続きです

掲載日:2021.05.25


前回は、トラウマケアのトレーニング中に
私がデモセッションを受けることになったとお伝えしました。
その続きです。

デモセッションが始まって、私の口から出てきたことは、20年ほど前の出来事でした。
当時の記憶はほとんど無いので、今から換算するとそのくらい前だと思います。

私の断片的な記憶と体の感覚が覚えていたのは、
任期4年の市議会議員の最後の年の辞める直前の1か月ほどのことです。

議員になる前の1年間、ソーシャルワーカーとして町中を走り回っていた私は、
議員や特定の立場にいる人と親しい人たちばかりが優遇され、
そうでない普通の人たちが困難に陥っていても放置されている現状を知りました。

「一(いち)ソーシャルワーカー」として私がどれほど頑張っても、
不公正な制度の前では手も足も出ないことが多くありました。

簡単に決めたわけではありませんが、最終的に私は、
「市議会議員になって、必要としている人に適切に社会的支援が届くように
制度を公平公正なものに変えていこう」と決意を固めました。

市議会議員となり、色々な声を聞き、町中を走り回り、様々な制度を調べ、
市議会でこの町の歪んだ部分を追求し、あるべき制度に正すよう活動しました。

これまで当然のように特権的に甘い汁を吸っていた人たちにとって、
そんな私は「邪魔な存在」でしかなかったと思います。

4年間で、私は様々な方法で妨害を受けました。
それを受けて、最後の1年間は、私の心と身体は悲鳴を上げていました。

私の身体は、四六時中痛みを感じていました。
起きている時はもちろん、寝ている時にも体中に強い痛みを感じ続けていました。

それでも私は、「ここで辞めるわけにはいかない」と力を振り絞って
本来の市議会議員の仕事を全うしようとしていました。

しかし、任期最後の1か月の間に、とても恐ろしい目に遭い、
とうとう私の左半身は麻痺して動かなくなってしまいました。

身体がそうして私を止めてくれて初めて、
「このまま進めば死んでしまう」と恐怖を感じ、
私は急きょ次期の選挙の立候補を取りやめ、議員を辞めました。

左半身の麻痺に恐怖を感じ、私は札幌の病院に1か月ほど入院しました。
退院した後は、「多くの人たちの期待に応え続けられなかった」と自分を責め、
うつ状態となり自宅に引きこもりました。

家じゅうのカーテンを全て閉め、電話も切り、ただただ涙を流して過ごしていました。

そう過ごしてたぶん3か月ほど経ったころだったと思います。
「私は専門家の力を借りて立ち直らなければ」と思い、
心療内科や精神科を受診するようになりました。

しかし、当時私が出会った精神科医もカウンセラーも、
誰一人、私に寄り添ってくれる人はいませんでした。
人間性は感じられず、ただ「職業として淡々とこなす」という感じでした。

私は「心の専門家でも私を救ってくれる人はいないんだ・・・」と、
更なる絶望の底に突き落とされました。

そこから1年ほどかけて、私は(自然の力を借りながら)自力で立ち直りました。
完全に健康を回復するには、さらに5年ほどかかったと思います。

その間にも、私の左半身は、麻痺こそ起こしませんでしたが、
頻繁に「痛みを伴う強いこわばり」を感じました。
それが回復するのに5年の歳月を要しました。

心身ともに回復した(と思った)私は、そこから、
「あの辛い時に私が出会いたかった人になろう」と決め、
15年かけて今ここにこうしています。

それは、「人として相手の痛みに寄り添う心」と、
「その痛みを癒し、新たなその人らしい人生を生きることの助けになる知識と技術」
を持った専門家ということです。

この15年ほどは、左半身のこわばりを感じることはありませんでしたが、
ストレスを感じると左の肩甲骨の奥にこぶし大の痛みを感じることはありました。
それは「あの時の後遺症」と自分で割り切っていました。

前置きが長くなりましたが、今回デモセッションで私に浮上したのは、
それら市議会議員時代の事柄と体の感覚でした。

「もう無くなった」「過ぎた昔のこと」と思っていたのに、
私の心身の深いところにそれらの記憶は刻み込まれていたようです。

「そこがまだ癒されていない」と浮上してきたのです。

これまで、一人で泣くことはありましたが、「そのこと」に関して
人前で語ることも泣くこともありませんでした。

今回はデモセッションの場で、涙を流すことができました。
そして、私の傷はあまりにも大きいことに気づくことができました。

一度のセッションでは癒しきれない痛みを抱えていることに気づきました。
同時に、15年間現れていなかった左半身の「痛みを伴うこわばり」も出現してきました。

この文章を打っている今も、左半身に痛みとこわばりを感じています。

私は、日常生活に支障がないほどに自力で回復しました。

しかし、よく気づいてみれば、今でも市役所に行く時に一瞬緊張が走ります。
当時議員だった人が何らかの形で話題になったり写真が載っているだけで吐き気を感じます。
日本の中でも、誰かが勇気を振り絞って声を上げても、
無視されたり大きな力に潰されたりしていく様子を目にすると、背中に痛みを感じます。

当時の傷に瞬間的につながるトリガー(引き金)は、あちこちにありました。
あの頃の傷は癒されていないことを、今回認識しました。

私の傷は癒される必要があります。
そして、癒しは自分一人ではなかなか難しいことです。
今こそ本物の専門家の力が必要です。

デモセッションは、ほんのさわりだけしか行われませんでした。
講師は、私の傷があまりにも大きいことに気づいたのだと思います。

あの当時の傷を癒すために、私はこれから専門家のセッションを受ける必要がありそうです。
そのタイミングが来たから、今こうして私の左半身は痛みと共にこわばっているのだと思います。

ただ、今回改めて気づいたことがあります。

あの頃の私は、自分を犠牲にして人のために頑張っていました。
辛い気持ちに押しつぶされそうになりながら頑張っていました。

しかし、今の私は、まず自分を大事にしています。
自分が幸せな状態で、人さまの幸せを応援しています。

これは全く違う人生です。

「PTSD」という言葉は良く知られていますね。
Posttraumatic Stress Disorder (心的外傷後ストレス障害)の略で、
衝撃的な心の傷を受けたことによって、それ以降に強い恐怖感や無力感など
生きることに障害となるさまざまな症状を抱えることです。

一方で、「PTG」という言葉があります。
「PTG」はPosttraumatic Growth(心的外傷後成長)の略です。
つまり、大きな心の傷になるような衝撃的な出来事の後で、
そのことを糧に人間として成長していくことです。

「PTG」(心的外傷後成長)は、傷ついた人が単に傷つく前の自分に戻るのではありません。
大きな困難と心の傷を乗り越えたからこその成長であり、
トラウマ的な出来事に遭う前の自分よりも、人として深い面で成長するということです

同じPosttraumatic(ポストトラウマティック=トラウマを受けるほどの大きな傷つき体験の後)に
生きづらさや困難を抱えるDisorder(障害)の道を進むか、
人として大きく成長するGrowth(成長)の道を進むか。

まさに私は、PTSDではなく、PTGの方向に歩んできたと思います。

転んでもただでは起きたくない私は、
「過去の痛み」を、「強さ」と「賢さ」と「愛」に変えて成長してきたと思います。

そして更なるGrowth(成長)のために、適切にセッションを受けて、
まだ癒されていない痛みを解放していこうと思います。

そして、PTSDに苦しんでいるクライアントさんたちを、
私との出会いをきっかけにPTGの方向に歩んでいけるように
これからも力強く優しくサポートしていきたいと思っています。