中島みゆき

掲載日:2020.09.29


ジャンルを問わず音楽を聴くのが好きです。
クラシック、ポップス、ジャズ、ボサノバ、ファド、ケルティック、和楽器、
アフリカや南米の民族音楽、ゴスペル、グレゴリオ聖歌、チャント、などなど。
時と気分に合わせて聴きます。

例えば、気分の乗らない片付けの時などには、
ハイテンションのダンスミュージックとか、ね。

今どきの若い人(?)はダウンロードして曲を購入する人が多いようですが、
私はCDを購入して聴く方が安心します。

最近、「中島みゆき」の75年~86年までのシングル曲を集めたCDの存在を知りました。
彼女の「男うた」(と、私の中で呼んでいるメッセージ性のある歌や励まされる歌)もいいですが、
その頃に書かれた「女うた」(これも私がそう呼んでいる、女々しくて情けない歌)がとてもいいんです。

余談ですが、「女々しい」とか「嫉妬」とかの類のものは男性にもあるはずなのに、
それを認めたくない男たちは「女偏」をつけて女に押し付けてしまったのでしょうか?

早速、そのシングル集アルバムを手に入れました。
その楽曲を、週一で届く食材の下ごしらえをしながら聴いていると、
想定していなかった青春時代にタイムスリップしました。

その頃私は、人生で最高に幸せな恋愛をしていました。
ですから、彼女が歌う「失恋の情けなくてみじめな感じ」が理解できませんでした。

理解できないながらも、絞り出すように「失恋歌」を歌う彼女に対して、
「こんな歌を歌うこの人はどんな恋愛をしているのだろう?」と
とても気になっていました。

高校を卒業して全日空に入り、私は寮生活を始めました。
同期の多くは「寮生活は制約が多くてイヤだ」と嘆いていましたが、
私は暴力を含む父からの抑圧から解放されて
「なんて自由なんだ!」と寮生活を楽しんでいました。

テニスをする楽しみを覚え、町のテニスコートには、ANA、JAL、TDA、航空局、
海上保安庁、航空自衛隊、その他の千歳市民など様々な人たちがいて、
そんな人たちとの交流も楽しかったです。

その頃、私は恋をしました。
20歳前後の私の男性の好みは「ジャガイモ」のような人でした。

私が恋した「ジャガイモ」さんはイケメンでもなくカッコよくもなかったので、
テニスコートにいる女性たちからは「いい人だけど恋愛の対象外」であったと思われ、
私のライバルは、たぶんいなかったと思います。

何面もあるテニスコートのどこかに彼がいれば、幸せな私でした。
というよりは、コートに着くと真っ先に彼の姿を探していました。

私がコートに顔を出すとすぐに見つけてくれて笑顔で手を振ってくれる彼もまた、
私のことを好きでいてくれることを私は確信していました。

お互いに言葉では一度も「好き」とは言わなかったけれど、
その頃の私は今思えば無防備なくらい全身で彼を好きだと表現していたと思います。

そんなジャガイモさんとイモ姉ちゃんの恋は、
テニス仲間たちから微笑ましく祝福されていたように感じます。

その後、幸せの絶頂にいた私は失恋する羽目になりました。

父から解放され、テニスやスキーに夢中でそのあいまに旅行を楽しんでいる
「結婚なんてまったく考えられなかった私」は、
「結婚したい彼」の気持ちには無頓着で、
私たちの間に徐々に溝がうまれていることに気づきませんでした。

彼の姿をテニスコートで見かけることが少なくなってきました。
やがて、彼が別の女性と付き合っているといううわさを耳にしました。
お互いあれほど好き合っていた彼に限って「そんなはずはない」と思いました。

やがて、その彼女が私にとても似ていると、テニス仲間が教えてくれました。
私の心は乱れ始めました。

やがて彼は、その彼女をテニスコートに連れてくるようになりました。
彼が彼女を選んだことが、私にも明白になりました。
ほどなくして彼は彼女と結婚しました。

大好きなテニスコートに行くと、彼と彼女が仲睦まじくしている姿を目にせざるをえませんでした。
そんな二人を目の端に捉えながら、私はボールを追っていました。

それでも私がテニスをやめなかったのは、テニスや仲間たちが大好きだったことと、
私のかろうじてのプライドのためだったのだと思います。

テニスコートでは何でもないふりをしていましたが、
仲間たちは私の気持ちを十分に察していたことでしょう。

その頃のみじめで情けなくてドロドロした私の心を受け止めてくれたのは、
中島みゆきの「女うた」でした。

その頃私は、千歳空港でチェックインなどのカウンター業務をしていました。
当時、政治家向けのVIPルームはありましたが、
芸能人たちは、到着や出発の際に事務所の会議室を利用していました。
出入りも、一般の人たちがいない裏口からする人が多かったです。

そんな中で、松山千春や中島みゆきは、時々一人でやってきました。
松山千春は一人でカウンターに来て、いつも私たちに気さくに声をかけ、
ノリの軽いお兄ちゃんという感じでした。

中島みゆきは、普段はJALを使うことが多かったと思います。

夜、東京行きの最終便ギリギリの時間帯は、発券カウンターが一人になります。
たまに、そこに中島みゆきが一人で来て、チケットを買って搭乗していきます。

当時の中島みゆきは、決して派手ではなくオーラらしいものも感じさせず、
華奢でどこか洗練された印象のある物静かな感じの人でした。

彼女の軽くウェーブのかかった髪に
黄色のピアスが揺れていたことを今でも鮮明に思い出します。

「この人のどこからあんなドロドロとした「女うた」が生まれるのだろう?」と、
目の前の彼女の印象と歌のギャップに不思議な感覚を覚えながら
チケットを手渡す私でした。

そんな青春時代からすでに40年以上が経ちました。
キッチンで当時の彼女の歌を聴きながら、
そんな恋に揺れていた青春時代がよみがえりました。

青春時代にテニスをしていたことは覚えていたのに、
恋をしていたことだけは切り取られたように全く思い出さなかったということは、
よほどその体験が辛く、記憶の奥底に沈めていたということなのでしょうね。

そして、今こうして思い出したということは、
今の私はその体験を受け入れられるということなのでしょう。

「私にも恋をしていた時期があったんだ」
「あんなにも男性を好きになったことがあったんだ」

すっかり忘れていた自分の恋を思い出し、
気恥ずかしいような懐かしいような感覚になりました。
そして、嬉しく感じました。

何十年もの間、青春時代の恋を思い出すことがなかった私は、
「私は本気の恋愛とは無縁な人間なんだ」とどこかで思っていました。

だから、あんなにピュアに恋をして、
1年以上も立ち直れなかった失恋をした体験が自分にあったことを
今の私はとても嬉しく感じます。

この先の私の人生では、もう恋をすることはないだろうと思います。
今の私は「お相手」に対する期待値がかなり高くなっていますから、
それをクリアできる人はたぶん出てこないだろうと思います。(笑)

恋愛に関しては、まさに「いつかは来ない」だろうと思います。
まあ、人生に「絶対」はないので、1%くらいは可能性があるかもしれませんが。

「いつも恋をしていたい」という恋愛体質の人もいるようですが、
今の私は男性に夢中になることはないだろうと思います。

男性、女性、中性、???
そのようなカテゴリーで人を好きになることはなさそうです。

でも、「人を好きでいること」はとても幸せなことだと思います。

自分の人生を誠実に一生懸命に生きている人が好きです。
一見ハチャメチャな生き方をしているように見えても、
自分に正直に誠実に生きている姿が私には魅力的に感じます。

私のクライアントさんや元クライアントさんたちのように、
困難や痛みを乗り越えて深みを増していく生き方をしている人たちはステキです。

たぶん私のこれからの人生は、
そんな人たちを「愛おしい」と感じる幸せに満たされた人生なのだろうと思います。

「最高に幸せで、最高に辛かった恋」。
私の人生にそんな体験があったことを、キッチンで野菜を刻む私に、
「中島みゆき」が思い出させてくれました。