「家族関係のカウンセリングをしているくせに!」

掲載日:2018.12.11


あと数日で、娘が東京へ行きます。
来年からは東京で生活がしてみたいということで、数か月前から仕事を探していました。

娘が希望した外資系企業の仕事では、もちろん英語を使います。
2年半に渡り世界を周ってきた経験と、帰国してからは空港で外国人対応の仕事をしてきた、
そんな経験で通用すると思っていた英語は、
外資で使うジネス英語では不合格レベルだということが採用試験で判明し、
2か月前、娘は東京での面接試験から落ち込んで帰ってきました。

ところがふたを開けてみると、「採用」となっていました。
「現在の英語は外資のレベルに達していないが、『ポテンシャルの高さを感じる』」という理由でした。
親バカかもしれませんが、「それって当たってる!」と思いました。
数十分の面接で娘のポテンシャルを見抜くとは、
さすが多くの人の採用面接をしてきたプロだなと思いました。

ポテンシャルの意味を知っている人には、「釈迦に説法」で失礼いたします。
「ポテンシャル」とは、「成長できる可能性」「潜在能力」というような意味です。
採用担当者は、娘の可能性を感じてくれたということです。

これまで、娘はいろいろな仕事をしてきました。
大学を卒業してすぐに働いた児童養護施設は、強烈なパワハラと過酷労働のため2年で辞めましたが、
その後携わった仕事では、一緒に働く人とのコミュニケーションもうまく取り、創意工夫で実績もあげてきました。
帰国してから働いていた会社からも、「正社員に」と何度も誘われていました。

沖縄の離島で「サトウキビ狩り」をしていた時も、地元の人たちにかわいがられ、
「男よりも使える」からと、毎年「今年も来てくれ」と連絡をもらっていました。
1年間のワーホリでカナダの「日本食レストラン」で働いていた時には、
韓国人オーナーの厳しさに耐え切れずに次々と従業員が辞めていく中、
淡々と仕事をこなす娘はお客さまたちからの評判も良く、
「就労ビザを出すから、まだ働いてほしい」とオーナーに懇願されたほどです。

娘はどんな仕事においても、臨機応変に対応できる柔軟さと仕事への誠実さがあると思います。
適度な責任感を持ち「打たれ強さ」もある娘は、外資企業でもポテンシャルを発揮していくことになるだろうと、
親バカの私は漠然とした確信を持っています。

今、娘に対してこのような気持ちでいる私ですが、
実は、1か月前には娘と大げんかをしました。
「なんでこんな人間に育ってしまったのだろう」と、自分の子育てを泣きながら振り返る日々を過ごしました。

でも、自分の子育てを後悔と共に振り返ることは1週間でやめました。
「何で30歳を過ぎた子どもの人間性について、親がいつまでも責任を感じなければならないんだ!?」
と気がついてからは、
「遅くとも30歳を過ぎた子どもの人間性は、その本人に責任がある」と思いなおしました。

「私は、娘が大学を卒業するまで精いっぱい関わった」
「自分が親にしてもらいたかったことは、できるだけしてやり、
親にされたくなかったことは、しないように頑張った!」
「だから、今の娘がどうであろうと、自分に責任を感じることはやめよう」
そう思い直しました。

それでも、娘にものすごく腹が立っていたのは変わらず、
その時点で12月中旬には東京へ行くことは決まっていたので、
「早く出ていってほしい」と心から思いました。

「二度と娘とは一緒に暮らしたくない」と本気で思いました。
「独りで老いて、独りで死んでいこう!」 そう強く決意しました。

「客間と納戸を占領している荷物もすべて処分して出ていって!」
「二度と帰ってこないで!」と娘に強く言い渡しました。

私のことを「温厚」だと思っている人は、上書き修正してください。
私にはこんな激しいところも、間違いなくあります。
私は4人姉妹ですが、気が合わなくて何年もまともに顔を合わせていない妹もいます。

私に「あなたとは二度と一緒に暮らす気はない」と言われた娘は、さすが私の娘です。
言われっぱなしでは引き下がりません。

「お母さんは親子関係のカウンセリングをしているくせに、自分の妹とも娘ともうまくいかなくて、
自分の家族のことは全然ダメダメじゃん!」と痛いところを突いてきます。
言ってくれるぜ、娘よ!

私も負けていません。
「私は、『血のつながり』に重きを置いていない。
クライアントさんにも、『あなたを尊重せず一方的に勝手なことを言ってくるばかりの相手なら、
親であろうと兄弟姉妹であろうとムリに一緒にいる必要はない。
血がつながっているからと言って、あなたが耐えるばかりの相手とムリに仲良くする必要はない』
といつも言っている。」

「私自身も、妹であろうと娘であろうと、尊重が無かったり不愉快な関係ばかりの人とは無理に一緒にはいない」
「私は人に言っていることと自分自身のやっていることは矛盾していない」
「私は言行一致しているのよ!」
「こういう仕事をしているからと言って、『素晴らしい家族関係』を演じるつもりはない!」
こう断言する母親の迫力に押されてか、あるいはあきれてか、娘はそれ以上何も言いませんでした。

「犬も食わない夫婦喧嘩」「猫も食わない親子喧嘩」とでも言いましょうか・・・。
そんなこんなで2~3週間を険悪な雰囲気の中で一緒に暮らしていました。
そのうちに私は胃が痛くなりました。怒りを抱えているという状況は辛いですね。
娘はどんな気持ちだったのでしょう。

そのような中で、先日「アドラー勉強会」をしました。

『幸せになる勇気』の本の中に、「カウンセリングで使う3角柱」という話が出てきます。
3角柱の2面にはそれぞれ、『悪いあの人』『かわいそうな私』と書いてあり、
「カウンセリングにくる人は、ほとんどがこのどちらかの話に終始する」と哲人が言います。
『悪いあの人』を非難するか、『かわいそうな私』をアピールするか。

私の心の中も、『悪いあの娘』を非難する気持ちでいっぱいでした。

本の中で、3角柱のもう一面に書かれていることは、『これからどうするか』でした。
「ここからしか本質の解決にはつながらない」と哲人は言います。

アドラー勉強会を主催している私が、『ひどい我が娘』にこだわっていていいのか。
メンバーよりほんの少しだけ前を歩いているつもりの私なら、
『これからどうする』 に立たないでどうする!
そんな気持ちになりました。

住む家を決めるために東京へ行っていた娘が帰ってきた日、
私は「感情的に」ではなく、娘と向き合いました。

私の怒りの理由や傷ついた言葉など、私が本当に伝えたかったことを伝えました。
娘も改めて言葉の真意を伝えてくれ、悪かったところは「100%、私が悪かった」と謝りました。
私も誤解していたり悪かった部分があることに気づき、その点は謝りました。

こうして、ほぼ1か月に渡る親子喧嘩は、終結しました。
私の胃の痛みも解消しました。

ここで、「やっぱり血のつながった親子だから、このように修復できるのよね」と思ってほしくありません。
血がつながっている関係だから修復できるのではなく、「この関係を良いものにしたい」という
修復への気持ちと率直に向き合う勇気があって初めて可能になることだと思います。

血がつながっていようがいまいが、
「気持ち」と「お互いに努力を重ねていけるかどうか」が肝心なことだと思います。
それなくしては、親子であろうと夫婦であろうと「家族であること」なんて関係ないと私は思っています。
「家族であること」にあぐらをかいている、「尊重しない・されない関係」には幸せな未来はないと思っています。

今は、10年ぶりに一緒に過ごしたこの2年半を振り返りつつ、
娘との残り少ない日々を大事に過ごしています。
とは言っても、娘は引っ越しの手続きや準備であわただしくしていますが。
元の職場や大学時代の友人たちとのお別れ会などで時間がいくらあっても足りないほどです。

私は、「娘さんがいなくなると寂しいでしょう」とよく言われます。
どうなのでしょう。
寂しく感じる時もあるかもしれません。

でも私は今、来年に向けて、かなりハードだけれどチャレンジしてみたいことがあります。
そのことに集中できることと自分のペースで日常を過ごせることを、実は楽しみにしています。

ほんのちょっぴりの寂しさと、娘の東京生活への応援の気持ちと、
雪かきを自分でできる体力を維持しながらの、
猫たちとのほんわかとした、そして集中できるマイペースな生活が待っています。