メサイアコンプレックス

掲載日:2019.09.17


最近は、ありがたいことに紹介によってご縁がつながる方が増えています。
紹介してくださる人たちは、ご自身が私のセッションを受けたクライアントさんだったり、
私のクライアントさんたちの回復や人生の変化を目の当たりにしてきた身近な人たちです。

そのようなご縁で2か月ほど前からセッションを始めた方がいます。
数年前にパワハラを受け、以来会社に行けなくなり、メンタルクリニックに通っている方を、
ご家族が心配して、病院以外の方法を探していた方です。
医師の診断は「重度のうつ病」で、良くなるどころか薬の量も心配になるくらいだと言います。

私にそのような方のサポートができるかどうかは正直わかりませんでしたが、
「人によって壊された心は、人によって回復することができる」と信じている私は、
「とりあえず一度お話させてください」と、引き受けました。

人に会うことも恐ろしく、公共の交通機関も利用できない人にとって、
「自宅から電話で受けられる」という私のセッションの方法は、
ご本人にとっても不安感を抱かずに済む方法だったようです。

2週間に1回お話をする中で、本当にひどいパワハラを受け続けたことがわかりました。
そのような環境にいたなら、私でも完全に心が壊れると思うほどひどい体験をされていました。

どんどん表情が無くなって感情も感じられなくなった頃に唯一辛さをわかってくれたのが、
現在も週に1回通っているメンタルクリニックの医師だったそうです。
ですから、その方にとってその医師は「唯一自分を助けてくれる人」という存在のようです。

しかし、お話を聞いていくと、ご家族が心配していた通り、薬の量が異常でした。
普通ではない、驚くような副作用がいくつも出ていても、大量の薬が出され続けていました。

いつまでも良くならない状況と薬の副作用を心配して、
他の医療関係者からも「医者を変えたほうがいい」と助言されているそうですが、
本人の「医師への信頼度」は強固で、当面は誰もそれを覆すことはできそうもありません。

セッションを始めてみると、「そもそもこの人は本当に重度のうつ病なのか?」という疑問がわきました。
丁寧に話を聞いていくと、しっかりと話ができるし、整合性もあり、
本人ではなく医師の方に問題があるのではないかという思いが強くなります。

セッションは毎回地獄の底からのような重く暗い声で始まりますが、
お話をしているうちにどんどん声が明るくなって元気になっていきます。
それは「そう状態」の明るさや元気とは異なり、とても自然な緩やかな回復の仕方です。

その方は、とても温かく心優しい家庭で育ち(「良い家族のふりをしている家族」とは違って)
両親もきょうだいもとても良い関係であることがわかります。
現にその方のきょうだいから、「自分がセッション料金を払うから」と言って依頼されました。

ゆっくりと話を聞かせていただく中で、いろいろなことに気づいていかれます。
「今まではいつも話の聞き役だったけれど、こんなに自分の話を聞いてもらったのは初めて」
「じっくりと聞いてもらっているうちに、置かれていた環境に気づいていけた」
などと冷静に受け止められ判断できることもわかりました。
(医師からは、「自分で判断する力もない」と告げられていました。)
私には、最初に話した時から、「この人は絶対に大丈夫」という感覚がありました。

「絶望の真っ暗闇の中にいる毎日だったが、話していると未来に光を感じる」と言います。
「自分は大丈夫だ」という感覚が生まれ、「希望を感じることができる」と言ってくれるまでになりました。

ところが、そのように元気になっても、2週間後のセッションの時には、また「地獄からの声」に戻っています。
聞いてみると、前向きな気持ちでクリニックを受診すると、
医師からその気持ちを否定され、相変わらずの薬を処方されて帰ってくると言います。

「やっぱり自分はダメなんだ」という気持ちでクリニックから帰ってくるそうです。
すると途中でパニックを起こし、「やっぱりお医者さんの言う通り、自分はダメなんだ」と落ち込むと言います。

安易なことは言えませんが、私には、医師によって「ダメ人間」にされているように感じられます。
異常な副作用が出ている薬を大量に使い続け、上向きになった患者さんの気持ちをくじく医師って、
本当に患者さんのためを思っているとは、私には到底思えません。

患者さんに「自分はダメなんだ」と思い込ませて、
医者である自分しか頼る人がいないように思わせて、いつまでも依存させておきたい。
そんなふうに私には思えます。

それでも、この数年間で築いてきたご本人の医師への信頼度は強固です。
(私には、そのようにマインドコントロールされているとしか思えませんが。)
その医師から引き離したいと願っているご家族の気持ちがよくわかります。
引き離さないと、この人は延々と「ダメ人間」のままにされてしまうと思いました。

私のセッションは2週間に1度で、クリニックへは週に1度です。
どんなにセッションで上向きになってもクリニックで否定されると、元の木阿弥どころか、
「大丈夫」と感じた自分自身を否定する心理が働き、
本人はますます「自己否定」の闇に突き落とされます。

その医師からこの人を取り戻すには、せめてその人と接する回数を医師と同じにしたいと思い、
依頼者に了解を取り、セッションを週に1回にさせていただきました。

ここから、今現在このクライアントさんが抱いている「医師に対する強固な信頼」を否定することなく、
徐々に私への信頼度を増していってもらおうと、奮闘を始めたところです。

できれば、その医師と直接話をしてみたいという気持ちがあります。
もう少しそのクライアントさんとの関係ができてきたら、受診に同席させてもらうこともありかなと考えています。

可能であれば、私とその医師とで「その人にとっての最善」を一緒に考えられたら一番いいと思うのですが・・・。

・・・・・

この医師の患者さんへの対応から、
私には「メサイアコンプレックス」という言葉が浮かびます。

医師や看護師、カウンセラー、福祉関係者など、対人援助に関わる人たちに見られがちな心理です。
自分自身の自己肯定感が低く、根底に「人を助けることで自分の存在意義を確認する」
「他人を救うことで自分の価値を感じる」という心理があります。

私自身の経験から言って、対人援助職につくとき、
入り口は「メサイアコンプレックス」からその道に入ることが悪いとは思いません。
現に私にも、福祉の世界に足を踏み入れた時には
「誰かの役に立つことで自分の価値を感じる」という心理があったと思います。

必要なことは、自分の仕事にはそのような心理が働きがちであるということを肝に銘じ、
その罠に落ちないように厳しい目で常に自己点検をし続けることだと思います。
無自覚に援助職に居続けると、いつのまにか「メサイアコンプレックス」にとりつかれてしまうことがあります。
援助の対象者が自立しようとすると、その自立を阻み、いつまでも自分に依存するように働きかける人もいます。

援助職の人は、「自分の中の不幸感や満たされなさ、無価値観」から仕事をしていないか、
を常に点検している必要があるでしょう。
人の自立や幸せに貢献するためには、まずは自分自身が自立していることは大前提です。
そして、誰かに幸せにしてもらうのではなく、
どのような状況にあったとしても、自分で自分を幸せにできる力を持っていること。

これらは、「援助職はすべて一人で頑張らなければならない」
「完璧な人間でなければならない」と言っているわけではありません。
時には人に助けてもらうことも含めて、臨機応変に生きていく力をつけていく必要があるということです。
少なくとも、「自分の存在価値を感じるために他人を利用してはいけない」ということを
肝に銘じておく必要があります。

全ての人が、自分で生きる力を持っています。
人によっては、今は何らかの事情で一人では立っていられない状況だったとしても、
そう遠くない日にその人が自分で立てることを信じて、その人の生きる力を信じて、向き合うことが前提です。

自分がいなければその人が一人で立っていられない状況や関係を作ってはならない。
「目の前の人がより良い人生を歩むために」今のご縁がつながっていることを忘れてはいけない。
いっとき壊されてしまったり失ったように思える状況に陥っているとしても、
本来のその人の中には「自分でより良い人生を選択し歩んでいく力がある」ことを思い出し、取り戻していく。
そのサポートのために自分がいるのだということを、援助職の人は忘れてはいけないと思います。