「学んだ知識」と「使う難しさ」の間を行ったり来たり

掲載日:2019.09.03


来週、3か月ぶりに「アドラー勉強会」を開催します。
岸見一郎氏の「嫌われる勇気」から始まり、今は「幸せになる勇気」を仲間で読み込んでいます。

「アドラー心理学」については、色々なところで講演や研修が行われていると耳にします。
対人関係や部下の指導などに役立つ「有効な心理学」と認識されているようです。
参加者は30人、50人、更には100人などと聞きます。

数年間にわたり仲間と勉強会をしてきた私としては、
そのような大人数に向けての一方的な講演や講義では
アドラー心理学の本質は届けられないだろうと思っています。

学び方や身につけ方は、その題材によって方法が異なると思います。
本や講演で「知識」として身につけられることもあれば、
「腑に落ちる」という感覚を通してしか身につかないものもあると思います。

「アドラー心理学」の本質は、後者の「腑に落ちる」ことでしか身につけることはできないと、
自分自身の体験を通しても確信しています。

一方的な講義や研修で「わかった」つもりになって職場や親子関係で使われると、
部下や子どもがいい迷惑だと思います。
叱られそうですが、そのような講義や研修は講演者や主催者を儲けさせるだけで、
受講者にとってのメリットは「無い」とは言いませんが、「あまり無い」と思います。

「アドラー心理学」は「心理学」とは言っても、学者や一部の頭の良い人たちのものではなく、
私たち一般の人間にもなじみやすく入りやすいものです。
本や講演を通して「わかった」つもりにもなりやすいものです。

しかし、入り口は入りやすくても、いざ日常生活で使おうとすると、
実はけっこう難しい「実践に役立つ心理学」です。

「わかった」つもりになって「こんなの簡単!」と大きな勘違いをする方たちも少なくありませんが、
いざ使ってみると職場でも親子関係でも全く役に立たないどころか
反発を受けることにつながり、「簡単」ではないことはすぐにわかると思います。

その「使う難しさ」と「学んだ知識」の間を行ったり来たりしながら少しずつ自分の体に沁み込ませていく、
それが「アドラー心理学」を学び日常生活に活かすということだと思います。

「本を読む=アドラー心理学の知識を頭に入れる」ことと並行して「日常生活で使ってみる」。
そして「うまくいかない難しさ」に直面した体験を仲間と分かち合ったり、
「自分の環境(職場や親子関係)にどのように使うといいか」をみんなの知恵を借りて考えたり・・・。
それを私たちの勉強会では続けています。
メンバーそれぞれの体験が、誰かの役に立つことも多いのです。

そのようなことを通して、一人一人が「アドラー心理学」を自分のものとして、
「生きた知識」として日常の困難や課題に使っていくことができるようになっていきます。

そして、くじけることなく学び続けた結果が日常の人間関係で活かされた時には、
「小さな」~「極上」の喜びが待っています。
そしてそれは、対人関係のみではなく、何よりも「自分自身の生きやすさ」につながることも
メンバーは実感しています。

苦しくて投げ出してしまいたくなる時があっても、
投げ出さずあきらめず「学び」「実践」した人には、大きな喜びというご褒美が待っていることを、
アドラー勉強会のメンバーたちはみんな知っています。

そんな「喜び」の瞬間が一つでも増えていくように、3~4か月に1回の
時に厳しく深く、時に大笑いで仲間と共に学びを深めていく「アドラー勉強会」を、
私を含めメンバーは楽しみにしています。

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このような学び方は、私個人にも当てはまる学び方です。
毎回のセッションでクライアントさんから出されるテーマは、
私としてはなじみのあるテーマであることも、初めてのテーマであることもあります。

私にとってはよくあるなじみのテーマであったとしても、
環境や生い立ちそして個性は、クライアントさん一人一人違います。

ですから、その人の声(実際に言っている言葉も言っていない言葉も)をよく聴いて、
その人に一番良いであろう関わりをさせていただきます。
毎回、私にとって、やはり「初めての体験」と言えます。

セッションの後、私は毎回振り返りをします。
「あの時、クライアントさんの気持ちがあまり動かなかった。どうしてだろう?」
「あの時、私はクライアントさんの言葉を軽く流してしまったが、あそこでもっと何かができたのではないか」
などなど。

そんな疑問を持ちつつ専門書を読んでいくと、
抱えていた疑問に対する答えと思われることが書いてあったりします。
前回読んだ時には素通りしていたところに、「今私が求めている答え」が書いてあるのです。

単にセラピーの専門書を読んでいるだけでは知識として入ってくるだけのことですが、
実際のセッションでの経験から「疑問」や「問い」を持って本を読んでいくと、
「問い」や「疑問」に引っかかる言葉が「浮き上がってくるように」あるいは「太字で書かれているように」
私の目に飛び込んできます。

これも「知識」と「実践」を行ったり来たりして、学びを腑に落としていくという体験だろうと思います。
「実践のない知識」だけでも「知識のない実践」だけでも、不十分なのだろうと思います。

本当に自分を高めていきたい、今よりも成長していきたいと思うなら、
「学び続けること」と「実践し続けること」をやるしかありません。

私個人としては、セラピーに関しても切磋琢磨していく仲間ができるといいなと思っています。
プロフェッショナルとしての自覚を持ち、自己研鑽をいとわない、高め合える仲間が欲しいです。
いつか、できればそう遠くない日に、「この人だ!」と思う仲間に出会いたいと願っています。