あなたは今も
掲載日:2023.02.28
今回は「偏見」や「差別」についてもう少し書いてみようと思っていましたが、
予定を変更してクライアントのMさんの文章を掲載します。
実は、新しくセッションを始めたクライアントさんたちが
「生きづらさ」や「絶望感」「希死念慮」などを強く訴えていて、
それはセッションを開始したころのMさんとよく似た状態だと感じました。
そこで、先輩のMさんの体験を知ってもらうといいかなと思いました。
Mさんに「あの頃のあなたのような人に向けて文章を書いてもらえませんか」
とお願いしたところ、快諾してくださいました。
ほどなく送られてきた文章は、私の想定した以上のものでした。
一刻も早く新人クライアントさんたちに読んでもらいたいだけでなく、
より多くの人に読んでもらいたいと思い、今回掲載させていただきます。
同じような体験をしていない人でも、Mさんの言葉には胸を打たれるでしょう。
同じような痛みや辛さを体験し、現在も苦しみにさいなまれている人は、
なおさらここに記された意味が深く理解でき、心に染み入ることと思います。
表現することが難しいほどの関わりを母親から受けてきたMさんは、
身体的暴力は受けていません。
マイホームで両親と妹との4人家族の中で育ちました。
「虐待」と誰にも認識されないまま家庭内で行われている行為は、
子ども時代だけでなく、その子が大人になっても、
心を、人生を、傷だらけにし、
血まみれになった心は常に死へ逃れることを願います。
そんな現実がこの社会には展開していることを、
多くの人に知ってもらいたいと思います。
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あなたは今も
胸の奥を焼かれ、締めあげられる痛みを抱えながら生きているのでしょうか。
絶えず傷つけてくる世界に怯え、次来るショックで潰れてしまうかもしれない恐怖を感じながら今日も生きているのでしょうか。
息が上手くできず、酸素が入らない体で目の前のことを精一杯こなしているのでしょうか。
どこまで行っても自分は孤独で、守られるものはなく、助けがこないのだと理解して、絶望してから何年経ったのでしょうか。
もう生きられないと何度も思いながら、何度自殺を決意したのでしょうか。
その度に生きてしまったことを、何度後悔しているのでしょうか。
私たちは毎日、無価値であることや、愚かで、疎ましい存在だと証明されながら、
その命を望んでいないと伝えられる現実で生きてきて、
今日この日まで、死を望みながらも浅ましく生き残ってきました。
私たちの腹には、何年もの呪詛や怒りが堆積され、腐りながら混ざり、もう一つ一つを認識できなくなった土壌があります。
その上には無気力、無価値、恐怖、コントロールが効かない情緒や絶望、あるいはムカつきが咲き誇っています。
私たちは、ただただ、どうにかして生きるためにもがいていただけなのに、
大人になってしまった今、一切の過去の責任は自分にあると突きつけられ、
逃げ場もなく、理解もされず、また理解されることも恐ろしく、
とうとう自分で自分の首を絞めながら己を生かすことで日々を乗り切ることとなりました。
私たちにとって、今日生きることと、今日死ぬことは道路の白線を越えるほどの違いしかなく、
脳の何かの電気信号がちょっとずれただけで、
深く静かな世界に逝けてしまうほどのわずかな差でしかありません。
昨日心に灯したささやかな希望や生きる気力は、
今日もまた脳内で叫ばれる厳しい叱責に踏み躙られ、自らの手で消し去るように強要されます。
やがて私たちの魂は恐怖に絡め取られ、息も止まり、体も思考も止まります。
私たちの悲しみの多くは、時が経つごとに、他人からは忘れ去られ、過去の中へときえていきました。
私たちの真実を知っているのは、もう世界でたった自分たちだけになってしまいました。
それなのに、私たちの世界では、私たちが無価値で、不快で、悍ましいものであることは、純然たる事実として冷たく広がっています。
すみませんとごめんなさいを繰り返し、迷惑にならないように生きていても、ちょっとした隙をついて世界は私たちを傷つけにきます。
今日をなんとか生き延びては、夜は布団のなかで、静かに息が止まることを夢見て眠り、朝の天井をみながら、その願いが叶わなかったと少し泣くのです。
その現実のなかで、私も、あなたも、このカウンセリングを受けるという選択をしました。
私は、紀代子さんとカウンセリングをし始めた時に2つのことを思いました。
一つは、お金を騙し取られているのではないか
この45分一万円に意味なんてないのではないか
ということ。
二つ目はお金をはらえば優しくしてもらえるのか
賃貸と同じように、お金を払えば存在を認めてくれる時間が買えるのか
ということです。
つまり、人を信用をすることができなかったのです。
紀代子さんを信用する練習が私の中で始まりました。
疑心暗鬼の中で、カウンセリングを受け続けていったら新しい苦しみが生まれました。
カウンセリングを意味あるものにするために、自分で自分と向き合う努力をしなければなりませんでした。
触れるのも恐ろしい罪悪感を見つめ直し、過去と同じ悲しみを追体験することもありました。
何度向き合っても、トラウマは、消えたと思えばまた蘇り、鮮やかに日常を侵食していきます。
一方で、カウンセリングは今までの人生で唯一、苦しみを苦しみとして、悲しみを悲しみとして理解してくれる場所となりました。
コントロールできない死の衝動や、他人からの刺激でパニックになっている中で、次のカウンセリングまで、持てばいいと考えるようになりました。
それは荒れ狂う海のなかで、遠くに光る灯台を見つけた時のようで、激しく揺さぶられながらも意識を先に向けてくれるものでした。
やがて、1年がすぎ、2年が経とうとするころ、気がつくと衝動に駆られる回数が徐々に減ってきていることに気がつきました。
カウンセリングを始めた頃は、何か大きなトラウマと向き合って、乗り越えたら世界が変わるとおもっていましたが、少し違うようでした。
1ヶ月で20日パニックになっていたところが、15日になり、10日になり、7日になり、と
世界がだんだん静かになってきました。
死以外を考える余裕が少しだけできて、生きることを前提に物事を考えている自分に気づきました。
また、パニックになる時に紀代子さんの声が聞こえるようになりました。
自分で自分を落ち着けることができるようになってきました。
それでも偶然の重なりで、耐えきれない苦しみが噴き出すこともまだ、あります。
ちょうどこれを書くまえに、久しぶりの抑えきれない自殺衝動に絡め取られ、パニックになっていたところです。
やはり、一筋縄ではいかないようではあります。私も、まだまだ道半ばであるようです。
あなたがどうしてカウンセリングを受けるようになったのかはわかりません。
その理由よりも、耐え難い自己否定の中で、生きる手段を選んだ結果が素晴らしいことだとおもいます。
死ぬことよりも難しい選択をしたあなたを心から応援したいと思います。
きっとあなたは、今まで多くの悲しみや理不尽を耐え、
もうこれ以上ないくらいの自己嫌悪と罪悪感から、自分自身に何度も絶望してきたのではないでしょうか。
そんなあなたに今更耳障りの良い言葉を信じろというのも無理な話だとおもいます。
だから祈ります。
どうかあなたの心に灯台が立ちますように。
どうかあなたの世界が静かになり、穏やかな時間を取り戻せますように。
どうかあなたが、あなたを許せる日が来ますように。