは聡明な人ね、と言っていただいた時、これまでのどんな褒め言葉よりも嬉しくて、その言葉はこれから先も私の支えとなる一生の宝物になりました。

まだまだ道半ばですが、自分で決めた人生はどんな結末であっても素晴らしい!
こんな風に思わせてくれた紀代子さんに心から感謝しています。

40代 東京

原因不明の病気になり、痛みと体調の悪さに苦しんでいました。友人でありコーチである人から「とてもいい人がいるから、その人のセッションを受けてみたら?」と勧められました。
私が信頼している彼女が「とてもいい!」と言う人とはどのような人だろうと思い、紀代子さんのセッションを受け始めました。これまで受けたことのあるコーチングとは何かが違っていました。毎回、自分の体がほぐれていくような感じがしました。
はじめはそのようなことさえ感じられないほど、私の心と体はかたくなでした。
でもセッションを重ねるうちに、自分でもほぐれていく感覚がわかるようになってきました。気づけば、四六時中辛い痛みに苦しんでいたのが、痛みを忘れている時間があるようになりました。

今では、大量に処方されていた薬もほとんど必要なくなりました。 上場企業の管理職としてこれからも仕事は続けていきたいと願っています。一時は退職も避けがたいと思っていましたが、紀代子さんのセッションを受けながらならそれが叶いそうです。
仕事を辞めなくてすんだこと、何よりあの辛く苦しい痛みから解放されてきていること、そして驚くことに以前より幸せに生きられるようになったことに、紹介してくれた友人と紀代子さんに心から感謝しています。

50代 関東

単発セッションを受けました。余命半年と宣告されどうしていいか途方にくれていた時に、友人が「こんな人がいるよ」とこのサイトを教えてくれました。会ったこともないアカの他人にこんな重要なことを話すということに躊躇はもちろんありましたが、他にすべもなく藁にもすがる思いでした。
思い切って連絡を取り、人生初のセッションとやらを受けました。初めて話す人とは思えないくらい、安心して話を聞いてもらうことができました。顔が見えないのでなおさら安心して話ができたのかもしれません。
気持ちの整理をして、あと半年をどう過ごしたいかも明確になりました。すべてが割り切れるわけではありませんが、少なくとも夫や子どもたちと残りの日々を大切に過ごしていくことができそうです。本当に受けて良かったと思います。ありがとうございました。
いよいよ命が終わる頃に、もう一度お願いするかもしれません。そういう紀代子さんがいるというだけで、ものすごく安心感が得られています。

50代 四国

私がコーチングと出逢ったのは今から9年前の春のことです。当時私は初めての土地での新しい仕事や、家庭内のもめごと、人間関係の難しさなどで精神的にも肉体的にも疲れ切っていました。怒りと不満と無力感。職場でも家でもいつもピリピリしていました。そんなある日、いつも愚痴を聞いてくれていた友人が「こんな人がいるよ」と紹介してくれたのが紀代子さんでした。コーチングという言葉は聞いたことがあっても、何をするのか(何をしてくれるのか)、やるとどうなるのか(どうしてもらえるのか)、まったく分からずに藁にもすがる気持ちで飛び込みました。
セッションを始めて最初に感じたのは「なんてしんどい作業なんだ!」ということです。紀代子さんからの質問は心の奥深くにしみ込み、私はその答えを探しにいきます。忘れていたことや気づかずに見過ごしていたこと、見ないふりをしていたこと、見たくないと思っていたもの。しんどい作業だと感じたのは、それくらい自分の本当の声を聴いていなかったということでしょう。そして、気づくことで手放せたり、思いだすことで心が喜びに震えたり、セッション中はしんどくても、終わったあとはとてもすがすがしくて、心がやわらかくなったように感じました。「周囲の人の態度が変わった」と紀代子さんに報告すると「それはあなたが変わったからよ」と言われたのを覚えています。
その時のノートは今でも私の宝もので、いつも手元に置いて事あるごとに見返しています。「暖かい空気をいくら送っても、おもりを手放さなければ気球は浮き上がらないよ」。紀代子さんにもらったこの言葉は、いまでも私の座右の銘です。そして驚くことに、9年前のコーチングは今も私の中で生き続けています。その時何をするかということだけでなく、どうありたいのか。何を大切にしたいのか。自分の根幹となるものを、コーチングで見つけたように思います。
いま私は、治療法のない難病にかかり少しずつ動けなくなってきています。いつか何もできない人になるでしょう。でもこのシビアな状況の中で、私が自分を信じ、自分と周囲の人を大切に思い、楽しい日々を送ることができるのは、紀代子さんと出会い、コーチングの世界を知ったおかげです。一人でも多くの人が、その人らしく安心して、生きいきと暮らしてほしい。たとえ障害や病気があっても。たとえ命が限られていても。私は、病気が進んで何もできない人になっても、人とかかわるということを通じてそこに存在することができます。
私の人生を大きく変えたコーチングとの出会い。紀代子さんとの出会い。言葉では言い尽くせないほどの感謝と、感動と、満ち溢れる想いで一杯です。
紀代子さん 本当にありがとうございました。そしてこれからもどうかよろしくお願いします。

(紀代子:注) コーチングの中で真摯に自分と向き合い、その後自分らしい納得した人生を歩み始めコーチングを終了したAさんでした。その後、「人生の一大事が起きたので、そのことで一度セッションを受けたい」と連絡が来たのは数年前でした。Aさんは、徐々に体が動かなくなっていくある難病を発症されていました。その一度だけのセッションの中で、彼女は症状が重度化していくその病気と共に生きていく自分の人生にしっかりと立ちました。その時のセッションを私は忘れません。『人とは、これほどまでに可能性を秘めた存在なのだ』ということを、私はAさんとのセッションから教えられました。 実際には一度もお会いしたことがなかったAさんでしたが、声だけでここまで深いセッションが可能だということを教えてくれたクライアントさんでした。

30代 東京

本日、すごく新しい体験をした。
恐れの中で生きるために、魂削りまくってた時代を経て今の自分になってから、もう戦争はしたくなかった。
だけど、今の安全な場所を出て外にいくとき なにも鎧を付けず、なにも武器を持たずに乗り込んで 刺されて大怪我をするのはいやだった。昔懐かしの鎧を知らぬ間に着て 昔懐かしの武器で知らぬ間に誰かを攻撃するのもいやだった。
でも、どうしたらいいんだろう… どうやったら、自分を大切にしながら裸でも怪我せずに世界と関われるんだろう?
ずっとぐるぐる一人で考えてた。ぐるぐる考えるのは得意なので、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる考えたけど、ぜんぜん、答えは出なかった。
ある「怪我をした」体験をコーチと一緒に見てみたとき その答えがやってきた。
早く痛みのカオスから出たくって、ついなんとかしようとしちゃう私に、それやると余計長引き悪化するのが わかっちゃいるけどついやっちゃう私に、コーチは優しく鋭くなんとかしようとせずにただ今ここにいてみようと言ってくれた。
やばい、バレバレだ。図星の私は観念して見てみた。下手っぴだけど、やってみた。
怪我をした痛みの感覚のどすぐろい鉛の玉を、ただただ見つめてたら、それは私のお腹の中でだんだん弾んで、それからどんどん大きくなって、最後は大きな気球みたいに膨らんで私は空を漂った。
気持ちよく、ふわふわと、風にのってやさしく、おだやかに、楽しい気持ちがやってきた。
巨大な気球となった自分で、「怪我をした」体験を追体験したとき、そこにいたすべての人も椅子もなにもかもが、部屋ごと丸ごと私からプーっと出てくる巨大なシャボン玉にやさしく包まれて浮いていた。
シャボン玉の中にあるもののなにものも、もはや私を傷つけることはできなかった。私にはもう、武器も鎧もいらなかった。シャボン玉が新しい私の武器であり武器でないもの、鎧であり鎧でないもの。
ただ、静かに、やさしく、シャボン玉で包めばどんなトゲも私を攻撃できないし、 シャボン玉に映った顔はちょっと面白くて楽しくなる。私にはもう、武器も鎧もいらない。私にはもう、新しい武器も鎧もある。

50代 北海道

5年前から始めたコーチングを、先日とても幸せな気持ちで終えることが出来た。
子供の頃から、いつも母の愚痴の聞き役だった。父と結婚したことがすべての不幸の始まりとばかりに、母は泣き、嘆き、そして、父に復讐するかのように万引きをしては、何度か警察に保護された。
厳格だった父はいつも正しい事しか言わなかった。暴力は振るわなかったが、間違えることを決して許さない常に正しい父の言葉は、子供にとって震え上がる程恐ろしいものだった。
だから本心は隠し、父の顔色をうかがい、父が正しいと思う事しか言わないようにした。小さい嘘をつくのが上手になり、自分の心をごまかすのが上手くなった。

常に比べられて育った私と妹は、仲良く遊んだ記憶が無い。妹は私を嫌っていた。そして、自分自身を嫌って、思春期にリストカットを繰り返した。そして、それらはすべて秘密だった。

母は毎年PTAの役員を引き受け、明るくおしゃれで優しくて大勢の友人がいた。父は社会的にも経済的にも成功していた。私は、成績優秀な真面目で素直な孝行娘。妹は愛想のよい、近所で評判の美人。 周りからは、理想の家族と言われ羨望された。何より、私たち家族がみなそれぞれ自分たちは最高に幸せな家族なのだと信じ込もうとした。
都合の悪いことはすべて秘密にし、何事もなかったかのようにふるまう。自分の心の声に耳を傾けることなく、周りから素晴らしいと思ってもらえる自分たちでいることを何より大切にした。自分が幸せだと感じる事よりも、人から幸せそうに見えることが大切だった。

しかし、就職、結婚、育児と人生を歩んでいくうちに、鉛のように重い“いきづらさ”にたびたび襲われるようになる。
幸せの条件が揃っているはずなのに、誰にも解ってもらえない孤独に襲われる。
自己啓発本や宗教の本を読み、趣味のヨガや美術に没頭し、福祉の仕事で大きな評価も得た。体調が悪くなれば心療内科、心がつらくなれば精神科やカウンセラーとお金や時間をかけ様々に努力した。
確かに一時効果は出る。理論や理性では、私はもう十分幸せなはずだった。幸せでなければならなかった。
なのに、どうしても心がついてこない。心の根っこが宙に浮いている感じだった。

それが、コーチの紀代子さんと私の二人三脚の出発点だった。ポジティブ思考であれば、人にレクチャーするくらいまで理論武装している私へのコーチングはさぞかし大変だったと思う。
人の心は、とても癖が強い。幸せになるために生まれてきたはずなのに、いつの間にか自分を幸せから遠ざけるために一生懸命頑張ってしまう。そして、そのことに自分自身が気がつかない。いや、気付くのが怖いから気が付かないふりをしているのかもしれない。
自分の心の奥底を覗くのは、想像以上にしんどいことだ。自分ではどうしようもない悲しみや憎しみを全部埋めてきたところなのだから当然かもしれない。一人では耐えられないから、沈めて埋めて、まるで無かったことにしてきたのだもの。
しかし、残念だけれど私の心を解き放つ自由への扉の鍵も同じところに沈んでいた。コーチである紀代子さんは何も教えてくれない。どこに鍵があるのか、どれが鍵なのか、見つけたと思った鍵が本物かどうかも教えてくれない。
鍵を探したかったら、自分で探し、見つけ、試しに開けてみるしかない。でも、紀代子さんはいつもそばにいて私と対話し私の心を感じてくれた。私自身が聴こうとしてこなかった、私の心の言葉に深く深く耳を傾けてくれた。それはとても不思議で暖かな時間だったと思う。何を言っても、何を感じても絶対に安心だという気持ち。その安心感が、自分のありのままの声をちゃんと聴いてあげる勇気になる。

聞いてもらえる喜びを知った私の心は、とてもリラックスして大切なことを話し始めた。
自分の言葉が自分に、たくさんのヒントを教えてくれた。心と体がしっかりつながっていく感覚、自分の根っこがしっかりと確かなものに張り巡らされていく感覚は素晴らしかった。
なりたい自分を、自分自身でつかみ取っていくわくわく感。でも、これは決して一人で出来る作業ではなかったと思う。
どんな人でもなりたい自分になれる事、そして人は生まれてきたことそのものが祝福であるのだと心から信じているコーチと、安心して言葉を交わすことが、どれほどのエネルギーとなるのか。それは、決して言葉で表現できるものでは無いと思う。

人は誰でも変わることが出来るけれど、自分一人で頑張らなくても良いのです。 自分で自分を許したり、自分を認めたり、自分にやさしくしてあげることは本当に難しい。
一生懸命に頑張っている人であればある程、自分に厳しく自分を許せないだろう。私がそうだった。
紀代子さんと泣いて笑って、すべてを受け止め、許し、認め、やさしい言葉で共感してもらい、私はようやく私自身をありのままに受け止めてあげることが出来た。 そして今、あの頃の私をぎゅっと抱きしめ、語りかけている。
「頑張ったね。一生懸命に生きてきたね。えらかったね。そして、すべては素敵で必要なことだったね。」と。 私本当に幸せだわ!
ありがとうね、紀代子さん。

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