親と縁を切る・距離を置く … 罪悪感を持たなくていい

掲載日:2016.10.04


 このコラムを書いている今日10月4日は、ノーベル医学生理学賞を大隅良典氏が受賞したニュースを各マスコミが大きく扱っています。大隅氏は受賞のあいさつで「妻への感謝」を述べていました。
 これまでもノーベル賞を受賞した方たちの「妻への感謝」の言葉をよく耳にしてきました。そしてそれは、決して決まり言葉ではなく、心からの感謝であることが伝わってきます。
 受賞者が決まると、マスコミは毎回お約束のように妻(や子どもたち)の声を伝えます。そこから伝わってくるのは、ほのぼのとした夫婦関係や親子関係です。私が感じる限り、ノーベル賞を受賞する人たちの夫婦関係の良さ、ひいては家族関係の良さは割合的に高い気がします。
 夫や父親を尊敬したり慕っている家族の様子は、そのまま素直にこちらも幸せな気持ちにさせてくれます。武者小路実篤ではありませんが、「仲良きことは美しきかな」です。「仲がいい」って、文句なくステキなことだと思います。

 そんな「仲の良い家族」にほのぼの感を抱くと同時に、私はその逆の親子関係で辛い気持ちを抱えている人たちのことを思います。
 自分勝手な親は、子どもがいくつになってもその日常や人生を支配しようとします。とっくに成人して新しい家族を作っている我が子に対し、親である自分を優先するようにと求め、思い通りにならないと子どもを責めます。
 子どもは、親に関わるたびに、あるいは実家に帰るたびに傷つき辛い気持ちにさせられます。「自分の生活を大事にしたい」「今の自分の家族(夫や子どもたち)との関係を一番にしたい」。そう願っても、親は「親である自分を優先すること」を要求し、満足するような対応をしない時には子どもを強く責めます。そしてそういう親は、尽くしても尽くしても満足をすることなどなく、要求はエスカレートしていきます。
 そのような親子関係の子どもは疲弊しています。それでも、多くの「子どもの立場」の人たちは、そんな親から距離を取ることに罪悪感を抱きます。「親を大事にできない自分」「親をうとましく感じる自分」に罪悪感を抱き、自分を責めます。
 子どものことを尊重してくれる親なら、子どもの側も自然と大事にできると思います。しかし、子どもを尊重しないでいて「(親である)自分のことだけを大事にしろ!優先しろ!」と主張してくる親に対しては、子どもはそんな親よりも自分を大事にしていいと私は思います。
 親子であろうと他人であろうと、そこにある関係性がお互いを尊重し合えるものでないなら、ムリにそこにとどまる必要はないと私は思っています。相手の一方的な要求に従うだけの関係、批判や否定しかされない関係は、人を疲弊させ心や体をむしばんでいきます。
 職場の人間関係であろうと学校であろうと親子関係であろうと、尊重されず傷つけられるばかりの関係であるなら、私はそこから撤退することを勧めます。永久にそうである場合も、一時距離を置くことで関係性が変わる場合もあります。良くないのは、相手の(理不尽な)要求に応えられないと自分を責め続けたまま辛い状況に身を置くことです。
 「親であっても縁を切っていい」。私はあえてそう伝えたい。あなたを大事にしてくれない親なら、罪悪感なく縁を切ったり距離を置いていいのです。
 あまりに自分勝手な親が多すぎる現状に、ちょっと切れ気味の私がいます。たとえわが子であっても自分ではない人の人生や日常に勝手に踏み込んだり一方的に要求を押し付けたり傷つけたりする権利など、誰にもありません。
 とっても仲の良い夫婦や親子は、はたから見ていても気持ちが晴れやかになります。でも、そのようなステキな関係の家族は、私の経験や感覚から言って、たぶん世の中の1~2割くらいしか存在しないように感じます。実は「ステキな家族」は確率的にとても少ないにもかかわらず、そういう家族は遠慮なく表に出すことができるので人の目に触れやすい。そしてとても多い「いろいろとグチャグチャしている家族」は、表に出ることはほとんどありません。「グチャグチャ家族」が表に出る時というのは、それが限界に達して「事件」になった時くらいだと思います。
 相談を受けていてよく感じることは、「絵にかいたような仲良し家族が当たり前」で、「自分の家族はそうではない」と悩む人がいかに多いかということです。だから伝えたいのです。「仲良し家族」は少数で、大多数は「どこか問題あり家族」なんだよ!と。だから心配しなくていいのです。多くの人が、大なり小なり家族のことで悩んでいるんです。あなただけが特殊なのではないんです。
 そして、あまりにひどい親なら、縁を切ってもいいんです。あなたは「あなた自身を幸せにしてあげればいい」のです。それがあなたの一番の責任です。私は世界中に向かって、そう伝えたいです。