Aくん

掲載日:2017.09.05


先日、娘と あるイベントに行った時のことです。 
受付を済ませようとすると、娘が「Aくん!」と声を上げました。
そこには、日に焼けた精悍な若者が笑顔で立っていました。

Aくんは、娘の中学時代の同級生でした。
当時、Aくんは不良グループのリーダーとして名を知られていました。
教師に対して攻撃的で、学校の備品なども頻繁に壊していました。

ある時、学校のトイレをかなり派手に壊し、その件でPTAの臨時集会が開かれました。
仕事が忙しくPTAには全く顔を出していなかった私も、参加してみました。
そこでは親たちがそろってAくんグループの親たちを、激しく非難していました。
やったことはもちろん悪いことだけれど、あまりにも大勢で一方的な非難の様子には違和感を感じました。

私は手をあげて発言しました。
「なぜAくんたちは、そのようなことをするのでしょう?
私の娘は、私に「Aくんは本当はいい子なんだよ」と言いました。
そんないい子だったAくんがそこまでひどいことをするには、訳があるのではないでしょうか?」

そんな発言をした私に、PTA会長をはじめとした親たちが
教師の顔色をうかがうような言い方で、一斉に非難をしてきました。
Aくんをはじめとしたグループメンバーの親たちはうなだれ、
私はたった一人批判の矢面に立たされました。
抵抗もしてみましたが、多勢に無勢で私の声は非難の嵐にかき消されました。

臨時集会でのことを娘に報告すると、娘は更にAくんについて教えてくれました。
部活動で活躍していたAくんが荒れだしたのは、部活の教師の体罰が原因だというのです。
正義感の強いAくんは、自分が体罰を受けている時には我慢をしていましたが、
友人があまりに激しい理不尽な体罰を受けた時に、教師に抗議をしたそうです。
しかし、その教師は、Aくんに対しても更に激しい暴力をふるったそうです。
教師である大人が、中学生に殴る蹴るの暴力をふるって黙らせたのです。
その日から、Aくんは教師に反抗的になり学校の備品を壊す不良になっていったそうです。

私がPTA臨時集会でたった一人ボコボコにされたことは噂になり、
実はその教師の体罰でけがをした生徒たちが複数いることを教えてくれる人もいました。
でも子どもを人質にされているから、誰も面と向かって学校や教師に言えないと言っていました。

「Aくんは、教師に反発し学校の物を壊すことはあっても、弱い者いじめはしない」ということも
のちにいろいろな人から聞きました。
Aくんは、「軽い知的障害がある子がいじめられていた時にその子を助け、
以来「俺のそばにいろ」とその子を守り続けている」というようなエピソードも、
いじめられていた子のお母さんから知らされました。

結局Aくんは学校から排除されるように、少年鑑別所に送られました。

その後、Aくんは高校にも行かずフラフラしていると風のうわさで耳にしました。
Aくんをこのまま「不良」として放置しておいていいのか。
私のおせっかい魂がうずきました。

知り合いの大工の棟梁に事情を話し、Aくんを引き受けてくれないかと頼んでみました。
その棟梁も、私が「この人なら」と見込んだ人です。
「そんな事情の子なら」と、棟梁も引き受けることを快諾してくれました。

その足でAくんの家に行き、Aくんとご両親に話しました。
Aくんもご両親も、PTA集会でのことを知っていましたので、私の話に耳を傾けてくれました。
Aくんは「やってみたい」と言ってくれ、棟梁の元で大工見習となりました。

それで終われば「めでたしめでたし」だったのですが、
その後Aくんは半年ほどで辞めたと耳にしました。
あとでAくんのお母さんに聞いたところによると、
先輩の大工さんの不正などが我慢できなかったそうです。

「大人を信用してみよう」と、一歩踏み出してくれたAくん。
そんなAくんをまたも大人の汚さに触れさせてしまったことを、申し訳なく感じました。
しかし、Aくんの気持ちは十分にわかるとしても、辞める前に相談してほしかったなと思いました。

Aくんは「棟梁だけは好きだった」と言っていたそうです。
事情はともかく、お世話になった挨拶だけはしっかりするべきだと伝え、
改めて棟梁にはお礼とお詫びのあいさつに私が連れていきました。

「自分の言葉で、棟梁にちゃんとお礼と挨拶をしてきてね」とAくんの背中を押して、
私は車の中で待っていました。
Aくんはかなり長く棟梁と話して戻ってきました。

私はその時の自分にできるだけのことはやったと思ったので、
気にかかりながらも、それ以上は頼まれない限りAくんのことには関わりませんでした。
十数年前の出来事です。

そんなAくんが、先日のイベントにいたのです。
実はAくんはその後、棟梁の元に戻ったそうです。
今では「一番若い棟梁」として後輩に慕われ、先輩にも一目置かれていることを知りました。

「あの時はお世話になりました」と言うAくんには、かつての投げやりな面影はありませんでした。
会場で「パパ、パパ」とAくんを慕っている2人の子どもたちを見て、
彼が子どもたちにとってよきパパであることも知ることができました。

「いつか自分の家を建てることが夢です」というAくんは、
まっすぐで信頼できる仕事をするのだろうと思います。
棟梁Aくんの元で仕事をするチームが建てる家は、
きっとしっかりとした快適な家になるのだろうと思います。

ここにも一人、「幸せ」を手渡していく人を見つけました。