呪い

掲載日:2025.07.15


この世に呪いはあると思う。
ただし、呪えるのは自分自身だけという条件付きだが。

今までの人生を通して、生まれてきたいくつもの怯え、畏れ、呪い、破滅を願うエネルギーは
残念ながらあの女には届かない。
あいつは、今この瞬間ものうのうと生きている。
私が何百回と脳内であいつの体をバラバラにしても、現実の母は風邪の1つも引かない。
今日も半日ほどのパートに出ては、家に帰ってエアコンの効いた部屋でテレビを眺めて生きている。

私はというと毎日死ぬことを考えては幾度かの自殺を試みて失敗し、
もう自ら死ねないなら病気で死のうと心に決めた。
そんな日々を過ごしているうちに溜まった恐怖と呪詛の強いエネルギーは、
とうとう本当に私を死に至る病にかけた。

医者からの告知を受けた時はさほど動揺はなかった。
自ら願ったことだったから。
しかし、結果としては虐待をした親は大した責任も追求されず健康に人生を歩んでおり、
人間としての尊厳を踏みにじられた私は自分の寿命を縮めている。
心に生まれる負のエネルギーは、自分を蝕みながら命を呪っていく。

我々が日々怯えて恐怖する対象は、我々に対して何一つ責任を負うことができない。
これが世界のルールであり、そいつらに責任を追求したとしても
真っ当に返って来るものは何一つない。
私が母に対して恫喝をしたとしても、(金くらいはむしり取れるかもしれないが)
あるはずだった自尊心も健康も時間も何一つ返してはくれない。
リストカットの跡を綺麗になくすことすらあいつにはできやしないのだ。

病気であることはもちろん家族には伏せている。
子供のころ腹痛で動けない私に、「何、遊んでんの?」と侮蔑の視線を向ける人間に、
こんなことを伝えたところで何一つ私のプラスにならないからだ。
こんな環境で育ってきたから、どんな状況でも自分一人で対応することを前提にしているし、
これまでもそうやって生きてきた。
ありがたいことに一人でどうにかする能力も持ち合わせることができた。
家族に気を使うなんて発想は微塵もでてこないので、
自分の事だけに集中できるのはこの人生の良い誤算だ。

こんな感じで、私の人生は割と最悪の部類に入りそうなシナリオになってきているのだが、
意外にもそう悪くないと思い始めている。
今更?というようなタイミングだが、風向きみたいなものが変わってきているようだ。

基本的にトラブルは一人で抱えた方が楽なのだが、
状況的にどうしても伝えなくてはいけない友人が数名いたのでこの病気のことを仕方なく伝えた。
友人たちのリアクションは、私に大きな衝撃を与えた。
皆、一様に私の気持ちに寄り添おうとし、私の決断を尊重してくれたのだ。
私はその時、肉親ですら私に与えない「尊重」を、
血のつながらない他人が私に与えてくれるのか、と思った。
私が置かれている状況は、友人たちにも少なくないショックやストレスを与えるものなのに、
その衝動をコントロールして私を思いやってくれることに思わず涙が溢れた。

私は初めて心から「感謝」をしたように思う。
人生において大きなターニングポイントに、
親ではなく私を尊重してくれる人たちが私の周りにいてくれたことに感謝した。
金銭を払っても、手に入れられない思いやりみたいなものを与えてくれたことに感謝した。
そう言ったものが、実は自分の周りにあると気づかせてくれたことに感謝した。
これが、世の中で言われている「足りていない物を嘆くのではなく、あるものに感謝する」
ということなのかもしれない。

数十年前の私がかけた死の呪いは、長い時間をかけて成就しようとしている。
しかし、この呪いはひょっとしたら解けかけているのかもしれない。
私は今、人生で最も心の自由を感じている。