修行は続く

掲載日:2022.02.15


旭川の広瀬爽彩さんが公園で凍死体で見つかって1年が経ちます。
にもかかわらず学校や教育委員会はいまだにいじめを認めていません。
いじめ(というより犯罪)に関わった生徒、そしてその間の学校関係者たちの対応に
非常に憤りを感じています。

ただ、今日はそのこととは別に「いじめ」に関連した私事(わたくしごと)について
書きます。
広瀬爽彩さんが受けた凄惨なこととは別次元の「いじめ」の話です。

ただ、最初に私の話とは無関係な広瀬爽彩さんのことに触れたのは、
多くの人にこの事件の経過と、今も続く教育関係者の信じられないような言動に
目を向けてほしいからです。

話を私のことに戻します。

質問ですが、あなたは「いじめ」の場面ではどの立場を取りますか?
1. いじめのボス
2. ボスに従ういじめメンバー
3. いじめられる人
4. 見て見ないふりをする人、巻き込まれないように距離を取る人
5. いじめを止める人、いじめられている人をかばう人

いじめに関わる人たちは、ざっとこんなところでしょうか?

2の「ボスに従ういじめメンバー」には、「喜んでいじめに加担する人」と
「ボスに逆らうのが怖くて、しかたなく加担する人」がいるでしょうね。

あなたに近いのはどの役割ですか?

私は、3と5ですね。

はじめていじめのターゲットになったのは中学生の時でした。
「女子あるある」ですが、ボス的な女の子が休み時間に
「トイレに行こう」と他の女子を誘います。

多くの女子は「うん、そうだね」とぞろぞろついていきます。
私は誘われた時、「今はトイレに行きたくないからいいわ」と他意もなく軽く断りました。
ボスの誘いを断り、ボスに恥をかかせた(?)私は、そこからいじめのターゲットになりました

クラスの女子から無視され、上靴に画びょうが入れられ、
廊下に貼られた私の自画像に画びょうがたくさんさされていたり、などなど。

いじめられている子をかばったことで、
さらに私へのいじめがエスカレートしていったこともありました。

当時の私は、内心ではとても辛い気持ちでいたけれど、
いろいろな大会で優勝するソフトボール部のキャプテンで、
成績もかなり良い優等生だったので、
「いじめなんかに私はびくともしないわ」というていを装っていました。

20年後くらいに同窓会が行われた時、
私はいじめの中心にいた人たちを見かけて動悸がしましたが、
彼女たちはそんなことはなかったかのように気軽に話しかけてきたので、
私はその落差に戸惑いを覚えた記憶があります。

いじめられた側は辛い記憶を抱えたままなのに、
いじめた側はすっかり忘れている。
あるいは忘れているふりをしているのかもしれませんが。

今回ここで私の中学時代のいじめの話をなぜ持ち出したかというと、
私って大人になっても「いじめられ体質」が変わらないんだなと
認識する出来事があったからです。

振り返ってみると私は大人になってからも、
15年に1回くらいいじめに遭っているようです。

そしていじめられる原因は、相変わらず「その業界のボスに追随せず、
自分の意見を言ってしまうから」のようです。
別にケンカ腰で言うのではなく、ただ自分の思ったことを言うだけなんですけどね。

これも振り返ってみて気づいたのですが、
大抵は最初そのボスに私は気に入られます。

これも私は「気に入られよう」とは全く思っていなくて、
「ただそのままの自分」でいるだけなのですが、
ボスに媚びない振る舞いが最初は気に入られるようです。

そしてやがてボスは気に入らない人の悪口を言い始めることが多いです。
取り巻きたちは、ボスに逆らうことはせずボスに合わせます。

そして私は、ボスに同意を求められたときに・・・・・・

想像できるでしょ。
同意しないんですよね。

この時も私は一貫していて、自分がそう思うか思わないかをただ伝えるだけです。
ボスがある人を批判して私に同意を求めてきても、
「私はそうは思いませんけど」と軽く返します。

そんなことが重なると、やがてボスの堪忍袋の緒が切れるタイミングが訪れるようです。
「可愛さ余って憎さ百倍」となるようです。

ある時から私はその仲間内からシカトされるようになります。
自分がターゲットになったと私が気づくのはかなり経ってからで、
例えば大事なイベントの連絡が私にだけ届いていないということが何度か続き、
鈍感な私はやっと「あれ?最近なんか変だな」と気づくという訳です。

ボスが私のことをかなり悪く言っていると外部の人から知らされて、
「そういうことか」と気づくこともあります。

ここで私は「ボス」と表現していますが、
大人になってから私が関わってきた業界は「福祉」とか「カウンセリング」「セラピー」などです。

ですから、ここで私が「ボス」と表している人たちは、
そのような業界で実力があり一目置かれている人たちなのです。

「そんな人たちが、まだそんなことをしているんだ」とがっかりします。
しかも大人だし、そのような業界の人ですから、表立っていじめはしません。
陰険になります。

自分がいじめのターゲットになったと気づいた時、私はその業界から静かに身を引きます。
そこで戦う気もないし、そんなことに大事な時間とエネルギーを使いたくはありません。
別のフィールドに、活動や学びの場を移します。

そうやって数年前に離れたつもりだったある人に、
先日ある研修会で再会してしまいました。

それは以前お伝えした「私が受けたくてたまらなかった海外研修」です。
満席で受けられないはずだったのに、土壇場で受けられることになった研修です。

先日その研修が実施され、私はオンライン上に彼女の顔を見つけてしまいました。
「げっ!」となって心臓がちょっとドキドキしました。
別に私が悪いことをしたわけではないのに、
「彼女に見つからないように」と画面をオフにしてしまった自分が情けないです。

心の痛みを癒すことに関してとても大事な内容を学ぶ海外研修に、
私を陰湿にいじめていた彼女が参加している。

4日間の研修の間中、私は「彼女と同じグループになりませんように」と願っていました。

頭では「何でいじめられた私がこんなにビクビクしているんだ」と思いますが、
いじめられた体験って、「恐ろしさ」としてけっこう記憶や身体に残っているものですね。

この海外研修は、1回につき4日間で来年の1月までにあと3回あります。
研修中は4つのグループに分かれてディスカッションなどをします。
あと3回の間には彼女と同じグループになる可能性があります。

「できれば彼女と関わりを持つことなく研修を終了したい」と願う私がいます。

彼女の方はどのような反応だったのでしょうね。
画面上に私を見つけた時「アイツがいる!」と腹立たしい気持ちになったのか、
あるいは「しまった!」「マズイ」と感じたのか。

きっと彼女も、私と絡まずに研修を終了したいと願っていると思います。

こんなところで再会するとは、
彼女にとってか私にとってか、まだまだ修行する必要があるということなのでしょうね。

今後の展開にちょっと好奇心を持ちつつ、
ちょっとドキドキしている私です。