自分を守る力

掲載日:2025.11.04


熊による被害のニュースが後を絶ちませんね。
今年は亡くなった方も多く、また処分された熊も多く、どちらも胸を痛めます。

素人考えですが、熊の住む山にドングリや柿の木を植えて、
熊が里に下りで来なくてすむようにはできないのでしょうか。

木が育って実をつけるまでには時間がかかるので、
それまでは庭に放置されている柿やどんぐりなど餌となるものを集めて
ドローンで山に捲くなどして熊が山での生活を完結できるようにはできないでしょうか。

ようやく政府も熊問題に関して動き始めたようですが、
熊を殺すことばかりに重点を置くのではなく、
人の生活圏と熊の生息域をゾーニング管理して、
どちらも傷つかず共存できる良い方策を考えて実行していただきたいと願っています。

熊による被害と聞いて、ふと父のことを思い出しました。
私が小学校低学年くらいのことだったと思いますが、
父が山で熊と遭遇したと話していました。

目の前に突然、大きな熊が現れて、さすがの父も驚いたと言っていました。
4~5メートル先の熊と、数秒間だか数十秒間だか、にらみ合ったそうです。
その時、父の頭には「死もよぎった」そうです。

やがて、しばしのにらみ合いの末、熊が去っていったということです。
そのことを聞いた時、幼い私は「ふ~ん」という程度でしたが、
昨今の熊被害のニュースを耳にする今では、
クマに襲われずに済んだということは凄いことだったんだなと思います。

父は気性の激しい人でした。
母や私たち子どもにも暴力をふるう人でした。
怒り出すと止まらない、ものすごい破壊力のある人でした。

恐いものの順番で「地震・雷・火事・親父」という言葉を知った時、
子どもの私は「地震や雷も、とっても恐いけれど、
お父さんのほうがずっと恐い」と思っていました。

あの父が本気で熊と向かい合った時、
さすがの熊も父の気迫に圧倒されたのかもしれません。

そんな父の気性の激しさを、私も受け継いでいます。
と言うと驚かれるかもしれませんが、
十分の一くらいマイルドにして「気の強さ」として受け継いでいます。

でも私は、他者に暴力をふるうことはしません。
私の気の強さは、弱い立場の人が理不尽に痛めつけられたときに
声を上げて守ることに使えます。

また、私自身が理不尽や不当なことをされた時に、
自分を守るために「言葉」と「気迫」で使うこともあります。

そんな「言葉」と「気迫」を使う状況が先日起きました。

ある仕事の契約を結んだ時のことです。
それは私のほうがお金を払う仕事においての契約でした。

その契約に関して担当者の説明があいまいだったので、
私は何度か問い合わせをしました。

しかし担当者は返事もよこさず、私からのメールを無視しました。
「契約を取れたらあとは知らんふり」という不誠実な態度に怒りを覚え、
数日待って私は気迫のこもった抗議のメールを送りました。

そのメールを送った直後に、速攻で担当者から電話がかかってきました。
(すぐに対応できるじゃない。)

抗議されてはじめて、担当者は「これはヤバい」と感じたのでしょう。
たぶん担当者は、私のことを「高齢女性だから」と甘く見ていたと思います。

残念でした!

私はそのへんの気の弱い女性とは違い、
おかしなことには抗議する強さを持った「高齢女性」です。

彼はいろいろと言い訳を始めましたが、私はそんな言葉には耳を貸さず、
「契約を破棄する」と伝えました。

電話口での私の理路整然とした毅然とした言葉に、
彼は「言い訳は効かない」と察し、平謝りになりました。

「口先で謝っても許さないぞ」「誠実な態度を見せろ」と、
こんな乱暴な言葉は使いませんでしたが、
そのようなニュアンスで私は強く出ました。

最終的に、私が求めた誠実な説明が得られ(最初からこうしろよ)、
あいまいな部分を見直した「新たな契約内容」を先方から提案されました。

そんな提案をされるとは思っていませんでしたが、
私の時間を奪ったことと気分の悪さへのお詫びとして
私はそれを受け入れることにしました。

担当者と話しているときには、交感神経がかなり昂りました。
「熊と対峙」ではありませんが、
いざとなったら本気の気迫で相手にせまるという、
こういう時に交感神経は使うものですね。

念のため、私がやったことはカスタマーハラスメントではありません。
不誠実な仕事に対しての、正当な抗議です。

父から受け継いだ気性の激しさを、私はこのように有効活用しています。

しかし、このように正当に抗議できる強さを持った私も、
はじめからこうであったわけではありません。

子どもの頃には父から奪われていた「自分を守る力」を
私は大人になってから自分で徐々に取り戻していきました。

しかし、かつて政治の世界にいた時には、またそうできなくなっていました。

圧倒的に強い力で虐げられたとき、
人は本来持っている「自分を守る力を奪われてしまう」ということを、
大人になって再度経験しました。

クライアントさんたちも、子どもの時には親が圧倒的な力を持っていました。
そのような中で理不尽さや虐待に遭った時、
その人の「自分を守る力」は奪われ、大人になってもそれが続くことを感じます。

セッションでは、傷ついた心とズタズタにされた境界線を修復し、
本来備わっているはずの「自分を守る力」を回復していくことも、
私の中で一つの目標としています。

「境界線をズタズタにされた」どころではなく、
父によって「境界線を破壊された」私でも、
ちゃんと修復して「自分を守る力」を取り戻すことができました。

ですから、境界線がどのように不安定になっている人であっても、
修復は可能であることを伝えたいと思います。

適切な「自分を守る力」を回復して、
安心して自分の人生を生きられるようになってほしいと願っています。