年初に思うこと

掲載日:2021.01.05


少しずつ日が長くなっていることが嬉しい今日この頃です。
みなさんは、日々どのようなことを感じていますか?

誰もがマスク姿で街を歩き、
どこに行ってもビニールやアクリル板で遮られている光景に
はじめの頃は抱いていた違和感やちょっとした疎外感を、
最近はほとんど抱かなくなっている自分に気づきます。

多くのことが無条件に無邪気にできていたコロナ前の社会とは違って、
何をするにもどこかで目に見えない制限を感じ、
実際にたくさんの制限の中で生きている今。

年末年始のニュースでは、
仕事や住むところを失い、食べることさえ難しくなった人たちへ
民間団体が食料を配布する様子を紹介していました。

非正規の人たちばかりでなく、
働いていた会社が倒産したり解雇された正社員の人たちも
少なからずその列に並んでいることを知り、
改めてコロナ禍の現実を知る思いがしました。

自分の腕一本で何十年も仕事をしてきた人たちが仕事を失い、
その誇りまでも傷つけられ、
プライドを捨て新たな職を探しても見つからない現実。

「自分がまさかこのような形で支援を受けるようになるとは思ってもいなかった」
という声がいくつも聞こえました。

ほとんどの人たちは、誠実に一生懸命に仕事をし生きてきたのでしょう。
そのような人たちが今、仕事を失い住まいを失い食べることにも困難な事態になっている。

そして、年末年始にかけて寒さの中で、
食料配布のみならず相談窓口を設けて
その人たちを支援していたのは民間団体の人たちです。
そのことに、私は静かな憤りを感じます。

菅首相の言う「自助」を精いっぱいやってきた人たちが今このような状況であるなら、
次は国が真っ先に「公助」を行うのは当然だと私は思いますが、
私の知る限り、このような形で困難に陥っている人たちを支援団体任せにして、
国としての責任を取っているようには見えません。

新型コロナウィルスでも経済的にほぼ無傷だった政治家や行政の方たちは、
年末年始は温かい家で安心の中でくつろいでいたのでしょうね。

「国民の命と暮らしを全力で守る」と菅さんは何度も言っていました。
この寒空の下で配給される食糧を受け取る人たち、
(この日本で「食事は一日に一食しか取れない」と言う人たちがいる現実!)
そして配給さえ届かずに絶望の中に取り残されている人たちは、
菅さんの言う「国民」ではないのでしょうか?

そんなことを思っていると、私の内側が重くザワザワとしてきます。

力があるのにその絶大な力を必要な人に向けて使わない人たちに対して、
そして知っているのに助ける力がない自分自身に対して、
私の内側は内臓が絞られるような感覚になります。

それでも私はできることしかできないし、
できることはやっていこうと思っています。

ただ絶望して他人を批判だけしている人ではいたくありません。

今年も、辛い状況にいる人たちのことをいつも思いながら、
発せられるその微かな声に耳を傾ける姿勢だけは保っていたいと思います。
そして微力ながらも、やれることはやっていこうと思っています。

同時に、今のこの社会の中で、私たち自身も傷ついていること、
意識にはのぼらなくてもストレスを受けていることにも
気づいていたいと思います。

例えば、不要不急と言われる音楽などの様々な芸術活動やエンターテインメント、
スポーツやその他の活動が制限されている現実に対して、
(直接それらに関わっている人たちの困難はいかばかりかと思いますが)
それは私たちの生活の心の豊かさを損なわれることだということも、
今回痛切に感じています。

誰もが、今までと違うこの社会の中でストレスを受け傷ついていることを、
時々は自覚して、そのケアを自分ですることも忘れないでいてほしいです。

私自身もストレスや傷つきに自覚的でいて、
必要なセルフケアをしていこうと思っています。

人はストレスが強いと、他人に対して寛容ではなくなります。
自分と少しでも違う誰かを攻撃したくなる傾向があると思います。

誰かを不必要に攻撃してしまわないためにも
自分自身にも優しくありたい。

これは、政治や行政の在り方を批判的に見て意見を言うことと、
個人を攻撃したり批判することとは違うと思います。

あとは、一見矛盾するようですが、
自分の内側がしっかりとしていれば
あまり外側の世界には振り回されないものだという気もしています。

以前とは違ってしまった社会の中で、
どのように工夫をして社会を再構築し、
どれだけ心豊かに生きていくことができるかが、
私たちに問われているような気がします。

「自分たちだけが良ければいい」のではなく、
「どこかで辛い思いをしている人にもちゃんと手が差し伸べられる社会にしていく」ために、
「世界中が、そして人間だけではなく地球上の生物たちにとっても良くなる」ことを、
一人一人が自覚的に目指していけたらいいなと願っています。