虐待・家族・DV

掲載日:2019.02.05


また、子どもの命が親に奪われました。
小学4年生の栗原心愛さん。

批判を覚悟で、「死んでよかったね」と私は思います。

だって、大人はみんな自分の身を守ることを優先して、
誰も彼女を助けてくれなかったのですから。

このままでは虐待を誰も止めてはくれず、
彼女は父親から暴力を受け続けることになったでしょう。

死んで初めて、彼女の身に起きていたことを多くの人が知ってくれた。
何より、痛い思いや辛く苦しい思いをこれ以上し続けなくてよくなった。

死ぬことによって、心愛さんはやっと虐待から解放されました。

殺されればこうしてやっと社会に知られるけれど、
誰にも知られず、あるいは知られていても誰も助けてくれない中で、
死なないまでも家の中で親による暴力を受け続けている子どもたちが
どれほど存在しているかと思うと、私はいつも暗たんたる思いにかられます。

心愛さんは、身体的暴力と精神的暴力を受け続けていたと思われますが、
性暴力を受け続けている子どもたちも決して少なくはありません。
誰にも知られずに。。。
知っていても「無かったこと」にされて。。。

虐待は、大人になっても、受けた人の心に大きなダメージを残します。
そのことに苦しむ人たちの、ごく一部の人たちが私とつながることがあります。

その苦しみや現在に引きずる生きづらさは、
時間をかけて癒していく必要があります。

子どもへの虐待ばかりでなく、夫から妻への暴力も、
社会に知られて久しいとはいえ、少なくなったとは言えません。

身体的暴力を受けていない人は、自分になされていることが
精神的暴力や性暴力、社会的、経済的暴力であることを
認識できていない人が少なくありません。

私から、「あなたが夫からされていることはDVですよ」と言われて初めて、
自分に起きていることが腑に落ちる人も少なくありません。

あるいは、「この私がDVを受けているなんて」と
最初はその認識を受け入れることができない人もいます。

でも、「苦しい」ということは、そこに何らかの
「あなたを踏みにじること」が存在しているということです。

たった一度のご縁で繋がった女性がいました。
夫から、メールはもちろんネット検索や電話発信受信などすべてを監視され、
読む本、着る服、交友関係、ネットで見るもの、すべてを指示され禁止され、
外出も夫と一緒でなければ許されない、という女性でした。

私とつながったのも、彼女の別の問題(これも実は夫が原因なのですが)解決のために
夫がネットで探して「この人に相談してごらん」と言ったから
私とつながったということでした。

でも彼女は、「それがおかしい」とか「その状況が辛い」という感覚さえ奪われていました。
「夫のおかげで何不自由ない生活ができている」と言っていました。

しかし、話を聴いていくと、彼女の心と体には異変が起きていました。
私は彼女に、助けを求める必要があることを伝えましたが、
彼女は「たぶん無理でしょう」と力なく答え、それきり連絡は途絶えました。

どこの誰かもわからず、私には為すすべがありませんでした。
50代と思われる彼女のその後の人生を、私は時々辛い気持ちで思い出します。

この欄で何度も書いてきましたが、「家族」って何なのでしょうね。

「家族」という外からは見えない枠の中で、
弱い立場の人が自由を奪われ、傷つけられ、人生を踏みにじられている。

その多くが、誰にも知られることなく、
人生を終えていっていることを、
私たちはもっと真剣に考えなければならないと思います。

一人一人が、「家族」や「血のつながり」などを『良きもの』であると
何の疑問も抱かずに思い込んでいる現状に気づく必要があります。

「家族は素晴らしい」を前提にするのではなく、
「家族は問題をはらむ危険性が大きい」を前提にして、
そこから見ていかなくては、起きていることが見えなくなると思います。

現実にそこで起きていることにしっかりと目を向けない限り、
今回のような痛ましいことは繰り返されるし、
今も起きているし、これからも人知れず繰り返されていくのでしょう。

それを少しでも変えていくのは、私たち一人一人の意識なのだと思います。