1か月で3年分

掲載日:2022.09.13


この1か月、体調がすぐれませんでした。
1か月で三年分の病院通いをした感じです。

始まりは、帯状疱疹です。
前々回のこの欄で「右太腿が痛い」と書いていたあれです。

金曜あたりで「皮膚の下がヒリヒリするな」と感じはじめ、
土曜には「ヒリヒリが強くなって」
日曜には「ヒリヒリに加え激痛が走る」ようになりました。

月曜は市内の皮膚科がすべてお盆休みでした。
「こんな激痛に耐えられない」と思い、何か良い助言をもらえないかと
藁にもすがる思いで保健センターに電話をしてみました。

はい、みごとにお役所仕事でした。
私がチェック済みのお盆休みのクリニックを紹介するだけでした。
「すべてお盆休みだから、どうしたらいいか困っている」と言っているのに、です。

「紹介していただいたクリニックはすべてお盆休みです」ともう一度伝えると、
「え?そうなんですか」・・・「あ、本当だ」「じゃあ、休み明けに行ってみてください」

「電話代」と「時間」と「辛い中で電話をしたエネルギー」を返して!

というわけで、月曜はなすすべなく痛みに耐えました。
火曜は一か所だけ皮膚科クリニックが開いて、その他はまだお盆休みです。

火曜日、その開いているクリニックに行きました。
私が行った時にはすでに待合室から人があふれていました。
「皮膚科ってこんなに混むの⁉」と信じられないような込み具合です。

そして「本日の受付は終了しました」の張り紙が・・・。
がーん!
こうして火曜日も受診できず、心臓にダメージがあるくらいの痛みに耐えるしかありませんでした。

日月火と三日間も激痛に耐えたのち、水曜日にやっと受診できました。
その頃には太腿に湿疹も広がっていました。

改めて「帯状疱疹」と診断され、やっと薬が処方されました。
「耐えるだけで疲れ果てるような痛み」は、鎮痛薬のおかげで楽になりました。
帯状疱疹も、薬のおかげで徐々に回復していきました。
病院と薬のありがたさが身に沁みました。

なぜか「江戸時代の人はどうしていたんだろう?」と思いました。
江戸時代だって帯状疱疹はあったでしょうに、
それでも「薬もなくこんな痛みにただ耐えるだけだったのか」と思うと、
改めて「現代医療に感謝」の念がわきました。

そのようにして帯状疱疹は徐々に回復していきましたが、
表面の湿疹がかさぶたになり「ヒリヒリ」はおさまっても、
時々走る「鋭い痛み」が治りません。

帯状疱疹の後遺症である「帯状疱疹後神経痛」だということです。
神経への障害が大きかった場合には、痛みが残る後遺症が出るとのことです。
3日間受診できず激痛に耐えていた間に、私の神経は大きく傷ついてしまったようです。

この痛みは、数年あるいは数十年続く人もいるということです。
常に痛みがある人生なんて、まっぴらごめんです。
「絶対に良くなる!」という強い気持ちを持ち、医療の力を借りながらも、
自分でも神経の修復に良い食べ物を取ったりと努力を続けていこうと思っています。

そんなこんなで帯状疱疹と格闘しているうちに
今度は腹痛と発熱に見舞われました。

下痢でも便秘でもなく、でも腹痛があり、
38℃近くの熱です。

今回はぐずぐずせずに即、病院に行きました。
しかし原因はわからず、とりあえず整腸剤と鎮痛剤を処方され、
「様子を見ましょう」とのことでした。

熱で何もする気が起きず、食事の支度もできず、
食欲もなく数日間を過ごすうちに激ヤセしました。

でも、面白いなと思ったのが、
こんなに体調不良の日が続いたにもかかわらず、
最悪の体調で動けない日にはセッションが入っていませんでした。

帯状疱疹の時も腹痛の時も、珍しく他の曜日にセッションが集中し、
最悪の数日間はセッションが入っていないという奇跡のような状況でした。

これって、神さまが「体調が最悪になるのはセッションの無い日」に采配してくださったのか、
それとも私のプロ意識が「セッションの無い日に体調が最悪になる」ように無意識に働いたのか、
なにはともあれクライアントさんに大きくご迷惑をかけることは避けられたことに感謝しています。

ということで、この一か月で三年分の病院通いをしましたが、
やっと体調も整ってきたようです。

帯状疱疹の後遺症としての痛みはまだ続いていますし、
冬でもリップの要らない私の唇が、薬の副作用か「ガサガサ」です。
それでも、何とか普通に近い日常を送れるようになってきました。

ガリガリに痩せてしまいましたが、ここからは「V字回復」です。
食欲も戻ってきました。
「とうきび」「枝豆」「生落花生」が美味しい季節です。
食べ過ぎてお腹をこわさないように気をつけながら、「食欲の秋」を堪能したいと思います。