お祝い
掲載日:2025.07.01
横浜に住むMさんは、
私のクライアントさん史上、1位2位を争うくらい辛い子ども時代を過ごしてきた人です。
出会った頃、そしてセッションの過程でも、
いくつもの凄まじい自傷行為が繰り返されていました。
一方で、仕事帰りの終電で「車内の人を全員刺し殺したい!」
歩きながら「すれ違う人々を次々に刺し殺したい」
という加害の衝動も抱えている人でした。
それらの自傷や他害の衝動から、
Mさんがどれほど辛い子ども時代を過ごしてきたかが想像できます。
そして、それらの衝動に抗いながら何とか生きてきたことは、
彼女にとってどれほど過酷で困難なことであったかと胸が痛みます。
Mさんがここまで生きて、出会ってくれたことに、
私は何度神様に感謝したかわかりません。
そんなMさんは、波はありながらも徐々に痛みや傷を癒してきました。
そしてここ数か月の間に、非常に大きな変化を見せてくれています。
精神的に安定してきて、人として深みが増してきています。
自分や環境を穏やかに受け入れ尊厳を取り戻してきています。
そんなMさんに、
「今辛い思いを抱えている人にも希望になると思うので、
コラム用に今の心境を書いてみてもらえない?」と頼んでみました。
Mさんは快諾して、【お祝い】【呪い】という2本の原稿を送ってくれました。
今回と次回、2回に渡ってMさんの文章を掲載します。
どれほど悲惨な子ども時代を送ってきたとしても、
どれほど深く傷つけられてきたとしても、
あきらめなければ新しい未来が開けることを、
皆さんに知ってもらえたら嬉しいです。
特に、今、未来に希望を感じられない人の心に届けられ、
希望の種になるとしたら、それは私とMさんの喜びです。
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【お祝い】
今年の6月は本当に暑かった。そして7月も暑くなるらしい。
思えば梅雨の時期から気温が30度を超える日も珍しくなくなってきた。
8月を前に、真夏ってこうだったな〜と改めて思い出させられる。
この時期になると、心がざわつき始める。
私の誕生日が、7月の初旬なのだ。
ざわつく理由は、誕生日が待ち遠しいということでは決してない。
絶縁しているはずの母親から、手紙と小包が必ず届けられるのだ。
小包は決まってちょっとしたお菓子と1万円。
それと「体を大切にしてね。美味しいものを食べてね。」といったねぎらいの手紙。
私が実家で対峙した人間とは全くの別人がそこにいる。
20年近く過ごした息がとまるような恐怖の日々は、本当は存在しなかったのかも知れないと勘違いしそうになる。
誕生日が近づくと、見たくもないのに毎日郵便受けをあけてしまう。
待ち望んでいるはずもないのに、確認するのをやめられない。
小包が届いたら届いたで落ち着かない。
中身を確認する瞬間の恐怖と、小包を放置して中身を確認しない時の不安定な気持ちが、
私を交互に襲い始める。
そうして意を決して確認しても、毎年ほとんど変わらない中身に落胆のような安心と、
心に漂う不快感で一週間ほど嫌な気持ちで過ごす。
ここ10年は毎年こんなことの繰り返しだった。
今年もふと、そんな時期がきたなと思い出した。
ここ最近の私はきよこさんのカウンセリングのおかげか、
心に占める母親の割合が少なくなってきているような気がしている。
今の私は、正直小包が届こうが届かなかろうがどうでも良い。
なんなら、もう送って来ないでほしいと伝えることもできそうだ。
彼女の行動を受け取るか受け取らないかの選択権は私にある。
その判断をする主導権は、私が持っていると最近思うようになった。
そして、その選択のどちらを選んだとしても、誰にも責められるようなことではないのだ。
時間と距離のおかげで、私の中の母親への強大な恐怖や執着は霞がかって影が薄くなっているようだ。
そんなことを考えながら、プレゼントのお断りのメールをしたためる。
次のカウンセリングでメールを送るか送らないかを相談してみよう。
どちらを選んだとしても、大丈夫。
私は、私自身がやらなければならない生活や日常を過ごすだけなのだから。