6月23日

掲載日:2023.06.20


今朝、我が家の庭にキツネが来ていました。
数年に一度くらい道路を歩いているキツネを見ることはありますが、
ベランダ越しに自宅の庭で見るのは初めてでした。
こげ茶色のふさふさのシッポは可愛いですね。

二匹の猫たちにも見せたいと思ったのですが、
(初めてキツネを見たら猫たちはどんな反応をするのでしょうか?)
その前にカラスたちが騒ぎ出してキツネは逃げて行ってしまいました。

近くに山も森もない住宅街に出てくるなんて、
車にひかれないように早く山に帰って食べ物にありつけますように。

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このコラムをアップしているのは6月20日です。
私は毎年6月の声を聞くと、6月23日を思います。
6月23日と聞いてあなたは何が浮かびますか?

私にとっての6月23日は「沖縄慰霊の日」です。

6月23日は、沖縄戦での犠牲者の霊を慰め世界の恒久平和を願う「慰霊の日」です。

太平洋戦争の終わり頃、アメリカ軍が沖縄に上陸し、
住民を巻き込んだ地上戦が行われました。
日本の中で唯一アメリカ軍が上陸して戦争が行われたのが沖縄です。

そして78年前の6月23日に、その地上戦が終結したと言われています。
アメリカ軍や日本軍ばかりでなく、本当に多くの沖縄の人たちが犠牲になりました。
沖縄県民の4人に1人が亡くなったと言われています。

「4人に1人」って、衝撃的な数字ではありませんか?
あなたの身近な人たちの4人に1人が亡くなっていく現実を想像することができますか?
そしてその何倍もの人たちが傷ついていったということです。

自分の住んでいるところが戦場になる。
今のウクライナのようにです。
沖縄では現実にそれが起きたということです。

6月23日は、沖縄日本軍のトップだった牛島司令官が自決し、
この日をもって日本軍という組織での戦いは終わったという日です。

でも、6月23日に地上戦が終結したということは、
その前の少なくとも6月いっぱいは沖縄の人たちは戦火の中を逃げまどっていたでしょうし、
6月23日以降も牛島司令官の自決を知らずに、
地上戦が終結したことも知らされずに恐怖の中で亡くなられた方たちも多かったと思います。

実際、久米島では8月にかけて日本軍が住民を殺しているし、
米軍が「沖縄戦を終えた」と宣言したのは7月2日です。
沖縄など南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日です。

6月23日以降も沖縄の人たちには恐怖の日々が続き、
実際には6月23日以降に命を落とした人たちも多かったと思います。

終戦後、アメリカ軍は日本全体を占領して基地を各地に作りました。
1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して日本は独立しましたが、
沖縄だけは切り離されて72年の本土復帰まで米軍統治下に置かれました。

その間に日本各地にあった米軍基地はどんどん減らされていきましたが、
沖縄だけは米軍基地が新たに作られ続けてきました。
その結果、今は日本にある米軍基地の7割が沖縄に集中しています。

沖縄では、マスコミにほとんど取り上げられなくなった今も
着々と辺野古の海が埋め立てられています。

多くの沖縄の人たちが止めてほしいと訴えていたにもかかわらず、
問答無用で日本政府はアメリカ軍基地のために辺野古を埋め立てています。

そして今は、中国や北朝鮮の脅威に対抗するために、
「米軍基地を強化するのは当たり前」で、
自衛隊基地も拡張されています。

先の戦争で多くの犠牲を強いた沖縄に
今また「防衛力強化」として負担を背負わせています。

基地が多く存在するということは、
仮に戦争になれば沖縄が真っ先に攻撃される可能性が高まります。
常にそのような不安を抱きながら、沖縄の人たちは暮らしているのではないでしょうか。

実際にどれほど防衛力を強化しなければならないかは私にはわかりません。
ただ私が思うのは、大義名分のもとで沖縄の人たちの気持ちは軽んじられ
粛々と傷つけられていく現状に、沖縄以外のほとんどの日本人は無関心だということです。

辺野古の埋め立てや米軍機の墜落ばかりでなく、
沖縄では米軍関連の事件や事故が多く起きています。
そのようなことにも沖縄以外の人たちはほぼ無関心です。
というかほとんど報道されないので知りません。

最近、東京の多摩地区に住んでいる住民を対象に血液検査をしたところ、
ほとんどの人の血液から有機フッ素化合物であるPFASが検出された
というニュースがNHKで特集されました。

検査をした住民の半数以上の血中濃度は基準値を超えていたとのことです。
PFASの血中濃度が高いほどさまざまな健康リスクが上がると指摘されています。

水道水にPFASが混入していたとみられていて、
最大の汚染源と疑われているのは多摩地域にある米軍横田基地です。

「水道水に基準値を大きく超えるPFASが検出」って、
どこかで聞いたことがあるなと思いました。

日本でこの問題が注目されたのは、2016年沖縄でした。
このとき汚染源の可能性が高いと指摘されたのも、アメリカ軍基地でした。
しかし、沖縄での汚染源の問題はうやむやにされたように記憶しています。

今回は多摩地区の住民が政府に対して、
米軍基地への立ち入り検査でPFASの汚染源を徹底的に調査することを望んでいます。

沖縄で起きた時にはほぼ黙殺でしたが、
東京の人たちが騒いだら日本政府はどうするのでしょう。
マスコミも、沖縄で起きた時とは違う扱いになるのですね。

沖縄とそれ以外の日本の扱いの違いをPFAS問題を1例として挙げました。

いつも思います。
「沖縄の人たちは日本人ではないのだろうか」と。
どうして「沖縄の人たちは犠牲を強いられても仕方がない」と
暗黙に受け入れられているのだろうか、と。

多くの日本人は、過去の沖縄の犠牲や今も続く痛みに無頓着のような気がします。
かく言う私も、かつてはそうでした。
そのようなことを教えてくれる人が周りにいませんでした。
知らなければ想像することさえできません。

授業でも「沖縄戦がありました」で終わりだったように記憶しています。
誰が沖縄の痛みを伝えていくのでしょうね。

私が沖縄に興味を持ったのは、辺野古の問題がマスコミに取り上げられるようになってからです。
そこから、自分で調べたり実際に沖縄に行って様々な立場の沖縄の人たちの声を聴きました。

まだ座り込みが日常化していない頃の辺野古の海にも行きましたし、
座り込みの列が作られたころの辺野古にも行きました。

嘉手納基地の中にも入って(違法に侵入したわけではありません)
並んでいる戦闘機や米軍の住宅なども見ました。
平屋のゆったりした作りの住宅の庭で子どもと遊ぶ兵隊さんの姿も見ました。

米軍関係者に話を聞いたりもしました。
沖縄の人たちの複雑な思いやあきらめや憤りなどを感じてきました。

今、ウクライナの人たちの痛みに共感する日本人は多いと思います。
情報が多く伝えられるからでしょう。

沖縄のことも、もっと日本中に情報を伝えてほしいと思います。
沖縄の人たちについて知り、その痛みに気づいていたいです。

特に6月は、私にとって沖縄の痛みと共にある日々です。
何もできないけれど、思いを寄せてせめて気持ちだけは共にいられたらと思っています。