大きなダメージを受けた事実を、すぐには受け入れられない

掲載日:2019.05.14


前回、誕生日のことを書きました。
すべて本当のことですが、一方ですべてを書いたわけではありませんでした。
前回書いたことが「表メニュー」だとしたら、実は「裏メニュー」もありました。

今回は、その「裏メニュー」について書いてみようと思います。

私はセラピーのトレーニングのために、毎月東京へ通っています。
誕生日は、そのトレーニングコースから帰ってきた翌日でした。

実は今回、そのトレーニングコースで、心理的にダメージを受けました。

心理的なことやカウンセリング、セラピー、そして福祉に興味を持つ人は、
その人自身が傷つき体験をしていることが多いです。
健全に育った人は、心理や人を助けることにそれほど惹かれることはありません。

人の心とか弱い立場の人のことが気になるということは、
自分自身の中に何か「触れるもの」があるからだと思います。
私も例外ではありません。

そして、それは悪いことではなく、それをとっかかりにして、
自分の体験を糧に、人のために役立てていくことができれば、
その人の経験してきたことは意味あるものとして昇華されると言えるでしょう。

今の私が、どのような深刻な問題を抱えた人と出会っても、
しっかりとその人の課題を受け止め乗り越えていくお手伝いができるのも、
私自身のこれまでのさまざまな体験を糧にすることができたからです。

そういう意味では、深刻な、あるいは重篤な体験をした人ほど、
それを乗り越え糧にした時には、人をサポートする最強の人となることができると思っています。

ただ、そこが乗り越えられず、あるいは乗り越える気持ちもなく、
いつまでも過去の出来事や他人のせいにすることにこだわり、
「かわいそうな私」にしがみついていたい人もいます。

聴く力を持った人に聴いてもらうことを通して「過去の自分」を癒し、
次のステップに進むことが誰にとっても大事なことだと思います。

そして、「かわいそうな私」にしがみついて、
いつまでも「人に同情してほしい」だけならまだいいのですが、
幸せそうな人や順調な人生を歩んでいるように見える人に嫉妬し
その人を引きずり降ろしたくなると、ことはやっかいです。

そして、なまじ心理などを学んでいると、その方法が巧みで、なおさらやっかいになります。

カウンセリングやセラピー、心理や福祉の分野での学びの場では、
傷ついたり歪んだ自分の気持ちを癒し正しい方向に向けていく努力をすることが大切です。
そこで気づきを得て、自分自身を成長させていくことが大事です。

しかし、そのような学びの場で、仲間に嫉妬し、
人を陥れるということに気持ちが向いてしまう人は、実は少なくはありません。
私が通っているセラピーのコースにも、そのような人がいました。

トレーニングコースで1年以上一緒に学びの旅を重ねてきましたが、
最近、ある人がそれとなく私に罠を仕掛けてきていること気づき、
私はさりげなく回避していました。

心理学やセラピーの勉強を二十年以上している彼女は、とても頭が良く、
それとは気づかれないように心理的にわなを仕掛けてくることが上手でした。

私も最初は、何が起きているのかに気づきませんでした。
学ぶことに夢中で、仲間が私を陥れようとしているだなんて夢にも思っていなかった私も、
さすがに毎回の出来事に、やっと彼女が意図的に私を傷つけようとしているのだと気づくようになりました。

気づいてからは、彼女の仕掛けてくるゲームに乗らないように細心の注意を払っていました。
常に注意を払い続けることもけっこう疲れます。
早く彼女が自分の課題として乗り越えてほしいなと思いながら、
気づかないふりをして逃げ回っていました。

どんなに精巧にわなを仕掛けても私が乗ってこないことを知り、
今回彼女は真っ向から大きな罠を仕掛けてきました。

まさかその手で来るとは予想もしていなかった私は、まんまと罠にかかってしまいました。
でも、始まってすぐに「これは罠だ!」と気づき、飛び避けました。
しかし、逃げ切ることはできませんでした。

頭のいい彼女は、どうすれば私が一番ダメージを受けるかを知っていました。
それは、彼女が「弱い立場の被害者」になり、私に「傷つけられたストーリー」を作ることでした。
私は「被害者」を装った彼女に、巧みにズタズタにされました。

しかし、私を一番傷つけたのは、その場にいたトレーナーが、
そこで本当に起きていたことに気づかず、適切な対処ができなかったことでした。

トレーナーは全く悪意のない人でしたが、
その場で起きていたことに対する認知力と判断力が十分とは言えず、
結果として適切な対処ができませんでした。
私はそのトレーナーによってさらに大きなダメージを受ました。

一人の悪意のある参加者と、全く悪意がなくトレーナーとして力量不足の人によって、
私は深く大きなダメージを受けることになりました。

深刻なダメージを受けたまま夜の便で帰ってきた私は、
翌日誕生日を迎えたというわけです。

そして、ここからが一番伝えたかったことなのですが、
私はとても辛い気持ちを心の底に抱えながら誕生日を過ごしましたが、
表面上は一切表に出しませんでした。

何事も無かったかのように、むしろ快活に、ダメージを受けた翌日を過ごしました。

身近な人から性暴力を受けた人が、翌日、その加害者に会っても
何事も無かったかのようにふるまうことがよくあります。

裁判などで、周りの人たちが「(性暴力を受けたとされる日の翌日)彼女は彼と普通に、
むしろ快活に話をしていました」と証言することがあります。
だから「合意の上だった」と判断されることがあります。

「自分が被害を受けたこと」「ダメージを負わされたこと」を、受け入れたくない。
「私の身に、そんなことは起きなかった」ことにしたい。
そのような心理が働くことを、今回私は十数年ぶりに実体験しました。

前回、誕生日のことを書いた時には、私の心は、
「自分がダメージを受けた」ことを受け入れることも表明することもできない状態でした。

今は、それを書けるまでに回復してきました。

その回復を助けてくれたのは、その少し後で行った「アドラー勉強会」の仲間や、
同じセラピートレーニングの仲間たちでした。

そのトレーニング仲間とは、東京の仲間ではなく、札幌の仲間たちでした。
コースは違っていたので、これまでそれほど親しい関係ではなかった人たちと、
今回の私の辛い体験を通してより深い関係になれたことは、私にとって新たな宝となりました。

まだ十分に傷が癒えたとは言えません。
今でも思い出すと、体がこわばり震え、心臓は痛みを感じるほど鼓動が激しくなり、
涙が止まらなくなる時があります。

たぶん私は、普通の人よりも「強い」し、「強がり」も得意な人です。
辛い時ほど平気な顔をしてしまう癖は、まだ少し残っています。

しかし、強いからと言って、傷つかないということではありません。
例えば、レスリングのチャンピオンが通り魔に刺された時、
「私はチャンピオンなので血も出ませんし痛くもありません」とはならないだろうと思います。
意図的に攻撃されたら、誰であっても傷つきます。

そして私は、「強い」と同時に、人一倍「繊細」でもあります。

「強さ」だけでも、「繊細さ」だけでも、良いカウンセラーやセラピストにはなれないと思います。
「繊細さ」も持っているからこそ、クライアントさんの繊細な痛みに寄り添うことができるし、
「強さ」があるからこそ、そこを乗り越えていくお手伝いができる。
そう思っています。

今、私は、そのコースを継続することは難しいと感じています。
私に対して歪んだ感情を抱く彼女の存在はある程度仕方がないとしても、
そこに対してトレーナーが適切に対処できないのであれば、
私は自分の安全が守られない場に身を置くことはできません。

今後、トレーナーとは話し合いをしたいと思っていますが、
今はまだフラッシュバックが起きて体が反応する状態が続いているので、
自分に無理をせず、適切な時を待ちたいと思います。

私に歪んだ感情を抱いている彼女に対しても、早く自身の傷を適切な方法で癒し、
他人を損なうことにその頭の良さとこれまで重ねてきた学びを使うのではなく、
その恵まれた能力を活かす生き方をしてほしいと願っています。

そして私は、どのような体験も、糧にしていきます。
転んでもただでは起きない私です。
でも、まだ「辛い」ことは、無視せず軽視せず、
もうしばらくは自分をいたわってやりたいと思っています。