「頭で考えること」と「身体で感じること」

掲載日:2019.07.23


6月下旬に「伊豆にトレーニング合宿に行く」と書きました。
そのことに関して私に起きたことを、今回はシェアしようと思います。

「伊豆でのトレーニング合宿」は、東京で4月に私がメンバーの一人から攻撃を受け
大きなダメージを受けたトレーニング・コースです。
その時には「(私の安全が保証されない)このコースは続けられない」と思いました。

その後、友人たちとの対話と時間が私を癒してくれ、私は徐々に回復していきました。
そして私は、自分のダメージが回復したと思い、トレーニングに復帰することを決めました。
その時、「私はレジリエンス(回復力)が高い」と書いたと思います。

ところが、その合宿の日が近づいてくると、私は落ち着かなくなってきました。
3日前くらいから体が緊張し始めました。
またあの時のことを思い出し、涙が出るようになりました。

「え?私は回復していなかったの?」と不安になりました。
それでも私は、「行くって決めたし、飛行機も取ったし」と頭で考えたことを優先し、
自分に起きている反応を軽視しました。

実際に当日は朝イチの飛行機も順調に飛び、予定よりも早く羽田に着き、
この調子だと現地での集合時間に余裕で間に合うと確信できました。
そして同時に、現地で何事も無かったかのようにメンバーに会うことに
躊躇があることも感じていました。

「私を攻撃した彼女はもういない」と頭ではわかっているのに、
「体が」というか「私全体が」、その場に行くことに恐怖のようなものを感じていました。
そんな自分を感じながらも、またそこを無視して羽田発の電車に乗りました。

ところが、その後何が起きたのかいまだによくわからないのですが、
余裕で乗ったはずの電車の接続がうまくいかず、乗り継ぎ駅での券売機は動かず、
対応した駅員さんが要領の得ない人で、結局私は伊豆高原行きの特急に乗り遅れました。

次の電車で行くと、熱海で各駅停車の電車に乗り換えて1時間遅れで現地に着くことになります。
「いったい自分に何が起きたのだろう?」と熱海行きの電車の中で戸惑いと共に考えましたが、
同時に「現地でメンバーに一気に会わない状況になった」ことに安ど感がありました。

熱海で乗り換え、座席がすべて海側に向いている電車に乗りました。
各駅停車の電車で海を眺めながら、心はとても落ち着いてきました。
理由はわからないけれど「私にとって必要なことが起きたんだ」と納得する感覚がありました。

1時間遅れて到着した時、すでにコースは始まっていました。
メンバーが輪になって講師の話を聴いている中にそっと滑りこむことで、
みんなとガチで向き合うことを避けられ、私は安心してその輪に入ることができました。

その後1時間ほどの知識としての講義が終わり休憩に入った時、
メンバーから「おかえり!」とか「戻ってきてくれて嬉しい!」という言葉をかけられました。
それを素直に受け入れることができない私を感じて、そんな自分にとまどいました。

4月のあの日あの時、私に何が起きて、その後どんなことが私に起き続けたか、
どんなことを感じたり考えたりしてきたのかを、
その後少しずつメンバーに話すことによって、
私は徐々にメンバーの中に自分を置くことができるようになりました。

そのプロセスの中で、他の複数のメンバーたちも
例の彼女からかなり不快な思いをさせられていたことを知りました。
しかも、彼女は相手によって全く異なる顔を見せ、その被害を被ったのは女性ばかりでした。
男性陣には「彼女が可哀そう」という反応が見られました。

どちらにしても、「もう彼女はこの場には来ない」と頭ではわかっていても、
頭以外の私からはなかなか恐怖心が抜けきれていないことを痛感しました。
合宿最終日でやっと、私は以前のように何の構えも無くメンバーの輪の中に
身を置くことができるようになりました。

と、あの時には思ったのですが、
「私の中の深い部分で一度壊れた信頼感」と「芽生えた不信感」は、
私の中に根を張り、簡単に消えることはないことを今は感じています。

私は9割程度回復したつもりでトレーニング・コースに復帰しましたが、
ダメージを受けた自分はそう簡単には回復していなかったことを痛感しました。

「頭と体(心)」「ダメージを受けたことと回復」について、いろいろと感じる体験となりました。

「頭=思考」は、「こうであってほしい」ことを優先し、
「身体=感覚」は、「本当の自分の現状」を伝えている。
そんなことを実感しました。