「森友問題にモヤモヤ」と「ベートーベン」

掲載日:2017.04.04


 「森友問題なんてどうでもいい」とか「もう聞きたくない」という人は、パスしてください。今回は、この問題についての私の中のモヤモヤを書いていきたいと思います。
 前回は、森友学園の籠池氏個人について、私なりの思いを綴りました。コラムをアップした2日後の3月23日には籠池氏の国会での証人喚問が行われ、新たな問題が浮上し事態は動いています。
 私がまずモヤモヤするのは、この問題を籠池氏個人の人格的な問題として終わらせようとする動きです。前回も触れたように、私は個人的には籠池氏という人の人間性に疑問を抱いています。こんな人が、彼の言う「正しく美しい日本人」の教育者としてふさわしいのかという疑問が大きくあります。
 しかし、森友問題の大事な点は、前回も触れましたが、なぜ国有地が破格の金額で売却されたかということです。更には、籠池氏が建てようとしていた小学校は、普通ではありえないような特例的な措置がいくつもなされて認可寸前までいったということです。彼はそれについて「神風が吹いた」と表現していますが、「神風」がどうして彼にだけに吹いたのでしょう?前例踏襲主義の役所が、森友学園に対してだけは前例の無い特例的なことばかりした背景には何があったのでしょう?
 安倍昭恵総理大臣夫人は籠池氏の幼稚園を数回訪問し、「園児たちの歌、演奏、教育勅語などに感動しました」と自分のフェイスブックに書き込んでいます。彼女は、その幼稚園で二度も講演をして籠池氏の教育方針を称賛し、小学校の名誉校長を今回のことが問題視されるまで引き受けていたことは事実です。削除される前のホームページには「優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます」と、昭恵氏の名誉校長としての「ごあいさつ」が載っていました。
 与党は「昭恵氏は私人だから」と、安倍昭恵氏に触れることを避けようとしています。彼女を個人攻撃するつもりはありませんが、少なくとも彼女の行動は私人とは言えないと私は思います。総理大臣夫人という肩書が無くて、誰が講演会に彼女を呼ぶでしょうか?「私の秘書」と昭恵氏が言う、経産省や外務省から派遣された「総理夫人付き」という数人の官僚を従えて活動している人が私人なのでしょうか?
 その経産省から出向していた「総理夫人付き」という肩書の女性が小学校の問題で便宜を図る件について籠池氏とやり取りしていたことや、その文書の中に昭恵氏の名前があったことの真意を巡ってやりとりが行われています。官僚が上司の許可も得ずに別の省の自分より格上の立場の人に、個人の問い合わせ(ここでは籠池氏からの問い合わせや要望)をすることなどありえないといいます。政府が、「その職員が個人で勝手にやったことで昭恵夫人は関係ない」とすることには無理があると思います。
 与党は籠池氏を「100万円の振り込みをした人物について偽証した疑いがある」として偽証罪で告訴も検討していると言います。そのために国政調査権の発動も考えていると言います。そんなものを発動できるなら、そんな些細なことにではなく、財務省や国交省などが「森友学園との土地取引その他の経緯を記した資料や記録をすべて破棄した」としていることにこそ発動すべきだと思います。この経緯の資料がないというのはとても不自然なことです。そのような記録を残していないことはあり得ないと、多くの元官僚たちが言っています。そういうところにこそ国政調査権を発動して、何があったのかを明確にすればいいと思います。
 与党は、「国会で扱わなければならないもっと大事なことが他にもあるのに、森友問題ばかりやっていられない」として終わらせようとしています。ならばなおのこと、記録を出させれば些末な問題を国会でいつまでも扱わなくて済むと思いますので、ぜひとも実行していただきたいと思います。
 話題になっている「教育勅語」は、戦争の反省のもとで「基本的人権を損なう」として国会で排除・失効を決められたそうです。みんなで「これは間違っていた」と、やめたものです。その「教育勅語」を園児に唱和させる森友学園の教育を「素晴らしい」と、安倍昭恵総理夫人をはじめとして何人もの政治家が絶賛していたことは事実です。もしもこの一連の不可解な問題が表面化しなかったとしたら、4月からこの小学校は開校していたということになります。籠池氏という今さまざまな不正問題が明るみに出ている人格の彼が、「誇り高く美しい日本人」を育てるために少なからぬ政治家の支援を受けて、「教育勅語」をひっさげて教育の世界で大手を振っていたということになります。
 ここに書ききれないいくつもの問題がそこにはらんでいます。「総理大臣夫人付き」という肩書の公務員個人が勝手にやったこととするのは論外ですし、籠池氏という個人の人格的な問題とするなど、この問題を個人の問題として幕引きしてはいけないと思います。「個人の不正」問題と「国有地の不可解な払い下げや本来ならあり得ない条件での認可など」の問題は、別に扱わなければならないことです。籠池氏個人の不正問題に関しては司法の手にゆだね、不可解な国有地や認可の問題は国会でしっかりと国民が納得するように明らかにすべきだと思います。
 自分のために一生懸命に働いてくれた公務員に個人的に責任を押し付けて自分は安全圏に身を隠していたり、事実を覆い隠して不正を正されないままに押し通そうとすることが、「誇り高く美しい日本人」のすることなのでしょうか?関係した人は潔く自分のしたことを認め、謝る必要があるなら謝って、「誇り高く美しい日本人」としての姿を自ら示してほしいと願います。
 氷山の一角としての森友問題がうやむやにされるなら、不正な氷山は今後も大手を振って増殖していくでしょう。例えば国は、「財源がない」として、原発被災者への支援を打ち切ったりしていますよね。このように、今後も本当に必要な人や施策に国のお金が使われることなく、一部の人の利益や特定の思想信条を推し進めるために使われ続けるでしょう。この問題を、ここでうやむやにしてはいけないと思います。
 そう強く思いながらも、「きっと大きな力でうやむやにされてしまうのだろうな」というあきらめの気持ちも抱えています。
もうイヤになっちゃうな、こんな日本。

 そんな気持ちを抱えたまま、先日、辻井伸行さんのコンサートに行ってきました。
クラシックはよくわからないなりに、時々演奏会に足を運びたくなります。辻井伸行さんはそのエネルギー感というか会場に醸し出される空気感が好きで、これまで何度か聴きに行っています。
 今回は、バッハ、モーツァルト、ベートーベンの演奏ということでした。クラシックに造詣が深いわけでもない私は、これまで単純にベートーベンは敬遠していました。何となく近寄りがたい気がしていました。
 モーツァルトを楽しみに行った私でしたが、バッハ、モーツァルトが終わり、休憩をはさんでベートーベンの演奏が始まると、不思議なことが起こりました。森友問題を始め、社会の嫌なことに悲しい気持ちになったりモヤモヤしていたり、そんな重たい気持ちが癒されていく感覚になりました。辛い気持ちが受け止められ癒され昇華していく、そんな感覚でした。
 ベートーベン、すげー! 辻井伸行さん、素晴らしい!
会場からも大きな拍手が沸き起こりましたので、私と同じように感じたかどうかは別にして、誰にとっても感動的な演奏だったのだと思います。
 私の抱えていたモヤモヤや重たい気持ちが、ベートーベンで解放されました。クラシックの持つ力~クラシックだけではなく、音楽の持つ力と言えるのかもしれない。さらには芸術の持つ力と言えるのかもしれません~、豊かなものに触れることのありがたさを感じました。
 くさっていないで、また明日から頑張ろう!という気持ちになりました。みにくいものや不公正があふれている社会だとしても、一方でこんなに豊かなものも私たちの社会にはあることを思い出しました。私は私なりに大切にしたいことを大切にして生きていこうと思いました。
 ありがとう、辻井伸行さん! ありがとう、ベートーベン!