本を読む

掲載日:2020.04.28


読書家のクライアントさんがいます。
ジャンルを問わず、多読です。
数冊を同時並行的に読み進んでいきます。
知識が豊富で、しかもけっこうマニアックなところまで踏み込みます。

数か月前には彼女から、「○○っていう本、知ってますか?」
「紀代子さんのセッションと共通するものがあるように感じました」
と言われ、びっくり。

私が読もうと買っておいたトラウマ治療の本のタイトルだったからです。
その時、その分野の本が少なくとも7冊、私の本棚でスタンバイしていました。
そのうちの1冊を、彼女は読んだというのです。

セラピストがまだ読んでいない本を、クライアントが読んでしまうなんて!
なんてこった!

そして今、「外出自粛」で家にいることが多くなったこの時期に、私は
本棚でスタンバイしていた7冊のうちの1冊をやっと読み始めています。

まずは、ビーター・ラビーン著「身体に閉じ込められたトラウマ」です。
これは現在、トラウマ治療の最先端の方法の一つとして世界的に注目されている
SE(ソマティック・エクスペリエンシング)についての本です。

この本を私は自分の身体に響かせながら読み進めていきます。
従って、さらさらと読んでいくことはできません。
それでなくても読むのが遅い私が、ゆっくりと読み進めていく本です。

そんな頃、先の彼女から、「圧倒的な言葉の力を持った本に出会ってしまい、
自分から言葉が出なくなってしまいました」と、ある本が紹介されました。

石原吉郎著 「望郷と海」です。
シベリア抑留版「夜と霧」と評される本です。

「夜と霧」をご存じない方のために、少し解説します。
「夜と霧」は、ユダヤ人精神医学者ビクトール・フランクルが
自身のナチス強制収容所体験をつづった記録です。
人間の悲惨さと偉大さを描いたこの本は、
日本をはじめ世界中でロングセラーとして読みつがれています。

ここから彼女のことに戻ります。

彼女は頭が良く、しかも気持ちの優しい人です。
そして私が何よりも素晴らしいと感じているのは、彼女の独特の感性です。
人が見逃したり聞き逃したりしてしまう微細なことをキャッチし表現できる力です。

しかし10年以上前に彼女の身に起きたある出来事によって、
今はそのステキな感性とも豊かな感情とも切り離され、
それらがある種 「凍り付いた」状況にあります。

去年から私のセッションを受け始めた彼女と、
今はその「凍りつき」を丁寧に融かしていく関わりをしています。

自分に起きる感覚や感情とうまく繋がれなくなっている彼女に、
私は、日常で気づいたことをメモ書きしておくことを勧めました。

その時の彼女からの返事は、「誰かに当てて書くのでなければ、
自分一人のために文章を書くことは、日記でもできない」というものでした。

「返信はいらないので、気づいたことをメールで送ってもいいですか?」
という彼女からの要望を受け入れました。

こうして、時々彼女から「メモ」と称してメールが届きます。
私に負担がないようにという配慮からか、毎回10行以内に収まる内容です。

私は約束通りそれにいちいち返信はしませんが、
目は通すことにしていました。

そして私自身も「望郷と海」を手に入れ、読むことにしました。
Amazon から「望郷と海」が届き、私が読み始めた頃、
それをまるで知ったかのように、
数日おきに彼女から「望郷と海」についての短い「メモ」が届くようになりました。

「ちょっと、待って、待って!」「私、まだそこまで読んでいない」と、
彼女のペースに追い立てられるように感じながら読み進めています。

しかもこの本もまた、さらさらと読み進められるような本ではありません。
私にとってこの本は、「事実から真実を掬い上げる」、そんな感覚を抱かせられるものです。

これは私にとって「心に響かせながら」「私という人間に響かせながら」読む本です。
彼女の追い立てに何とか踏みとどまって、私は私のペースでこの本と付き合っています。

はからずもこの「心に響かせながら読む本」と「身体に響かせながら読む本」は、
同時に、彼女と私の最大のテーマである「トラウマ」に関わるものでした。

「望郷と海」は、あえて「トラウマ」とは記されていませんが、
シベリア抑留という過酷なトラウマ的体験を綴っており、
私にとって、この2冊を同時並行して読み進めていることには意義深いものがあります。

トラウマには大きく分けて2種類あります。
災害や事件・事故など大きな衝撃的な出来事による「単回性トラウマ」と
虐待やいじめなど長期間にわたり繰り返された加害による「複雑性トラウマ」です。

親から言葉の暴力を受け続けた結果として大人になって「複雑性トラウマ」に苦しむ人は、
私のクライアントさんの中にも数人います。

とても乱暴な分け方で非常に申し訳ない気持ちがしますが、
「望郷と海」の筆者である石原吉郎氏のシベリア抑留体験は「複雑性トラウマ」、
読書家の彼女の人生を困難にしているのは「単回性トラウマ」と言えると思います。

その違いはあるとしても、彼女が「望郷と海」を読むことは、
彼女のトラウマケアにとって非常に意味があることだと私は感じました。

「望郷と海」について語ることを通して、「彼女の中で凍り付いている何か」を
無理をさせることなく優しく溶かしていくことになると、私は感じました。

セッションの日に特に扱いたいテーマが無い時には、
「望郷と海」について一緒に読み進めてみないか、という提案をしました。
彼女から快諾の返事が来ました。

そうして今、私たちは「望郷と海」について、セッションの時間に語り合うことを始めました。

私はあくまでセラピストとしての自分の役割を忘れずに、
しかしそれを前面には出さず、共に読み進めながら
彼女の変容をサポートしていきます。

このタイミングで私が、
トラウマ治療の最先端の方法として世界的に注目されている
SE(ソマティック・エクスペリエンシング)についての本を読んでいること。

そして並行して、彼女と共に「望郷と海」を読んでいること。

私がこの2冊を同時並行して読んでいることの意味を、深く感じています。

彼女がそう遠くない未来に
その豊かな感性や感覚そして感情とのつながりを取り戻すことを願いながら、
私はこの2冊の本と真摯に向き合っています。

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(最期に、「望郷と海」から一部を抜粋します。)

ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。
そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私にはおそろしいのだ。(中略)
死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。
(2ページ目 確認されない死のなかで より)

毎日「新型コロナウィルス感染症による死者数」が発表されている今、
ジェノサイドでなくても、この言葉の重みを感じずにはいられません。

「シベリア抑留」という私たちにはほとんど知らされていない
その過酷な非人間的な体験を「望郷と海」を読むことによって知りました。

いつの時代も、国を動かす力を持った人たちの多くは、
最前線にいる国民の痛みや困難を思う心が欠けていること、
その結果の国民の痛みや苦しみに責任は取らないことを感じます。