着信に「母」と表示されるのを見ただけで

掲載日:2021.09.28


今回は、クライアントさんの体験談を紹介させていただきます。
私のコメントは後ろに載せます。

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あれほど鳴るのが怖かったスマホ。
着信に「母」と表示されるのを見ただけで死にたくなったあの日から、10ヶ月が経ちました。

私は普通の両親のもとに、3人兄弟の一番上の娘として生まれました。弟が2人います。
大学進学時に実家を出て、結婚して、娘を産んで、離婚して、娘と2人暮らし。
離婚したけれど、仕事に恵まれたので生活は苦しくなく、娘と2人で楽しく暮らしていました。
母とも年に2回は旅行に行き、毎月実家に帰るほどには良好な関係のはずでした。

でも年々心が重くなり、常に遠くに行きたい、別に死んでも構わない、そんな風に思うようになりました。
原因はよくわかりませんでした。傍目にも不自由なく楽しく暮らしているように見えたでしょう。

ある日、私と娘と母、それに私の友達と4人でいる時に、私の友達がこう言ったのです。
「お母さん、それはいくらなんでもひどくないですか」と。
それは母が私に対して、「この子は昔から何を考えているか分からなくて気持ち悪い」
という発言をしたことに対して向けられたものでした。

私が母を庇わなかったせいでしょう。母の反応は激烈で、私に与えたあらゆるものを奪い、
過去のことを延々と電話で責め立てるようになりました。
私はひたすら謝り、過去にかけてもらったお金もかなり返還しましたが、
なおも電話をかけてきてはひたすら昔のことを責めてきました。

そんなある日、本当にもう死にたくなったのです。電話がかかってくるのが怖くて怖くて。
昔から気に入らないことがあれば不機嫌になって私を全否定してくる母で、
機嫌を取るので精一杯でした。
でももう最初から不機嫌に電話をしてくるのだから本当につらかったのです。

しかし同時に思ったのです、こんなのおかしいと。
「悪いのは私で、何かを我慢してがんばればうまくいく」と思っていたけど、きっと違うのだと。

ネットで母娘関係の問題について検索を繰り返し、そして紀代子さんに辿りつきました。
直感でこの人だと思い、すぐにカウンセリングを予約しました。

紀代子さんにポツポツと色んなことを話しました。
最初は自分のことをあまり話せなかったけど、
ほんの少し口にするだけでも紀代子さんが掘り下げてくれて、
その度に涙が勝手に出て泣いている状態が何回も続きました。

泣いたあとは不思議と眠くなって、次の日になると少し心が軽くなりました。
話したことを再度思い出しても、もう涙は出ません。

そのうちに母に反抗できるようになりました。
電話で、「いい加減にしてほしい」「お母さんだってこんなにひどいことをしたじゃない」
「そんな話しかしないなら電話切るよ」などと、今まで口にしたことがないセリフもたくさん出てきました。
しまいには、「もう嫌!!」と私は大きな声で怒鳴っていました。

電話を代わった父にも、「お父さんは、お母さんの言うこと聞けっていうけど、
私にだって限界があるのよ!」と泣きながら叫んだほどです。

そんな電話を2回したけれど、父はその後もいい意味で別に変わらなかったし、
母も不機嫌な電話をしてこなくなりました。
用件があってかけてきても、拍子抜けするほど普通に明るい電話なのです。

なんだ、言いたいことを言えばよかったんだ…そんな風に思いました。

一方で、中学生の娘との関係にも変化が出てきました。
前はあまり甘えてこなくて、常に私と母の関係や私の心を心配をしていた娘が、
「お母さん大好き」などと甘えてくるようになったのです。
反抗期のはずなのに素直で、精神年齢の進みがなんだか遅い気がしていましたが、
私が安定していなくて心配だったのだと思いました。娘も前より楽しそうです。

また、紀代子さんが「常に母の機嫌を取っていたため、必要以上に人に気を使うクセがある」面も
指摘してくれたので、だんだん直すようにしてきました。
すると友達に誘われる回数が増え、「一緒にいても気を使わなくていいから楽」と言ってもらえたのです。
とても嬉しかったです。

精神が安定してきたことにより、仕事もたくさんできるようになって給与もあがり、
更に他人に心を開くことが少しずつできるようになったせいか彼氏もできて、
娘と3人で遊んだりしています。

なんだかあやしいパワーストーンの広告みたいになってしまいましたが、
こんなにも精神が自分に与える影響は大きかったんだと驚きました。

あれほど鳴るのが怖かったスマホだけれど、だんだん怖くなくなっています。
もちろんまだ着信に「母」と出ると身構えますが、「家に来いと言われても、嫌だったら断ろう」
などという心づもりでいるのであまり負担ではありません。
先日など、「もう誕生日とか母の日にプレゼントは送らないからね。
でもまあ、美味しそうなものとかあったら送るよ」とも言えました。
そんなことを言ったらキレるかと思ったのに、「あらそう」だけでした。
昔はあんなに強要してきたのに本当に不思議です。

最後に、あれほど顔を見るのも話すのも嫌になっていた母なのに、カウンセリングを受けるにつれ、
嫌いな感情が少しずつ薄れ、中から感謝の念も生まれてきたことをお伝えします。
以前は自分を納得させるために、「でも不自由なく育ててくれたし、
お小遣いとかもくれるし…」と思っていたことが、
自分を納得させるためではなく、ごく自然に思えるようになったのです。
まだほんの少しですが。

私は、人生の半分以上を母とは離れて暮らしている計算になります。
それにもかかわらず、常に母の存在に縛られていたことに気づき、
少しずつその呪縛から解放されてきていることを感じます。

まだカウンセリングは続きますが、10ヶ月でこんなに人生が楽しくなるとは思いませんでした。
少なくとも、死にたいと思っていた自分はいません。

これを読んでいる、同じような悩みを持つ方が、少しでも辛く重い気持ちがなくなりますように。

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【私からのコメント】

Nさんは非常に優秀な方ですが、セッションの初めの頃は能面のように表情がなく
最初は人としての感情の交流が難しいと感じられる方でした。
しかし、セッションを始めると「人前で泣いたことがない」という彼女から涙がこぼれ、
その心の奥深くに刻まれていた痛みが徐々に癒されていきました。

だんだんと彼女に表情がよみがえり頬に赤みがさしてきました。
「こんなに豊かな表情の可愛らしい人だったんだ」と感じられるようになりました。

経済的には恵まれた家で育ち、はた目には良い環境で育ったように見えたでしょう。
しかし常にお母さんの機嫌を気にしながら育ち、
お母さんの意に反することを言ったりしたりすると激しく非難されてきました。

そうするうちにNさんは自分の感情を感じないようになっていったと思われます。
お母さんからの激しい罵倒や否定をそのまま感じて受け止めていたら、
子どものNさんの心は壊れてしまっていたことでしょう。

Nさんに限らず、子どもは本能的に自分を守るために必要なことをします。
Nさんの場合には、感情のスイッチを切ることが心を壊さず生きる術だったのです。

感情を感じず、「するべきこと」に集中していった結果、
周りが驚くほどの成績や難関の資格取得や、仕事でも高い能力を発揮してきました。
社会的な評価は非常に高い人です。

私がNさんに一番驚いた点は、子育てです。
普通、Nさんのように育った人は、「親のようにはならない!」と思いながらも、
子どもに対して自分が親にされたように感情をぶつけることが止められません。

頭でわかっていても感情を抑えられないのです。
多くの人がそこで苦しみます。
普通、私のセッションでは、その問題と向き合います。

しかしNさんは決して感情的にはならず、娘さんを尊重して育てました。

これはすごいことです。
普通はできないことです。

しかし、その普通はできないことがNさんにできた理由が、
やがて私にはわかりました。

Nさんは、ほとんどのことに感情をシャットダウンして生きてきたからです。
娘さんも「理性」と「強い意志」で育てました。
自分が親から与えられなかったものを娘に与え、されて嫌だったことはしませんでした。
「尊重して」「感情的にならず」「肯定して」「愛して」育てました。

でもそこにはイキイキとした感情も不在だったことを、
娘さんは無意識に感じ取っていたと思います。

優しいけれど、いつ自分の手の届かないところに行ってしまうかわからない、
常にそんな危うさを母に感じながらNさんの娘さんは育ったと思います。
それはどれほど不安なことだったでしょう。

Nさんがセラピーを受けて、自分でも気づいていなかった心の傷を癒し、
ご自分の感情を取り戻していった時、
娘さんはやっとお母さんを身近に感じることができたのだと思います。

遅ればせながら、今やっとお母さんに甘えることができる娘さん。

セラピーを受けて、Nさん自身の人生に彩りを取り戻しつつあるだけでなく、
娘さんの人生にも「安心」と「心からの喜び」を取り戻しつつあることを感じます。

これからNさん母娘は、もっと深いつながりを感じながら良い関係を築いていくと思います。
Nさん、ここまでよく頑張りましたね。