脱皮したら・・・

掲載日:2015.11.19


 またコラムのアップが滞ってしまいました。いつもチェックしてくれている人に申し訳ないなと思いながらも、なかなかできずにいました。ごめんなさい。
 10月下旬から、プチチャレンジを3つも始めてしまいました。プチであってもチャレンジを3つもすれば時間もエネルギーもそれなりにかかるということを、事前に想定できない私です。始まってみて「ぎゃー、時間が足りない!」と気づくという相変わらずの私です。
 歌の発表会も無事に終わりました。友人や札幌に住む妹も来てくれました。大人になってから歌や楽器にチャレンジした人たちが、久しぶりのドキドキ感の中で日ごろの成果を披露します。決して完璧とは言えないけれど、だからこそ聞いている方が応援したくなるような、そんな微笑ましい発表会だったと思います。私も一生懸命に歌いました。前の日に練習しすぎて喉を傷めてしまいました(同じような人が他にもいました・笑)が、何とか歌い切りました。単に歌うというよりは、『祈り』のような気持ちを込めて歌いました。友人は「涙が出た」と言ってくれました。友人のほかにも誰かに私の祈りが届いたならうれしいです。技術的には、声量が足りないことに気づきました。教室で1対1でレッスンを受けている時には気づきませんでしたが、何十人もを前にしてマイクなしで歌うと、自分の声量のなさを実感しました。チャレンジしてみたからこそ気づけたことでした。友人も妹も「来年もまた聴いてみたい!」と言ってくれたので、気が変わらない限りさらに頑張ってみようと今のところは思っています。
 体の方は、手術後の体調も悪くはなく、手術を受けたことを忘れているほどでした。でも寒さが増してくると傷跡が痛むようになりました。「古傷が痛む」とは聞いたことがありますが、新しい傷も痛むものでした。皮膚癌とはいえ「3層縫った」そうなので、それなりの範囲と深さを切り取った訳ですから、何ともないとはいかないですね。
 スティーブンス・ジョンソン症候群(あるいはステロイド剤?)の後遺症としては、ほぼ1週間かけて体中の皮がボロボロとむけました。まさに『一皮むけた』私です。脱皮した私には、「新たな世界が始まるのではないかしら?!」という予感さえありました。
 そしてその予感は実際のものとなりそうな気配です。私がこれから生きていく『別の景色』が見えてきました。それはプチではなくそれなりのチャレンジの向こうに広がる景色ですが、その景色の場に行ってみたいと心が感じています。そして私自身がその景色の世界を創っていくことをハートが望んでいることを感じます。
 とは言え、そのチャレンジには乗り越えなければならないことがいくつかあります。「このトシでまたそんな大変なこと・・・」と、ため息をつく私もいます。そして「それでもやりたい!」とキラキラした瞳で言う私もいます。「やりたい」私には「やらなければならない」という気持ちもあります。その道を進むことが、生かされた私がこれからすることのような気がしています。
 この日本、そして世界で起きている出来事に心を痛めてきました。これ以上そのような悲しいことが起きないように私には何ができるのだろうとずっと考え続けてきました。大げさのように聞こえるかもしれませんが、私がこれから歩もうと思っている道は、そのような悲しい出来事を未然に防ぐ一助となると思います。そうできるなら、その道を歩みたい。その生み出す結果に比べれば、私がする苦労など何ということはないと思っています。「人を傷つけたり踏みにじったり、あるいは批判や暴力の応酬の道ではない世界にしていきたい」そう願っているなら、私はその道を進むべきだし進みたいと思っています。そしてそれは、そんな大げさなことを大上段に構えるのでは決してなくて、優しくて楽しい世界なので、なおさらやりたいのです。
 その前にまずはこの冬を乗り切れるように、雪かきに備えて体力をつけることにします。数日前にトルコからエジプトに入ったお気楽な我が娘の帰国は、今のところ雪が融けた頃になりそうです。「手術をした母を想って、冬には帰ってくるかな?」なんていう淡い期待はみごとに振られました(笑)。娘をあてにできない独り身の母は、この冬も自分で何とか乗り切るしかありません。まあいつものことです。(^_^)