ダメージを受けても…

掲載日:2021.03.16


5,6年前のこと、私は〈知り合い以上友達未満〉のAさんと
千歳空港のレストランで食事をしていました。

かなり深い話をしていたのですが、途中で私の中に何かが起こりました。
少なくとも私の身体は反応していました。
でもその時には、意識ではそのことに気づいていませんでした。

彼女を搭乗口で見送った後で、
やっと私は自分に何かが起きていることを感じ始めました。

何とも言えない違和感、気持ちの悪さというか不快感というか…。
胸がムカつくというか…。
これは、腹が立つという意味ではなく、
おなかというか胸というかが気持ちが悪いという意味です。

うまく言い表せないけれど、しいて言いうなら「船酔い」のような、
「身体全体が気持ちが悪い」というような感覚が
自分にあるということに気づきました。

でも、それが何なのか、なぜそうなったのかは、
そのときには全くわからず、
ただ「気持ちの悪さ」に呆然としていました。

自分の身体の反応と知識が結びついて、
自分の身に何が起きていたのかを理解したのは、
それから数日たってからのことでした。

あの時私は、突然、それまで話していたいつもの彼女ではない人と話すはめになり、
そのことに私の認識が混乱して、
感覚として体に不快感が生じたということです。

つまり、目の前で話していた彼女が
突然顔つきも話し方も声のトーンも変わり、
まるで幼い少女のようになって話していたにもかかわらず、
私はそのことに意識では気づかず話し続けていたのです。

しかし、違和感だけは感じて体が反応していたということです。

その頃彼女は、自分は「解離性同一性障害」であることを
一部の人たちにはカミングアウトしていました。
私も彼女からそのことは知らされていました。
そして、知識としては「解離」そして「突然、別人格が現れる」ということも知っていました。

しかし、実際に目の前で人格が入れ替わるという事態に遭遇したのは初めてだったので、
私と話しているその最中に彼女にそんなことが起きていたとは思いもよらず、
私の心と体は混乱したのだと、やっと理解できました。

それが、私が「解離性同一性障害」を抱える人が
人格が変わる瞬間に居合わせた
はじめての体験でした。

そこから私は「解離性同一性障害」についてもっと理解をしたい、
その人たちの苦しみに寄り添いたいと学びを深めてきました。

そして今、なぜかこの1か月の間に、
「解離性同一性障害」を抱えた人とのご縁が続いています。

電話やオンライン上ではありますが、
話している途中で相手の方の人格が入れ替わる体験をしました。

Bさんは、か弱く震える声でご自分の今の辛い状況を話していました。
その途中で突然、顔つきが変わりドスの効いた声で私を攻撃し始めました。
攻撃どころか脅迫までしてきたので、
私は恐怖を感じパニックになりそうでした。

でもすぐに「人格が変わったのだ」と理解しました。
次の瞬間、私は毅然とした態度でそのことを指摘しました。

するとたちまちその人格はいなくなり、
もとの小鹿のような心細げな彼女に戻りました。

虐待を受けてきた人たちは、表面上の素直さや優しさの下に、
多かれ少なかれ「怒り」を抱えています。

時に、その怒りの出口が見つかった時、
瞬発的に怒りが噴出してしまうことはよくあります。

「あそこまで怒らなくてもいいのに」と周りの人たちが驚くような怒り方を
時にすることがあり、本人も突然噴き出す自分の怒りをコントロールすることもできず、
自分自身が驚くことは、虐待を受けてきた人によくあることです。

虐待を受けてきた人たちの話を多く聞いてきた私は、
押し込めていた怒りが突然出てしまうことと、
「別人格」が現れたことの違いはわかります。

Bさんは、「別人格」からの攻撃でした。

彼女は、自分に起きたことが理解できていないようでした。
自分がカウンセラーを脅したことに非常に驚いていました。

「このようなことは時々ありませんか?」と聞いてみました。
職場に行くと同僚たちから白い目で見られたり、
「もうあなたとは関わりたくない」と絶交されたということがよくあり、
彼女自身は「言われたことに全く覚えがない」と言います。

そのような中で友だちを失い、長い間、孤独の中で生きてきたと言います。

買った覚えがない物が部屋にあったり、
行ったことがないところで「姿を見かけた」と言われたこともあると言います。

私はその場で彼女に、「解離」が起きている可能性があることを伝えました。
すると彼女は、意外にもとてもホッとした様子になりました。

私に「解離」と言われ簡単な説明を受けて、
「やっと自分に起きていることが腑に落ちた」と言って泣きました。

長い間、原因がわからず一人で苦しんでいました。

原因がわかったからと言って、彼女の症状がすぐに良くなるわけではありません。
ここから回復には長い道のりがあります。
でも、まずは自分の身に起きたことを理解するだけでも助けになることはあります。

今回、彼女は、自分のように原因がわからず苦しんでいる人や、
その周りの人たちがこの症状についてもっと理解をしてもらえるのなら、
ということで、今回のことをここに書くことを了承してくれました。

私が出会った「解離性同一性障害」の方たちは、
父親から性暴力を受け続けてきた人や、
母親から聞くに堪えないほどの虐待を受けてきた人たちです。

「人として、よくそんなことができるな」と感じるほどのむごいことを、
ただ「親だから」という理由だけで我が子に強いる親たちが現実にいます。

「それだけむごいことをされ続けていれば「解離」を起こして
その辛さから逃避するしかなかったよね」と、強く共感します。

彼女たちが「解離性同一性障害」を抱えるに至ったことは、
「最終的な自分」を守るために必然だったと感じます。

彼女たちの親は、「生物学上の親」ではあっても、
「人間としての親」ではないと、強く感じます。
動物でも我が子に対してそこまでひどいことはしないでしょう。

そんな親の所業を聞いていると、私まで具合が悪くなってきます。
Bさんが母親からされてきた聞くに堪えない数々を聞いていると、
私は吐き気が止まらなくなりました。

私はクライアントさんのかなり重い話でも、自分を保って聞くことができます。
よほど重い話を聞いて多少ダメージを受けたとしても、
その後の気分転換で自分を立て直すことができます。

しかし、「解離性同一性障害」の方の話は、
許容量を超えて私に大きなダメージを与えます。

本当に具合が悪くなります。
しばらく自分を立て直せなくなります。

しかし、彼女たちは実際にその体験を何年も年十年もしてきているのです。
それを思えば、ほんの一時、彼女たちの話を聞いて、
その苦しみのほんの一端を受け止めるくらい、
私は引き受けようと思います。

そして残念なことに、そんな彼女たちに私ができることは、
今はほんの少しのことだけです。

誰にも言えず、誰にも理解されなかった苦しみの一端を、
ただ一緒に受け止めることしかできません。

無力な自分を感じながら、
私が「聴く」こと以外にできることと言えば、「祈る」ことだけです。

無宗教の私ですが、そんな時には神さまに、
「あなたの深い愛を、私を通して彼女に注いでください」
と心から祈りながら、彼女たちと関わります。

「彼女たちが、これからの人生を、
これまでの分以上に幸せに生きられますように」と祈ります。

そして、「家族」という囲いの中で親にむごいことをされている
「世界中の子どもたちが救われますように」と祈ります。

祈る以外に私たちにできることは、
家族という囲いの中で虐待されている子どもたちに気づくことです。

多くの大人が、家庭の中でむごいことが起きている可能性があることを受け入れ、
そこに気づきの感性を向けていくことができれば、
大きく傷つき人生を台無しにされる人たちが少しでも減ると思います。

一人一人が意識を持って気づいていくことで、
防げることがもっとたくさんあると思います。