なんて激しい言葉だろう

掲載日:2023.03.14


前回、Mさんの文章を掲載させていただきました。
いろいろな人に反応が起きているようです。

「そんな思いをしている人がいるの?」と純粋に驚く人もいました。

「私も大変ではあったけれど、それでも私とはかけ離れている」
「私はそこまで大変なことはなかった」
という人たちもいました。

全くその通りで、Mさんとは経験が違う人は多いでしょう。
逆に、自分の中に起きていることを無意識に拒否するあまり
「自分とは違う」と切り離したように見える人もいました。

どのような反応であってもいいと思います。
「今は直視したくない」というのもその人のプロセスです。

誰がどのように受け取ろうとも、
Mさんの文章が読む人に何らかのインパクトを与えたことは確かだろうと思います。

そのような中で、コラム掲載の数日後にAさんからメールが届きました。

Aさんはセッションを始めて2か月ほどの人です。
ご自分が経験してきたこと、今自分に起きていることを
うまく言葉にできないでいました。

言葉少なに話す中でただ静かにはらはらと涙を流すAさんを
「どれだけの痛みを抱えて生きてきたのだろうか」という思いと共に
静かに受け止める私との時間をこの2か月過ごしてきました。

それは饒舌に「何があったか」を語るよりも、
言葉にできない何かが深いところで癒されていく時間でした。

Aさんにとって「何を言っても」「何を感じても」「どんな自分でも」いいのだと
無意識の部分で感じられる「安心できる時間」であったと思います。

そんなAさんから、メールが届きました。

・・・・・・・・・・・・・・・
コラムを読みました。体験したことは違うのかもしれないけれど、同じ気持ちを味わっていると胸がえぐられるような、直視したくないものをまざまざと見てしまった気持ちがしました。
でも、この気持ちを留めておきたいと思い、書き写しつつ、自分の言葉を足させていただきました。原文を書かれた方がお気を悪くしないといいのですが、どうしても原文の力を借りて自分でも文章にしたかったので。

今まではどんな言葉でも書き表せなかったことができて貴重な時間になりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうして送られてきたのが以下の文章です。
まさに、Mさんの「原文の力を借りて」、Aさんが自分の心象を表出できた文章です。

Mさんの言葉がAさんの心に届いたように、
Aさんの言葉もまた誰かの固く閉ざした心の扉を開く助けになるのではないかと
私は思いました。

Aさんに、コラムに掲載することについて打診してみました。
本当はイヤなのに「良い子」として私に同意してほしくなかったので、
Aさんの気持ちを第一に大事にしながら、丁寧に確認させていただきました。
最初は少しの戸惑いもありましたが、最終的に気持ちよく了承してくださいました。

Aさんの言葉は、あなたにどのように伝わるでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんて激しい言葉だろう
オブラートに包んで傷を直視してこなかった私はただただ怖かった。
でも、わかる。この人が感じていることは、私も感じてきたし、
そのときのことをありありと思い浮かべることができると思いました。

私がこの人と違うのは、
自分が感じていることを他人にわかるように表出する勇気が持てなくて、“ふつう”で“よくあること”にしておきたかったということ。ただ“なかったこと”にしたかった。
以下は原文の力を借りて私の思いを綴った文章です。

あなたは今も
胸の奥を焼かれ、締め上げられる痛みを抱えながら生きているのでしょうか。
絶えず傷つけてくる世界に怯え、自分でない人の仮面をかぶり、次に来るショックに身構え怯えながら生きているのでしょうか。
一歩踏み外せば暗い谷底に転がり落ちそうな切り立った一本道を、両肩に乗り切らないような重たい荷物を背負ってうつむいて歩く。目指すもののない荒涼とした風景を見まわして“もう終わりにいたい”とあえぎながら。
横を見れば同じ人生の道行を、明るい花畑を、何の苦もなく歩く人が見える。
胸をじりじりとこがしながら、“ああなりたい”と羨んでいるのでしょうか。

どこまで行っても自分は孤独で、守られることはなく、助けをもとめるすべもわからず、絶望してから何年経ったのでしょうか。
もう生きられないと何度も思いながら、何度自殺を決意したのでしょうか。
その度に、自分の死がもたらす波紋が少ないうちに人生を終える決断をしなかったことを何度後悔しているのでしょうか。

私たちは、ただただ、どうにかして生きるためにもがいていただけなのに、
大人になってしまった今、一切の過去の責任は自分にあると突き付けられ、
逃げ場もなく、理解もされず、また理解されることも恐ろしく、とうとう自分で自分の首を絞めながら己を生かすこととなりました。

私たちにとって、今日生きることと、今日死ぬことは道路の白線を越える程の違いしかなく、今すぐに意識をなくし静かな世界にいくことができるならむしろそれは喜ばしいことと思えてしまうでしょう。

昨日心に灯したささやかな希望や生きる気力は、今日もまた脳内で叫ばれる厳しい叱責に踏みにじられ、自らの手で消し去るように強要されます。
やがて私たちの魂は恐怖に絡めとられ、体も思考も止まります。それでも生き続けなければならないのに。

私たちの悲しみの多くは、時が経つごとに、他人からは忘れ去られ、過去の中へと消えていきました。私たちの真実を知っているのは、もう世界でたった自分たちだけになってしまいました。

それなのに、私たちが生きる世界では私たちが経験したことは汚らわしい間違いであり、怒りや憎しみを抱く私たちが間違った存在で、経験したことを口にするのも憚られる。
すみませんとごめんなさいを繰り返し、迷惑にならないように生きていても、ちょっとしたミスが起きれば世界は私たちを傷つけにきます。
今日をなんとか生き延びては、夜は布団の中で静かに息が止まることを夢見て眠り、朝の天井を見ながら、その願いが叶わなかったと少し泣くのです。

その現実の中で私もあなたも、このカウンセリングを受けるという選択をしました。

私は紀代子さんとカウンセリングを始める時に2つのことを思いました。
1つはカウンセリングをちゃっちゃと終わらせて、“ふつう”に戻るんだということ。
高額なお金を支払って話を聞いてもらうなんていうお金の使い方をせずにすむならどんなによかっただろうということ。それが自分にとって必要なことはわかっていても、楽しいディズニーランドのための出費のように心からではなく、しぶしぶと出したのが本心でした。

長年自分の本心に従わず、仮面をかぶって自分も人も欺いてきた私には人と本心でつながるという感覚はありませんでした。本心を見せるなんて怖くてたまらない。「人なんて最後はみんな一人なんだから!」と母がヒステリックに叫んでいたその真意が今もわからないまま、その呪いの表面の意味だけを私も受けついでいるようです。

共感さえしてもらえれば立ち直れるという安易な考えの中、カウンセリングを受けていくなかで、
苦しい感情が沸き起こってきました。
蓋をして直視してこなかった苦しい記憶、生き延びるために周囲の人と自分自身についた嘘偽りの数々、本当の自分の気持ちを無視して痛め続けてきた結果ボロボロになった体。むしろ落ち込んでいく精神状態に、もう自分と向き合いたくはないと叫ぶ自分がいるようです。

何を思ってもいい
と私は自分を許す必要がありそうです。
母の死を願った自分も
祖母を許せず死を願う自分も
たったひとりの弟をうとましく思う自分も
私のことを批判する人を呪ってしまう自分も
身勝手で自分のことしか考えない自分でも、そう思っていいと居場所を与える必要が

この先のことはまだまったく想像できません。
続けていけば見えるようになるのか。何が変わるのかもまだまったく霧の中です。
ただ、紀代子さんはきっと一緒にその霧の中を迷って迷って、いつか明るいところに出られると励まし続けてくれるだろうということだけが今の私にわかることのすべてです。