「差別(され)感」を味わった私 & 「発達障害」の私

掲載日:2018.11.27


この1年間、月に1回は東京を往復してきました。
先日11月22日は、帰りの便に羽田発20時のANAを利用しました。
いつもは20:15発のエアドゥを利用しますが、3か月前にもかかわらず満席で予約が取れず、
ANAに残席があったので少々お値段は高くなりましたが背に腹は代えられず久しぶりに利用しました。

出発ロビーで、「20時に定刻の出発」というアナウンスがありました。
いつものエアドゥ20:15発は頻繁に出発が遅れるので、
「さすが全日空!」と愛社精神も刺激されつつ、定刻出発を嬉しく感じました。

その直後、エアドゥでは体験しないことを体験しました。
車椅子利用者や小さな子ども連れなどを「事前改札サービス」として先に案内することは、
エアドゥでも行っています。
違っていたのは、その後です。

その次に、「優先搭乗」の対象者が案内されました。
マイレージサービスのステータスのランクによって、一番最初は「ダイヤモンド会員」、
そして「プラチナ会員」「スーパーフライヤーズ会員」などの「プレミアムクラスの会員」が、
1番2番などの立て札の前に並びます。
それらに属していない一般の乗客は、4番だか5番だかの列に並びます。

何とも言えない「差別(され)感」を刺激されました。
ステータスのある方たちは「優先の列」に並び、
そこはかとない「優越感」をこれまた刺激されているように感じたのは、
貧乏人の私のひがみ根性でしょうか?

大手航空会社には、エアドゥにはなかったこの「区別」があることを、改めて実感しました。
エアドゥは、「機内混雑緩和のために、後方座席のお客様からご搭乗ください」くらいですもんね。
これからも、極力、へたに貧乏根性を刺激されないエアドゥを利用しようと思いました。

まあ、そんな微妙な気分も一時で、定刻出発の方が嬉しくて最後の列に並び搭乗しました。
機内では、2泊3日の東京滞在の満足感と心地よい疲れを感じながら放心状態のように過ごしました。
そして、「着陸準備に入ります」というアナウンスが流れ、やがて車輪が出る音と振動も感じました。

ところが、いくら待っても着陸しません。
しばらくして「千歳空港、除雪のため滑走路が1本閉鎖されているので、しばらく上空で待機します」
とのアナウンスが流れました。

結局30分ほど上空で旋回した後に着陸しました。
「まあ、着いただけいいか」と思うことにしました。
過去には、千歳空港に降りられなくて函館空港に降ろされたこともありましたから。

でも、どんなに遅くとも22:05のJRには乗れると思っていたのに、間に合いそうもありません。
次の22:15には乗らないと、その後は22:35になってしまいます。
気持ちが焦りながら機内から出て、速足で階段を降りたところで、座席に大事な物を忘れたことに気がつきました。

出ました! ADHD(注意欠如・多動障害)! 忘れ物の常習犯!
こんな時、私は一瞬「自分がイヤ」になります。
が、そんな気分に浸っている場合ではありません。
まずは出口の係員に伝えて、忘れ物を無事に受け取らなければなりません。

「早くしないと15分のJRに間に合わない!」と、
自分の不注意さは棚に上げて、もたもたしている係員にプチイライラです。
結局、無事に忘れ物は戻りましたが、15分のJRには間に合いませんでした。

寒いJR駅構内で20分近く電車を待つ間、こんな自分の不注意さの記憶が次々とよみがえってきます。
この1年間だけでも、飛行機の搭乗券を3回は無くしました。
そのたびに搭乗口で待たされて、確認後に最後に乗り込みます。

飛行機の搭乗券だけでなく、券という券を失くす常習犯です。
恥ずかしい思いや不便な思いを何度したことでしょう。

買い物をしてお金を払って、品物を忘れてくることもよくあります。
買ったばかりのものを置き忘れて、戻った時には無くなっていたということも何度かあります。
まさに「注意欠如」なんですね。

私の場合は、「多動」はありませんが、音への「聴覚過敏」もあります。
だから、映画やライブの音響が恐ろしく大きく聞こえます。
みんな同じように聞こえているのだと思っていましたが、最近、他の人はそうではないということがわかりました。

だからみんなは楽しめるんですね。
私はものすごいストレスに耐えることになるので、映画館で映画を見ることは極力避けています。

「発達障害」って、普通の人よりも凸凹がはっきりしているということだと思っています。
私の場合、凹は、「注意欠如」や「聴覚過敏」そして「空間図形」や「計算」も苦手です。

「チケットを失くさないようにしよう」と気をつけていると、とても緊張して疲れます。
洋服をたたむことも吐きそうなくらいストレスなので、
我が家には大きめのウオーキングクローゼットがあって、すべてハンガーに掛けるようにしています。
このように工夫次第で普通に暮らせることも多いと思います。

そして、例えば私の「聴覚過敏」は、効果音など音に対してはストレスを感じますが、
人の声、それも心からの声には、この敏感さが役に立ちます。
普通の人なら聞き逃してしまうような「心の声」を私は聞き取ることができると思っています。

心の痛みや辛くて押し殺している悲しみや怒りなど本人自身が気づいていない思いも、聴きとることができます。
同時に、人が発する悪意や敵意や攻撃性なども、敏感に感じ取ってしまいます。
ですから、批判的な人や傲慢な人からは極力離れていたいと思っています。

発達障害うんぬん以前に、自分の出来ないことや苦手なことを強調されたり批判される環境に身を置かず、
安心して過ごせる環境や自分の特性を活かせる環境に身を置くことが、誰にとっても幸せなのだと思います。

そのような意味で、私は今の仕事が自分にダメ出しを感じる必要がなく、
十分にこの特性を生かして人さまのお役に立っている実感があり、幸せです。

凹凸がゆるやかな多くの人たちからすると「障害」に見えるかもしれませんが、
「発達障害」って、凹が目立つかもしれませんが、「凸がすごいんだぜ!」って思います。
この社会は「凸がすごい人たち」によって発展してきたし豊かになってきたと思います。

発明家や芸術家などのクリエイターやある分野で突出した才能を開花している人たちは、みんな、
『今は「発達障害」という括りで呼ばれている人たち』だと思います。

今の私は、大事な物を失くしたり忘れたりした時、一瞬「自分がイヤに」なりますが、
それは一瞬のことで、すぐに「それでも私にはステキなところがたくさんある!」と
自分で自分を肯定することができます。

一人一人の個性や特性を、自分も他人も認めて喜び合える社会であるといいですね。
その個性や特性を活かして生きていける社会だったら、
誰もが幸せを感じながら生きられるのにと思います。