母と父から受け継いだもの

掲載日:2020.12.22


私の仕事部屋の作りつけの本棚の一角に、
私なりの祭壇のようなスペースがあります。

そこには、自死をした友人のお母さんからの手紙や
恩師の滝先生の形見などが置いてあります。

毎朝、「神さま・仏さま・ご先祖さま・守護霊さま・みなさまetc.」に、
昨日と今日のお礼と感謝の気持ちで手を合わせています。

これまで、父の写真もそこに飾ってありましたが、
母が亡くなって母の写真はいつも見えるところに置きたいと思い、
リビングの窓辺に置くようにしたので、
父の写真もお引越しして一緒に置きました。

今は、みなさんへのお礼と感謝の後は、窓辺の父と母にも手を合わせています。

母の写真のステキなフレームはちょっとお値段は張りましたが、
ピンクのセーターを着て可愛らしく微笑んでいる母にとても合っています。

そうなると、30年前に亡くなった父の写真フレームはけっこう古びていることに気づき、
父のフレームも30年前の元気だった父に合うようなステキなものにしました。

毎朝、それぞれの「良いところ」を受け継いだことを
父と母に感謝して手を合わせています。

これは私が勝手にそう思っていることなので、
他人からすると「へ~?」って思われるかもしれませんが、
「思い込み」は使い方によって良い方向に自分を導いてくれます。

例えば、母からは「人を思いやる心」や「どんな人に対しても差別せず公平・公正なところ」
を引き継いだと思っています。
と言うか、「そうありたい」という願いを込めていると言えるでしょう。

子どもの頃、印象に残っているエピソードがあります。

どのような経緯かはわかりませんが、社会的にものすごく偉い人
(周りの大人たちがとても緊張していた様子から、子ども心に「すごい人」なんだと感じました)
と母が対面する場面があり、その時に母だけが周りの大人たちと全く違って、
いつもと変わらない自然体で笑顔でその「偉い人」と話していたのを
「私のお母さんは他の人と違うな」と不思議な感覚で見ていた記憶があります。

その一方で、もう一つ子ども心に衝撃的な思い出があります。

近所に、明らかに差別の対象となっている一家がありました。
今でもぼんやり覚えているのは、崩れそうなみすぼらしい家に、
匂ってきそうなボロボロの服を着ていた家族がいました。

近所の大人たちがみんなでそこの家の人たちを差別していたので、
子どもの私も当然のように「その家族を差別してもいいのだ」という気持ちを持っていました。

するとある時、母がその家の前でその人たちと談笑している姿を見たのです。
「ぎょっ!」としました。
瞬間的な反応はそうでした。

だって社会や自分の中の当たり前を、母は何事も無かったかのように飛び越えて、
差別の対象として当然と思われていた人たちと笑顔で話している。
驚きと共に、「私の母は、何だかわからないけどすごい人だな」と感じました。

象徴的なエピソードを二つ上げましたが、
このように母は相手がどのような人であっても態度が変わることはありませんでした。

母が態度を変える時は、失礼な人や人を傷つける人と出会った時でした。
そのような人たちに対しては、どんなに地位が高い人であっても
物おじせずに意見をいう人でした。

私にも、母ほど見事ではありませんが、
少なからずそのような素質が引き継がれているような気がします。

相手がどんな地位にいる人であっても、おかしいと思うと意見をして痛い目に遭うのは、
母から引き継いだものをまだうまく使えていないのかな?とも思いますが。

そして、父からは、「力強さ」と「仕事に対しての飽くなき探求心・質の向上心」を
引き継がせてもらった気がします。

父のDVはすさまじかったのですが、
私はそのパワフルさを暴力に使うのではなく、
ものごとを成し遂げていく時や、クライアントさんを支える時に使います。

「力強いエネルギー」を、父は「間違った使い方」をしましたが、
私は人の役に立つような「正しい使い方」をしていこうと思っています。

また、父は仕事に関しては、子ども心にも「あっぱれ!」と思える人でした。
どのような部署に配置されても現状に甘んぜず更なる工夫をして結果を出していたことは、
父の同僚の方たちの言葉から知ることができました。

最後の配置は、けんかっ早かった父へのお仕置きだったのか、
まったく合わないと思われた「飲食を提供する場所」の責任者でした。

そこでも父は創意工夫をして、誰もしなかった独創的なやり方で、
格段の売り上げをたたき出しました。

それは多くの人たちから驚きと共に称賛され、
その頃私は父のことは大嫌いでしたが、
そこだけは「私のお父さんはすごい人なんだ」と思いました。

そんな父のことを意識していたわけでは全くありませんでしたが、
私が仕事に対して「質を追求していくところ」や「常識を超えて独自の工夫で
仕事の質を上げていくところ」は、父譲りなのだということに気づきます。

今回、母が亡くなって、母と父の写真を日に何度も目にすることで、
忘れていたそのような記憶がよみがえってきて
改めて、私は両親から「良いところ」を引き継いだと感じています。

もちろん、「良いところ」ばかりではなく、むしろ父のDVはひどかったですし、
心が歪んだ母に苦しんだ時期もあります。

でも今の私は、そのような負の記憶に縛られたり苦しめられてはいません。
「嫌なことは忘れて『良いところだけ』を見よう」と思っているわけでもありません。

今の心情に至るまでには、それなりの過程がありました。

電子書籍にも書いていますが、
私が福祉を学ぶために大学に行ったのは娘が小学生の時でした。

その時には、「失礼な福祉事務所の職員とケンカをして勝てるようになりたい!」
「一生懸命に生きようとしている人の力になれる福祉従事者になりたい」
という動機から、奨学金を受けながら進学しました。

福祉の中でも「児童福祉(家族福祉)」を専攻するようになったのは、
自分の生い立ちが影響していたと、その頃は気がつきませんでしたが、
今となっては必然だったということがわかります。

そして、困っている人・苦しんでいる人たちに本当に力になるためには、
大学の知識だけでは足りず、カウンセリングなどの援助技術も必須だと実感し、
自力でそちらの学びも始めました。

日本や来日した海外の著名なカウンセラーやセラピストから学びました。
援助技術を学ぶということは、実際に自分を材料としてそれらの技術を体験します。

「他者の役に立てるようになるため」と取り組み始めた学びの過程で、
自分のテーマを使って実際にカウンセリングやセラピーのトレーニングを受ける中で、
私の中にあった痛みや傷に気づき、それらが癒されていきました。

「人のため」と思っていたことが、実際には「まず自分のためになった」ということです。

そして、「自分がしっかりと癒されていないと、
他者のために働くことは難しい」ということにも気づいていきました。

こうして私は父と母に対するネガティブな感情を浄化していくことができました。

これはたぶん、頭で理解したり思いこもうとしてもできないことだと思います。
これは体験なので、セッションで心や体や自分の全体で受け止め、
解消していくプロセスを経る必要があると、自分の体験から確信しています。

今、父と母の「良いエネルギー」を自分の中に感じ、
感謝と共に過ごせているのは、そんな過程を経てきたからだと思います。

過去の過酷な日々の負のエネルギーを、私はすべて愛のエネルギーに変えて、
クライアントさんたちと向き合っています。

こう書いてから、「いやいや、まだ『愛のエネルギー』は
自信をもってそう言えるほどではないな」と、ちょっぴり恥ずかしい気持ちになります。

だからこそ、未熟な自分でいるからこそ、
毎日、父と母の写真に向けて感謝と共に
「そうありたい気持ち」を確認しているのだと思います。

さて、ここまで読んできて、今度はあなたのご両親に意識を向けてみましょうか。

あなたのお父さんは、どのような良いところを持っていますか?持っていましたか?
お母さんの、どのようなところがいいなと思いますか?

あなたは、ご両親から、どのような「良いところ」を受け継いでいますか?
受け継いでいきたいですか?

そこへの意識が、あなたの人生を更にステキなものへと
優しく背中を押してくれるような気がします。